タバコの香り2

蟹蒲鉾

タバコの香り2

 彼と初めて会ったのは町がゲリラ豪雨に襲われた日だった。

 私が家でひとり静かに勉強しているところに雨は降り始めた。ここ最近で一番強い雨だった。激しい雨音で集中して勉強できそうになかった。

 息抜きにカップラーメンでも食べようと腰を上げ、キッチンへ向かった。お湯が沸くのを待っている間は何も考えずにただそこに立っていた。外から聞こえる激しい雨音は一向に鳴り止む気配がない。

 ふと、雨音に混じって微かに話し声のようなものが聞こえていることに気がついた。こんな雨の中で話している人たちがいるのか。しかし、耳を澄まして聞いてみると、話し声は一人分だけ聞こえていた。

 恐怖や不安といったその他の感情に好奇心が勝って、私は少しだけ玄関を開けた。そこには部活帰りらしい高校生がいた。ただ、一人で話している様子はなかった。少年の視線は右手に持ったスマートフォンに向けられていた。話し声もそこから聞こえている。

 少年の耳にはイヤホンが付けられていたが、スマートフォンの方にはコードが繋がっていなかった。名前も何も知らない彼がドジっ子なことはわかった。

 「そこの少年、うち上がってく?」

 豪雨の中、外にいるのが可哀想でつい声を掛けてしまった。少年から見た私は相当怪しく見えただろう。少年はしばらく魂が抜けたように固まっていた。もう一度少年に声を掛けると、ハッと意識を取り戻した。少年が遠慮してきたので、ずぶ濡れの癖にと思いながら強引に家に上がり込ませた。

 少年はやっぱり部活帰りで汗だくだった。そのうえ雨で濡れていて、そのままだと気持ち悪いだろう。私は少年にシャワーを浴びるよう促した。

 少年がシャワーを浴びている間、私はカップラーメンを二人分作って待っていた。少年はたくさん運動してお腹が空いている様子だった。少年は豚骨と味噌のどちらを選ぶだろうか。どちらを選んだとしても私は豚骨を譲らない。お風呂上がりの少年は豚骨を選んだ。気が合うかもなと思いつつも私は豚骨を譲らない。

 食後には、少年とゲームをした。久しぶりのゲームとはいえ、レースゲームやシューティングゲームでほとんど勝てなかったのが正直言って悔しかった。パーティーゲームでは全勝した。少年が本気で悔しがっている様子だったので気分がよかった。

 今日一日は完全に休みにしよう。筋トレで言うチートデイみたいなことだ。違うかもしれない。

 とにかく、今日のうちは勉強を一切しないことに決めた。

 そのまま勢いで一年ぶりにタバコに火をつけた。雨の中のベランダに出て、吸った。あの頃の煙とは違う味がした。

 タバコを吸い終わる頃には雨が止んでいた。またいつ雨が降り出すかわからないので少年を帰らせることにした。

 後日、大学の授業から帰ると玄関に紙袋が掛かっていた。中には菓子折りとお礼の書かれたメモが入っていた。あの日、少年が家に上がって一日休みにしたおかげで勉強が以前より捗っているからお礼したいくらいなのに。少年は近くの高校のユニフォームを着ていたからこの町に住んでいれば会うこともあるだろう。次、会ったらお礼しようと決めて、菓子折りはありがたくいただいた。

 それから、一年が経った。その日、私は最近通っている図書館に来ていた。図書館は涼しくて、適度な雑音があって、たくさんの資料がある、勉強に集中できる環境が整っていた。

 今読んでいた資料を別のものと変えるために歩いていたら、後ろから声を掛けられた。振り返るとあの時の少年がいた。少年が食い気味にお礼をしてきたので、私も遅れてお礼した。

 少年は元々頭の良い方ではなかったが教師になる夢を叶えるため、同級生よりも早めに部活を引退し、勉強をしているのだそう。私はちょうどいいと思い、少年に一緒に勉強しようと提案した。少年が嬉しそうで私も嬉しくなった。

 ある日は図書館で勉強し、またある日は私の家で勉強した。たまに休みの日をつくって出かけることもあった。出かけると言う行為はだんだんとデートに変わっていった。

 そんな風に時間は過ぎて、私と彼はお互いに受験を迎えた。どれだけ頑張っても緊張と不安はなくならなかったが、なんとか志望大学に合格。彼も無事合格した。

 少し間が空いて、桜の舞う暖かな季節。

 私は医者、彼は教師。それぞれの夢に向かって、私たちは同じ部屋からその第一歩を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タバコの香り2 蟹蒲鉾 @kanikamaboco

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ