第5話 総裁と魔王
「おいジジイ、いるか」
「誰がジジイよっ!!」
「ならババアか」
モンテシエナ中立魔法保管銀行の総裁、ミダス・モンテシエナの部屋に入るなり不躾な台詞を放ったアルに、部屋の奥から不機嫌な声が飛んできた。
ルーチェが初めて入った総裁の部屋は、床も壁も机も椅子も装飾品も、全てが黄金に輝いていた。眩いばかりの部屋に足を踏み入れたアルは、鼻先に皺を寄せ、ふんと息を吐く。
「相変わらず趣味の悪い部屋だな。模様替えしろと言っただろ」
「アンタにだけは言われたくないわ! 黒と赤のおどろおどろしい部屋に住んでいるクセに!!」
ルーチェは部屋の奥にいる総裁の姿を見た。
新年の挨拶の時などに
ミダス総裁は迫力ある美貌を持つ、絶世の美女である。
波打つ金髪は部屋中の黄金に負けず劣らず輝いていて、はっきりとした顔立ちには隙のない化粧が施されている。
史上最強の魔法使いとの誉れ高いミダス・モンテシエナは、アルのことをきっ、と睨みつけた。
「深夜に人の部屋に勝手に立ち入って、一体どおいうつもりなのかしら?」
「一つ質問がある。この銀行には、足を踏み入れた人物には一切介入してはならないという掟があると聞いたのだが、それは金を払っていない人物にも適用されるのか?」
「されるわけないじゃない」
ミダスはアルの質問を一蹴した。
「いーい? この世で最も大切なのは、お金! お金を払った人はお客様として丁重におもてなしし、預かったものは全力で守る義務があるけど、それ以外なんてゴミクズ以下よ! お金を持って出直していらっしゃい!!」
「…………」
ミダス総裁のあけすけすぎる言い方に、ルーチェは絶句した。
「わ、私が入職当初から言われ続けていたのと違うんですけど……」
「これだけ組織の規模が大きくなると、色々と複雑かつ厄介になるのよねぇ。これはダメだけどあれはイイってなると、例外事案が発生した時に面倒でしょお? だからシンプルでわかりやすい掟を作ったのよ」
「なるほど……」
「だから、表向きにはダメだけど、本音で言えばお金を払ってない奴のことなんてどおだっていいの! アタシにとって何よりも大切なのは、お金だけなんだから!」
非常に方向性が明確な総裁だった。
アルは片眉を吊り上げルーチェを見る。
「だ、そうだぞ。お前が気に病むことは何もない」
「は、はぁ……」
「それよりアンタ! ウチの職員よね? 名前は?」
「ルーチェ・アイローラと申します」
「そう、ルーチェちゃんね」
ミダスは立ち上がると、ルーチェの全身をジロジロと見つめる。身長が百八十センチはあるであろう美女に品定めされ、落ち着かない気持ちとなった。そうしてルーチェの周囲を一周したミダスは、親指を突き出して笑顔を作った。
「合格! 特にその瞳の色がいいわね! お金を彷彿とさせる色合いは大好きよ! 制服も似合っているわね!」
「ありがとうございます」
「で、アンタ」
ミダスは次にアルを見つめ、剣呑な色を瞳に宿す。
「さっきの質問から察するに、ウチのカワイイ職員を巻き込んで早速何かやらかしたみたいね」
「俺はただ、心優しい先輩の望みを叶えて善行を行っただけだ」
「アンタが善行ぅ?」
ミダスはハッ、と鼻で笑った。
「よく言うわね、その昔大陸全土を恐怖で陥れた魔王バアル・ゴエティア様?」
「バアル・ゴエティア……? まさか、ルキフグスの伝説の大悪魔!?」
「ご明察」
ミダスの肯定にルーチェは身震いした。
それは、この世界に住まう者ならば誰もが知っている歴史上の出来事。
魔族の国ルキフグスにおける七十二人の悪魔序列第一位。六十六の軍団を率い、かつて恐るべき力を持って地上を混乱に陥れた、人呼んで「魔王」バアル・ゴエティア。
まさかそんな伝説上の存在が、今この目の前にいる男ですって?
ただ、それならば納得いく点もある。
古に失われた魔法を使えることも、複雑な亜空間魔法を指パッチン一つで使ったことも、機械族の追跡・位置特定を瞬時にやってのけ、一瞬でその場所まで移動したことも。そして何より、あの魂の欠片に込められた膨大なまでの魔力。
「アタシとバアルは古くからの付き合いでねぇ。五百年前の人魔戦争でアタシはこの男を討伐する側に回るはずだったんだけど、この男が差し出して来たお金を前にして、考えを改めたのよ」
「ミダスの魔法は強力だから、出来れば戦いたくなかったからな。おかげで俺はまだこうして生きている」
「歴史書に載っている……バアル・ゴエティアが負けたって言うのは……」
「真っ赤な嘘だ。ただ、目立ちすぎると討伐対象になると言うことを学んだから、あれ以来ひっそり暮らしてる。最近は長すぎる生を持て余していてな、暇つぶしにミダスがやっている魔法銀行に顔を出すことにしたんだ。この銀行は俺がやった金でミダスが建てたものだから、俺も出資者の一人といえる」
「パトロンって便利な存在よねぇ」
「え、じゃあ……ミダス総裁って、今現在の年齢は……」
「ヤダァ、レディーに年齢を聞いちゃあダメよ、ルーチェちゃん」
「お前男だろう」
「うっさいわね」
バアルの言葉を聞いたミダスは、ハイヒールでバアルの足の甲を踏み抜こうとし、さっと足を避けられて黄金の床に弾丸のような丸い跡を残していた。
「ミダスの代わりに答えてやろう。こいつは五百四十七歳、ついでに俺は五百二十八歳だ」
「ご、ごひゃく……!」
「若さを保つのも大変な年齢なのよう」
頬に手を当てて物憂げなため息をつくミダスは、誰が見たって二十歳そこそこの美女だし、バアルもせいぜい二十歳後半くらいにしか見えない。新人職員アルの時はもっと若く、ルーチェと同じ二十歳に見える。
規格外の魔法を行使する二人を前にルーチェはくらりと眩暈がした。
「ど、どうしてそんな伝説の存在ともあろう方が、正体を隠して新人職員なんかやってるんですか!」
「言っただろう、暇つぶしだ」
そこでバアルはニヤリと笑い、赤い瞳でルーチェを射竦める。
「モンテシエナで最初にルーチェと会った時、思ったんだよ。……ここで働いてみるのも、悪くないかと」
「…………!」
「と言うわけでこれから先もよろしくな、センパイ?」
小首を傾げて言われても、ちっとも嬉しくなんかない。
しかしその顔は惚れ惚れするほど美しく、まさに人外の魅力を漂わせており、ルーチェは思わず顔に熱が上るのを感じとっさに叫んだ。
「み、魅了魔法は禁止って言ったでしょう!」
「使ってない」
「は!?」
「そんなものは使ってないぞ」
そうしてバアルはますます笑みを深めた。
「……おかしいな、俺は魅了魔法など使っていないが。それでもそう言うということは、つまり……俺に惚れたか」
「ち、違うわよ! そんなわけないでしょう!」
ルーチェは全力で否定する。
「危険な魔王と知っていて恋をするほど、私は愚かじゃないわ! しかも普段は後輩なわけだし!」
「そうかそうか」
クックッと喉を鳴らして笑うバアルは非常に愉快そうで、ルーチェは敗北感を感じて悔しくなった。
ルーチェは自分に言い聞かせた。
落ち着くのよ、ルーチェ。相手のペースに飲まれては思う壺だわ。
バアル・ゴエティアといえば、大地のことごとくを闇で飲み込み、人類に絶望を抱かせた史上最悪の大魔王。そんな相手に恋をするなんて、あり得ない。
けれど……。
ルーチェの憂いを感じ取り、機械族の居場所を特定し、聖女の涙を取り戻した手腕は感嘆に値する。実はいい奴なんじゃないかと思わずにはいられない。
「…………っ!」
ルーチェは頭をブンブン振って、考えを打ち消した。
「いーい? あなたが古の魔王でも、総裁の知り合いでも、普段は私が先輩であなたは後輩なんだから、そのことを肝に銘じておくのよ!?」
「ああ、魂に刻みつけておこう」
余裕綽々で返事をするバアルに、ルーチェは何年経っても敵わないんじゃないかと思い知らされた。
バアルはミダスに話しかける。
「お前のとこの職員は、面白いな」
「ウチの優秀な職員で遊ばないでちょうだいよ」
ルーチェは現実逃避のため、頭の中で家族に向けた手紙の一節を思い浮かべる。
拝啓、伯爵領地にいるお父様お母様ならびに可愛い弟妹たち。
元気にしていますか?
私は今、とてつもなく厄介な事態に巻き込まれています。
昨日入ってきたばかりの後輩のアル・エティアは、実は古に滅んだと思われていた魔王バアル・ゴエティアで、しかも当行の最重要顧客です。
顧客情報は一切知ってはならないことになっているのに、色々知ってしまった私はどうすればいいのでしょうーー。
平穏無事に仕事をしたいだけなのに、どうしてこんな目に合うのかはわかりませんが、ひとまずは伯爵家の収入のために、これからも頑張って働きます。
決して送れない手紙を脳内で書き上げたルーチェは、直後に全てをかき消した。
兎にも角にもルーチェとアルのモンテシエナ中立魔法保管銀行で働く日々はまだ、始まったばかりである。
魔法銀行の受付嬢と後輩の魔王様 佐倉涼@10/30もふペコ料理人発売 @sakura_ryou
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