2・これからどうしよう

 カモミールの荷物はそれほど多くはない。服や身の回りの小物が主で、かさばる物はほとんど無いのだ。錬金術に使っていた道具は全てロクサーヌの工房の物であり、カモミール個人の持ち物である道具や素材は数えるほどしかない。

 

 シンク家――今ではガストンだけの家だが――が見える距離にある一戸建てがタマラの家だ。玄関から入ってすぐの居間になっている場所に荷物を全て置いてもらい、タマラが勧めた椅子にカモミールは崩れ落ちるように座った。当然のようにその隣にヴァージルが座る。


 ふにゃふにゃになっているカモミールを抱き寄せて無言で頭を撫で続けているヴァージルを横目で見ながら、タマラは竈に火を入れてお湯を沸かし始めた。湯を沸かしている間に、テーブルの上に散らばっていたやりかけのデザイン画を片付ける。タマラの現在の仕事は、様々な意匠を作り出すデザイナーだ。


「とにかくお茶でも飲みましょ。ミリーは何がいい?」

「なんでもいいわ……」

 

 力ない返事にタマラは眉を寄せた。ヴァージルは痛まし気にカモミールのつむじを見下ろしている。

 ため息を飲み込むと、タマラは棚の一角に並んだいくつかの瓶を手に取った。瓶の中身は乾燥させたハーブだ。小さな花を摘んでそのまま乾燥させてあるハーブをポットの中にたっぷりと。その他に2種類のハーブを配合すると、沸騰した湯を注ぎ蓋をしてからポットの温度を下げないように作られた覆いを被せる。

 タマラはみっつのカップを先に並べ、砂時計で適切な時間を計ったハーブティーをカップに注いだ。薄い金色のお茶がカップに満たされると、辺りにはふんわりと柔らかく爽やかな香りが漂い始める。


「それどころじゃないだろうけど、まずはこれを飲みなさいな。落ち着くわよ……と言ってもロクサーヌ先生に教わったものだからミリーにはお馴染みね」

「ありがとう、タマラ……」


 カモミールのカップにタマラが蜂蜜を垂らしてくれる。彼女なりの気遣いなのか、いつもの倍ほども蜂蜜をサービスされた。

 そのカップの中身をスプーンでそっとかき混ぜれば、甘い蜂蜜の香りと共に爽やかなリンゴに似た香りがカモミールの鼻腔を刺激した。

 

 リンゴのような香りを漂わせているのは、ポットの中のカモミールの花だ。

 白い花弁を持つカモミールの花は、ロクサーヌも好んだハーブだった。タマラの家の棚にある瓶のひとつにたっぷりと入れられているこの花は、シンク家の庭で育てられたものだった。タマラはカモミールと同じ名前のハーブをお茶にしたのだ。このハーブには心を穏やかにする作用があると知られている。


 優しい香りを胸いっぱいに吸い込むと、カモミールはほんの少し落ち着いた。湯気の立つお茶を吹き冷まして一口飲むと、カモミールだけではない味がゆっくりと彼女を癒やしてくれる。乾燥させたオレンジの皮に、ミント。カモミールには馴染み深いブレンドで、今までふわふわと現実感無く漂っていた心が日常の香りに惹かれて戻ってくる。

 

 三人はしばらく無言でお茶を飲んだ。タマラが蜂蜜を入れてくれたのはカモミールのカップだけで、ヴァージルはわかりやすいひいに苦笑しながらもお茶をゆっくりと飲んでいた。

 

「ところで」

 

 カップの中身が半分ほどになったとき、カモミールの向かいに座ったタマラがじろりとヴァージルを睨む。

 

「あんた店を飛び出してきたんでしょ? 戻らなくていいの?」


 敢えて現在のカモミールと直接関係ない話題を選んだのだろう。カップを傾けていたヴァージルはそれをテーブルに置くとにっこりと笑う。


「うん、大丈夫。店長には明日も休むって言ってきたし」

「うわ、用意周到。引くわー。あそこの店長もあんたに甘過ぎじゃない?」

「だってミリーのことが僕の最優先だからね。店長もよく知ってるよ」

「あー、ハイハイ、過保護過保護」


 呆れたという口調でタマラが大げさに肩をすくめてみせる。実際の所、ヴァージルが店員として特別待遇が必要な程優秀であるのも理由ではあるが、カモミールに関わることなので店長は許したのだろうとタマラは推測した。


 ヴァージルが働く「クリスティン」はロクサーヌとカモミールが作った化粧品を取り扱う店だ。化粧品は錬金術師でなくとも作れるので、何種類かの化粧品がこの店で扱われている。

 ロクサーヌが立ち上げた「ミラヴィア」というブランド名で売り出されている化粧品の数々は高品質で、ここジェンキンス侯爵領のみならず王都でも貴族女性を中心に高い人気を得ている。侯爵領の有力な特産品とも言えた。つまり、クリスティンにとってロクサーヌ亡き今、カモミールは重要な取引先なのだ。


 男性だが華奢な部類で物腰も口調も柔らかく、一般的な男らしさとはほど遠いヴァージルは、異性として警戒されにくいのか女性客ばかりの店の中でも浮くことなく溶け込んでいる。確かな観察眼で客に合う化粧品を選び、ベテラン店員をも唸らせる技術で化粧を施すことができ、常連客の中にはヴァージルを指名して新しい化粧品を試すケースも多い。彼はいわば店の看板店員だった。店長も多少のことなら甘くならざるを得ないだろう。


「なんか、今日一日凄く長かった気がするんだけど、まだお昼過ぎたばかりなんだよね」


 いくらかは落ち着いたカモミールがぽつりと呟く。


 今日は午前中に共同墓地でロクサーヌの葬儀があった。暗い色の服を着ていたのはそのためだ。ロクサーヌの家族はガストンしかおらず、弟子のカモミールと幾人かの友人と司祭だけで葬儀は執り行われ、家へ戻った途端にあの騒動が始まった。

 涙が乾く暇も無いとはまさにこのことだろう。涙の跡で頬が強ばっている感じがする。一度気になるとそれが物凄く気になってしまい、カモミールはそわそわとしながら少し下からタマラを見つめる。 


「顔を洗いたいんだけど」

「いいわよ、浴室で洗ってきて。置いてあるタオルも勝手に使っていいわよ」

「ありがとう、タマラ」

「大丈夫? ひとりで歩ける? 支えていこうか?」


 さっきまでひとりでは歩けなかったカモミールを心配したのか、ヴァージルが覗き込んでくる。幼馴染みの相変わらずの過保護っぷりに苦笑して、カモミールは「笑える」という事実に安堵した。


「もー、ヴァージルは心配性過ぎだよ。ひとりで歩けるって」


 カモミールはひらひらと手を振って浴室へと向かった。共同浴場へ行けないタマラは家に浴室を持っている。この辺りの家では珍しい設備だ。

 水瓶に満たされた水を洗顔用の桶に移し、ザバザバと豪快に顔を洗う。ごしごしとタオルで顔を拭くと、「そんなに強くこするように拭いては駄目よ」とロクサーヌに叱られたことを思い出す。化粧品を作っていながら、カモミールは自分の美容には余り興味は無かった。ミリーはまだ若いからよ、とはタマラの言葉なのだが。


「先生……なんでこんなに早く死んじゃったんですか。私、これからどうしたらいいんですか?」


 濡れたあんず色の前髪が額に張り付いているのが、目の前にある鏡でわかる。今顔を洗ったばかりなのに、またポロリと涙がこぼれてカモミールのそばかすの浮いた頬を流れていった。

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