そ、そうか!虫取り網の使い方は太刀と同じだったんだ!

五十貝ボタン

昼(虫取りするガキをニコニコ眺めるお姉さん)

 蝉の声が野山いっぱいに鳴り響いている。

 太陽は中天、まさに真昼どきである。

 マァ今の人たちにとっては真昼に蝉が鳴いているなんていうのはどちらかというと涼しいくらいじゃないかと思われるでしょうが、地球温暖化が問題になるよりもずっと前のお話だ。


「えい! やあ!」

 野っぱらの真ん中でガキが虫取り網を振り回している。

 おっと、ガキっていうのはちょっと乱暴な言葉になってしまいますが、このお話ではどうしてもガキと呼ばなくてはいけない決まりになってまして。どうぞご容赦ください。

 ガキは着物を腰までまくり上げて、草鞋もなしではだしで駆け回っている。真夏の日差しで顔は真っ黒に日焼けして、すっかり汗だくだ。


 さてガキがチョウチョを追いかけまわして網を振り回しているのを、木陰からお姉さんがニコニコ眺めている。

「そんなんじゃいつまで経っても蝶は捕まらないわよ」

 不思議なくらいに涼しい声だ。バタバタ走り回っているガキも、思わず足を止めた。

「でも日暮れまでに十匹捕まえないと」

 お姉さんのところには虫を入れる籠もあるが、まだ一匹も入っていない。すっからかんだ。


「マァこっちに来て聞きなさい」

 お姉さんが涼しい木陰にガキを呼び寄せて、竹筒の水筒を出した。

 のどぼとけも出てないガキがぐびぐび飲むのを見ながら、お姉さんが話す。


「蝶っていったら俳句でも春の季語だけど、アゲハチョウって言えば夏の季語なのよ。だから夏に蝶を取ってても何にもおかしくないわね」

「誰かに言い訳してる?」

 勘のいいガキが余計な事を言うもんだからお姉さんは完全にスルーした。

「オオムラサキも夏の蝶なのよ。にしても『大きい』『紫』ってどっちも普通の言葉なのに、組み合わせると蝶の名前になるっていうのは不思議じゃない?」

「たしかに」


「不思議って言えばシジミってのも不思議よね。あれはチョウチョの羽の形が貝のシジミに似てるからシジミチョウっていうのに、その通称がシジミじゃ貝と一緒じゃないの!」

 お姉さんは急にキレた。

「ホウセキシジミって言われて、どっちのシジミかわかる!?」

「わかんないけど」

 お姉さんは一度口を開けばずうっとしゃべり続けるような人だ。ガキは呆れながら水筒を返した。

「でも俺を休ませてくれたんだね、ありがとう」

 お姉さんの話に付き合ってる間に、ダラダラだった汗も少しはおさまった。木陰で休んでいたおかげだ。


「ふふ……」

 お姉さんは優しげに微笑んで水筒を受け取った。

「ところでシジミチョウは芋虫のときにわざとアリにつかまって巣の中で守られて暮らすんだけど……」

「もういいって!」

 お姉さんはしゃべり足りない様子だが、ガキのほうは元気いっぱいとばかりにまた網を持って飛び出していく。

「今夜は満月だ。そしたら、お姉さんがいけにえにされちゃう」


 はたしてガキはお姉さんを守るために蝶を捕まえにきていたのだ!

 サテそれだけ言っても何のことやらわかりますまい。ことの経緯はこうだ。

 村は山の神様に守られている。その山の神というのは恐ろしいざるで、村を守るためには毎年一人、真夏の満月の日に美しい娘を生贄にせよと要求していたのだ。

 猿神の力は大したもので、生贄を差し出すようになってからは飢饉もなく病も流行らない。

 これじゃ村人は逆らえない。いちばん美しい娘を育てちまったら生贄に出さなきゃいけないっていうんで、わざと娘にみすぼらしい格好をさせるありさまだ。


 サテ今年も新しい生贄を出さなきゃいけないってんで誰がいいかと村の衆が話していた時、ふらっと旅人が現れた。

 それが若くて美しい娘だったもんで、村人たちは一致団結して彼女をおいしい料理やきれいな寝床でもてなした。

 いや田舎の結束力というのは侮れないもんだ。お姉さんがすっかり気分をよくしたところで「ちょうど空き家があるんであそこに住んだらどうだい」なんて言って村に引き入れた。もちろん最初から生贄にするためだ。

 あわれお姉さんは今年の生贄に選ばれ、今夜には猿神に差し出されるって寸法になってしまった。


 お姉さんはニコニコしてみていただけだっが、そこに勇気あるガキが現れた。

「お姉さん、おれがどうにかして猿神を倒すよ」

「無理無理。人間の力じゃバケモノにかないっこないわ。あ、でも……」

「でも?」

「もしチョウチョを十匹集められたら、倒せるかもしれない」


 こうして、ガキはお姉さんのために蝶を十匹集めることになった。そして、当のお姉さんはニコニコしながら見ているわけだ。

「とお! うおーっ!」

「そんなにむやみに振り回しても捕まらないわよ」

 ガキが持っている虫取り網は網のところが小さくて、握りこぶしよりちょっと大きいくらいだ。蝶を捕まえようと思ったら、上下左右どっちにズレても外れてしまう。

 しかも蝶ってやつはひらひら飛ぶものだから、ますます捕まえるのが難しい。


「そんなこと言っても、こんな網じゃ……」

「その網じゃないといけないのよ。無理ならあきらめてもいいのよ」

 そういわれるとガキでも男の意地がある。歯を食いしばってまた網を振って蝶を追いかける。


 サア蝶を追いかけまわすうちにぐんぐん日が傾いてくる。涼しくなるのはいいが、時間もどんどんなくなっていく。

「はあ、はあ。でも、少しずつコツがわかってきたぞ」

 まだ蝶は一匹も捕まっていないが、ガキは蝶の動きが『見える』ようになってきていた。虫取り網を振り下ろすときも、振り下ろした網が蝶の羽をかするようになってきた。

 お姉さんのほうは、まだニコニコ眺めているばっかりだ。


 そんな時、ひときわ目立つ蝶がフラーっとガキの目の前を飛んでいく。

 金色の羽がきらめいて、飛んだあとの軌跡は夕日を浴びてどことなく虹色に光っている。

「あっ、それは出現率0.02%のSSRゴールデンアゲハ〈夏の装い〉! その蝶を捕まえれば十匹……いえ、百匹分にはなるわ!」

「それなら!」

 ガキはぐっと虫取り網を握る手に力を込めて、ゆっくり振りかぶった。むやみやたらに振り下ろしたら蝶が逃げてしまう。乾坤一擲、必ず最初の一回で捕まえなきゃいけない。

 すると不思議なもので、もう後がないと思うとさーっと心が穏やかになる。ひらひら飛んでる蝶の動きがゆるやかになって、ちょうど網が届くタイミングがぱっとわかった。その瞬間にチカッと蝶が光って見える。


「ヤーッ!」

 気合とともに網を振り下ろす。握りこぶしほどしかない網のちょうど真ん中に蝶がとらえられた!

 見事なもので、まるでガキが振り下ろす先に蝶のほうから飛び込んだような様子だった。


「やった!」

 ガキはゴールデンアゲハ〈夏の装い〉を捕まえて、お姉さんのところに持って行った。

「すごいわ。これで猿神を倒せるに違いないわね」

 お姉さんの虫かごにゴールデンアゲハ〈夏の装い〉を入れて、ガキは胸を高鳴らせる。


「どうやってその蝶でバケモノを倒すの?」

「それは、夜になってのお楽しみよ」

「でも……」

「大人の話は夜にするものでしょ」

 ガキはセクシーな言葉にコロッと騙されて、ドキドキしながらうなずいたのだった。

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