Ⅰ-04 ティアナの望み
あれから1週間がたち。
旦那様は鉱山の浸水の処理に追われ、さらにやつれた様子で街に戻ってきた。
そのまま慌ただしく荷造りをして、わたしたちは首都に向かう船に乗りこんだ。
「ヴァンダーヴェルト商会の、宝石事業部……ですか」
「あぁ。私はその取締役、というところだ」
夜風をうけながら、旦那様はひとくちワインをあおる。デッキの頭上は、満天の星空だった。
ニューアミリアは広大な土地を有しており、鉱山のある地域から首都までは海路でも5日ほどかかるという。
そのあいだに旦那様は、ご自身の仕事内容について話してくれた。
「以前は貿易と販売が主体だったが、いまは鉱山の管理や宝飾品加工も行っている」
「すごい……本当に手広いんですね」
「良し悪しはあるがな」
はじめは無口な方だと思っていたけれど、船の中では旦那様は多弁だった。
「人見知りをするんだよ」と笑う姿に、なぜかぐんと親近感を感じた。
「鉱山の崩壊を寸前で気付けたのは……
旦那様の言葉に、わたしは深くうなずく。
「魔女はふつうの人に比べて、自然や大気の動きに少しだけ敏感なんです。
勘がはたらくという程度のことですけど」
「しかしそのおかげで、私たちは救われた」
ワインをふくみ、旦那様はまたひとつ笑顔をみせる。
「魔女はみな、君のような瞳をもつのか?」
「魔女は幼いうちに、母親から
わたしの場合は……これです」
わたしは、小袋に入れ胸元に忍ばせていた石を取り出した。
手渡すと旦那様は、興味深そうに船上のランプの灯りにかざす。
「ピンクトパーズか。まさに君の瞳の色そのものだな」
海面に、月のひかりがにじんで、ゆらめく。
反射したひかりが旦那様の瞳に映り、そのあまりのうつくしさに、胸が痛くなった。
「まさか、魔女であることをこんなふうに……あきらかにできる日が来るとは、思っていませんでした」
「君は、クエニ王国の生まれだったか」
「……はい」
祖国であるクエニ王国の名前が出てくるなり、わたしは気持ちが沈んだ。
旦那様は、いたわりのこもった目をわたしに向ける。
「……クエニ王国は、魔女に対する厳しい異端審問があるらしいな。
ニューアミリアにも、クエニ王国から亡命してきた魔女がいると聞く。君もさぞ、大変な思いをしてきたのだろう」
旦那様も、
だからこそなおさら不思議に思い、旦那様に尋ねる。
「なぜ、ニューアミリアは……魔女を受けいれてくださるのですか」
「そもそも魔女は、ニューアミリアの原住民なんだよ」
旦那様はゆったりとした所作で、もう一度ワインのグラスをあおった。
「ニューアミリアは長く、他国の占領下にあった。
そのあいだもニューアミリアの人々は、聖女たる魔女の存在を隠し、守ってきたのだ」
「なぜ……?」
「魔女を『
大地が窮地にあるとき、魔女は神がもたらした聖なる力とその血で人々を守り、使命を果たす者だからだ。
大地の母であり、天からの遣いである魔女は、ニューアミリアにとっては神聖な存在だ」
わたしは目をぱちくりさせた。
生きることすらも危うかった祖国での魔女の扱いとは、やはり、あまりにも違いすぎる。
「では、その、魔女が街に住むことも問題ないということですか?」
「当然だ。街に住む魔女もいれば、田舎に住む魔女もいる」
「身を隠す必要がないということですか?」
「あぁ。魔女だって人間だろ。我々と同じように、好きな場所で生き、職業を選択する権利がある」
おどろいて、しばらく言葉が見つからなかった。
幸せをつかむことなど諦めていたのに―――まるで、それも可能であるかのように、旦那様は言う。
「では、そ、その……魔女が、結婚をすることも……できるということですか?」
「もちろんだよ」
わたしの考えを読みとったかのように、旦那様はふっと笑った。
「……正直私は───相手が魔女であろうが一般人であろうが───この結婚に乗り気ではなかった」
そしてわたしの手をそっととり、指でゆったりと手の甲を撫でる。
「事業が忙しく、本音を言うと女性に構っている暇がなかったんだ。しかし親兄弟からは早く結婚しろと迫られていてな」
なかば自虐的に笑いながら、旦那様は言葉を続ける。
「取引先からの紹介とあって、断るわけにもいかず……渋々承諾した。
仕事内容が宝石の取り扱いとわかれば、目の色を変える女性も多い。だからローレンスにも、嫁に私の仕事についてしばらくは漏らさぬよう言っておいたんだ」
どうりで―――ローレンスさんが、旦那様の仕事についてかたくなに語らなかった理由が、ようやくわかった。
旦那様は「しかし……」と言いながら、きらりと目を合わせる。
「渋々受け入れたはずの嫁が、私の従業員の命を救った。
魔女であることが知れたら処刑されるかもしれないと、わかっていながら」
はずかしくて目をそらしたくても、なぜだかそうはできなかった。
黒く煌めく瞳がうつくしくて、その声は必要以上に甘ったるくて、わたしの心を惑わせていた。
「嫁にきてくれて、ありがとう。
君のような女性に出逢えるとは……思っていなかった」
旦那様が、わたしの横髪をかきあげる。
過剰に反応してしまう自分に嫌気がさしながら、わたしはなんとか言葉を返す。
「それは、あまりに過分な、お言葉です」
「そんなことはない」
わたしの戸惑いを感じたのか、旦那様はその手をそっと離してくれた。
「君になにか……礼をしたいんだが」
「お、お礼、ですか?」
「あぁ。命に代えて従業員を守ってくれた、礼だ」
海風が、からだの火照りを冷ましてくれる。
恥ずかしさをごまかすように、わたしは視線をそらしながら言う。
「そんなもの、わたしを
「それでは礼にならない。
君の欲しいもの、君の叶えたい夢。そういうものでないと私自身、君に示しがつかないんだよ。
たとえば、君の瞳のようなピンクトパーズの指輪が欲しい、とか」
旦那様に言われ、わたしは数秒、思考をめぐらせる。
「わたしは……みずからを宝石で着飾りたいという気持ちは、ありません」
「はは、そうか。女性がみな宝石好きというわけではないのだな」
旦那様が笑うたびに、わたしの胸はぎゅっと痛くなる。
向けられるやさしさに、なぜか心がくるしくなる。
「もし望んでもよいと……言ってくださるのであれば」
「あぁ、なんでも言ってみろ」
そのやさしさになにか返さねばと、わたしは懸命に言葉をつむぐ。
「わたしに、旦那様のお仕事を手伝わせてくれませんか」
「私の仕事を?」
「どんなに小さな仕事でも、構いません」
嫁の立場として、本来ならこんなこと望んで良いはずがない。
けれど、旦那様なら聞いてくれるのではないかと、そう思ったのだ。
「わたしの父は……宝石
できることなら、父の生きざまを継いでゆきたいのです」
旦那様は穏やかにわたしを見やり、そっと頭を撫でた。
「わかった。約束しよう」
「……ありがとう、ございます」
冷たい海風とは対照的に、わたしの心はこわいくらいに暖かかった。
このやさしい夢が決してさめないようにと、水面にゆらぐ月に祈った。
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