夢画家、獏
白野椿己
第1話
先程まで壊されてボロボロだった街は、瞬く間にポップでおもちゃの国のような空間へと変わっていく。
並んで咲く家より大きな花、空を泳ぐ一筆書きの魚、太陽と月が同時に存在する空、アイスが溶けたようなカラフルな鍵盤、乗って歩くことが出来る雲。
星のステッキを持った白ウサギが三日月に乗り、コンペイトウみたいな星粒を街へと降り注がせている。
雲にゴロンと寝転がるモスグリーンの上着を着た人物は雑誌を読んでいた。体は2mに届きそうなほど大きく、服からは逞しい筋肉がのぞいている。
濃い隈のある目は非常に鋭く鮫のような雰囲気を持っている。横ではライフル銃が添い寝をしていた。
傍らで絵を描く姿をチラリと見てから、聞かせるように記事を読み上げ始めた。
「夢画家獏とは、夢に現れる2人組の画家の事だ。
彼らは必ず悪夢に現れ、バクが悪夢を食べるかの如く退治してくれるらしい。
しかも色鮮やかな塗料で夢をどんどん描き変えていくそうで、その姿はまさしく画家の名にふさわしいのだとか。
不思議な事に、この事をSNSに投稿する人々は口を揃え彼らをこう表現する。
『小さな春と、大きな軍人だった』と。
誰も顔を覚えていないのに特徴は似ているものが多い。そして彼らに会ったものは皆、それ以降悪夢を見る事は無くなったらしい。
悪夢を見る君に、幸あらんことを」
絵描きの横でそれを眺めていた人物は声を出さぬままクスクスと笑い始めた。
ピンク水色黄色が入り混じるパーマがかった髪、新芽のようなアップルグリーンの瞳。
全体的にパステルカラーの服に身を包むその姿は、まさしく春を擬人化したようだ。
その横で、ベレー帽をかぶった白と黒の生き物がプルプルと震えだす。
右前足に持っていた筆を耳の当たりにさしてクルリと振り返った。
黒いはずの顔が真っ赤に染まる。
「もー!なんでいっつもバクの事ダレも覚えてないの?どうして2人ばっかなのー!!」
「織部達も顔を忘れてもらうようにしているが、ヌー先生はいつも丸ごと忘れられてしまうな」
「本当だよやんなっちゃう!・・・こらユーセイ笑いすぎだぞー!」
プンスカと怒る生き物は水玉模様の腹巻を付けており、その隙間から白い体毛が見える。
腹巻には襟やポケットが付いていてツナギを連想させた。ツナギ腹巻には所々絵の具やペンキが付着しており、左前足も3色の染料で彩られている。
彼は夢喰いバクのヌレ・テンジャロ。
姿はマレーバクにとても似ているが、ぬいぐるみのようにフワフワしていて白の模様も少し違う。
そして見た目の通り、画家だ。
大きな花も、空を泳ぐ魚も、カラフルな鍵盤もすべて彼が描いた夢の一部なのである。
「ヌー先生はこんなにも可愛いのにな」
「よせやい、分かってるからー!その雑誌は、最近のやつ?」
「あぁ、昨日本屋で見かけて買った」
雲に寝転がっていた軍人のような人が上半身を起こし、あぐらをかいてヌレ・テンジャロを見つめた。
頬杖をつき雑誌をつまんでプラプラと揺らす。
織部蜜季、いかにも恐そうな見た目にハスキーで低い声が合わさり、鋭さに拍車がかかっている。
よく勘違いされるが、れっきとした女性である。
「ヌーちゃん、染料調合終わったよ」
「お、じゃあ10分待ってから振分けておいてー」
春のような青年が頷いてから、少し大きな砂時計をひっくり返した。
彼の名は春野夕聖、時々『春の妖精?』と聞き返される見た目も雰囲気もファンシーでメルヘンな男だ。
織部の横に座り雑誌を覗き込み、もう一度記事を読んでキャッキャと手を叩いて笑い出した。
非常に口数は少ないが、代わりに普通の人の5倍くらい表情多彩でリアクションが激しい。
織部が眉をひそめ顔つきが一層険しくなる。
「今日はこの悪夢の主が見つからなかった」
「そうだねー。だからリラックス作用の染料を中心に使って、トゥインクルにも星のシャワーをお願いしたよ」
「根が深そうだったからな。夕聖、10分たった」
春野が梅干しのようにクシャクシャとした表情を浮かべてから立ち上がる。
そして大股で助走を付けて、見えないバーを背面で飛ぶようにして雲の外へ飛び出した。
軽やかに宙を舞い10mほど下にあった雲にポヨンと着地する。その雲に乗っていた機械を触り、タンクの液体をいくつかに振り分け始めた。
ヌレ・テンジャロが瓶のインクに筆を付けて描こうとすると、ほとんど色が付いていなことに気付いた。
「あれ?もうインクがないな」
「どれ」
「天の川のやつー」
「夕聖、天の川ストックあるか?」
織部が春野に向かって大きな声で話しかける。彼は両手で大きな丸を作り、雲から雲へスキップして染料タンクまで移動した。
スイッチを押し瓶にインクを入れると、ポケットからペンを取り出し空中に風船を描く。
立体化した風船を掴みヌレ・テンジャロ達のところまで飛んで戻ってきた。とってもニコニコご機嫌だ。
「インクのキラキラ感増してる?!天才!」
「それでそのドヤ顔か」
いつもマスクを付けているので口元は分からないが、目元だけでも自慢げなのがよく分かった。
左眉のアイブロウピアスが太陽に反射しキラリと光る。
織部がその光に目を細めた時、春野の後方に動く黒いモヤが目に入った。
彼女は彼をヌレ・テンジャロに向かって軽く押し、ライフルを手に取りしゃがんがまま引き金を引いた。
パァンと弾ける音が響き黒いモヤは風船が破裂したみたいに散る。
「まだ居たか」
雲の下から這い出るようにして黒い5本の影がにゅっと伸びてくる。
彼女が素早く5か所の先端を撃ち抜くが、先が破裂するだけで影は消えなかった。
そしてケタケタとあざ笑うかのように、揺れる。
ヌレ・テンジャロはじっと影を見つめ、触れないように気を付けながら空を描き続けた。
彼女はヌレ・テンジャロの邪魔をしまいと、影に銃口を向けたまま場所を移動していく。
やがてうねうねと動いていた影は四方八方にポンと弾け、大量の真っ黒な風船に姿を変えた。
春野が風船の方へ走って飛び上がると、足元めがけ円盤が飛んできた。
彼の動きに合わせて織部がどんどん上昇していく風船を1つずつ撃ち抜いていく。
円盤は風船の弾けた残骸を1粒残らず吸い込んでいく、丸いお掃除ロボットのようなものだ。
彼らはこのように悪夢を退治し、回収して染料に変える装置の所まで運んでいる。
あっという間に50ほどあった風船全てを処理し終えた、とても手際が良い。
地面近くまで降りてきた春野は円盤から飛び降り、織部はライフルを背中に戻した。
「悪い、取りこぼしがあった」
「大丈夫だよー、ありがと2人とも」
「厄介なタイプだったな」
「(あの漆黒の影。おそらく、ヤツの撒いた悪夢だねー)」
ヌレ・テンジャロには思い当たる節があった。
人の弱った心につけ込み意図的に悪夢を見せるヤツがいる。
繰り返し悪夢を見せ、完全に衰弱しきったところで心をバクンと食らうバケモノ。
やっと、やっとヤツの悪夢を見つけた。
そしてもっと探さなければならない、ヤツの手がかりを。
そして、描き続けなければいけない。ヌレ・テンジャロはローラーの柄をぐっと強く握りしめた。
キラキラの青空、白やピンクの綿菓子雲、空を飛ぶオレンジと黄緑の汽車ぽっぽ、そこらじゅうに咲く黄色の花、海と空を行き来する紫の魚。
カラフルな建物に宙を舞ういろんなお菓子、子どもの理想を描いたようなわくわくするテーマパークが目の前に広がった。
ヌレ・テンジャロが夢を描き終えたのだ。
「うん、終わり!2人ともオツカレー」
「雲が多めだな、これもリラックス効果か?」
「少しの間だけでもぐっすり寝られるようにね」
春野は汽車に乗って空中散歩を楽しんでいる。織部と目が合い、ブンブンと大きく手を振った。
織部も左手を軽く上げて返事をする。
白ウサギのトゥインクルはいつの間にか仕事を終わらせて帰ったようだ。
ヌレ・テンジャロはぐーっと大きくを伸びをしてゴロンと後ろに転がる。
ヌレ・テンジャロは今日も、夢画家として1つの大仕事を終えた。
「(願わくば、あなたの悪夢を忘れますように)」
そしてこの夢を見たあなたが、笑顔で朝を迎えられますように。
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