第50話 悪い子、アリシア ~帰宅~


「……優しく……してほしいです、お姉さま」


 私はなんだか今起きていることが現実では無いように思えて、全身を脱力して、ぼーっとしながらそうつぶやいた。


 その様子に、抵抗を抑え込むのに必死だったお姉さまは一瞬動きを止めた。


「……なさい……」


「……え」


 お姉さまは私の服の襟を、ぎゅっと強く握っている。


「めん……なさい……ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


「お姉……さま?」


 お姉さまは掠れた小さな声で、まるで魔法の呪文のように、何度も何度も謝り始めた。


「ど、どうして? どうして謝るの?」


「……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……私なんかが触れていいはずないのに、ずっと我慢してたのに、私、ごめんなさい、こんなの嫌ですよね、ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさい……ごめん、なさい……本当にごめんなさい……」


「お姉さま……? 泣いてるの……?」


 私の身体の上に、馬乗りになったまま、私の服の襟をぎゅっと絞るように掴んだまま、お姉さまは身体を震わせて泣いていた。呪いみたいに謝りながら、身体を震わせて、顔をくしゃっと歪ませて、唇を噛んで泣いている。


「あ……」


 涙がぽたぽたと垂れて、私の胸の上に、雨の雫みたいに落ちる。


「あぁぁ……」


 今までの比ではないくらい、私は後悔した。血の気が引いて、くらくらして、気を失いそうで、吐きそうだった。


 お姉さまをこんなに苦しませてしまうなんて知ってたら、絶対、媚薬なんて作らなかったのに。


 強力な媚薬の効果を受けながら、それでもまだ、お姉さまは必死で、いつもみたいに距離を測ろうとしてくれていた。近づきすぎたから離れようと、離れようとして離れられなくて、私の心に、身体に、土足で踏み込んだことを必死で謝っていた。


「ごめん、なさい、ごめんなさい……私こそ、ごめんなさい……お姉さま、謝らないで、泣かないでください……」


 お姉さまの切ない声を聴いていたら、私の身体も勝手に同調して、気づけば泣き出していた。お姉さまの倍は謝らなきゃいけない気がして、私は必死で謝った。


 それでもお姉さまは、もう抵抗できないみたいで、泣きながら虚ろな目で、また私に顔を近づけて……


 そうしたらもう、私は抵抗なんて辞めてしまおうと思った。お姉さまは……媚薬が効いていてもこんなに謝るくらいなのだから、その効果が切れたとき、ひどく後悔して、悲しむだろう。だから本当は、止める手段があるなら、なんとかして止めたかった。


 だけど私は拘束されているし、魔法でお姉さまにかなうはずもない。だったらせめて……


 お姉さまを……楽にしてあげたかった。いっそ、お姉さまが罪悪感を覚えないくらいに受け入れてしまえば……


「ごめんなさい。好きに……してください」


 私がそう言って、お姉さまに突き出すように、くいっと顔を上向けた時……



 ドォン!



 大きな音がして、扉が蹴り開けられた。


「なっ……メイ⁉」


 悲しみも、切なさも、興奮も、淫靡な雰囲気も、全部蹴り飛ばして、買い物から帰宅したメイがダイナミックに入室した。


 私は驚いてそちらを見ているが、媚薬の効いているお姉さまは見向きもしていなかった。


「うーむ、まだ明るいのに……お盛んですね。しかしベッドではなく居間でやるというところを見ると、これは私も混ざっていい流れでは?」


「馬鹿言ってないで助けなさい、メイ! お姉さまを捕まえて!」


 さっきまでもう諦めかけていた私だったけど、メイが来たのなら状況は別だ。お姉さまに、謝らせながらこんなことさせてはいけない。きっと私も、お姉さまも、一生後悔してしまう。


 二人の初めては、こんな形であってはいけないはずだ。


「御意」


 メイは短く言うと、瞬間移動でもしたみたいにお姉さまに近づくと、すとん、と軽く手刀をお姉さまの首へ打ち下ろした。


 するとお姉さまは糸が切れたように力と意識を失い、私の上にふらっと倒れこんだ。柔らかく、温かい身体が、先ほどまでと違って包み込むように私の上に覆いかぶさった。


「暗殺者メイド、熟練の業です。よい子は真似しちゃ、駄目ですよ」


 人体の構造上どういう原理で気を失わせているかもわからない技術で、メイは媚薬で隙だらけのお姉さまを気絶させた。


「はぁ……何やってるんだろ、私」


 メイがお姉さまをソファに寝かして、私のリボンをナイフで切って拘束を解く。


 その間、涙を拭くこともできずに、私は天井を見つめていた。けれどメイに手の拘束を解いてもらってからも、すぐに涙を拭く気にもなれずに、私はそのまま横たわっていた。


「だから言ったでしょう? マリー様は、アリシア様のことを大事に想っておいでだって」


「……こんなことでもしないと、分からないのよ。信じられないの。私……馬鹿で、可愛くなくて、悪い子だから」


「様子を見るに……どうやら馬鹿なのは否定できませんね。大方想像はつきますが、とりあえず、何があったのか話していただけます?」


 メイは昔から察しがいい。お姉さまが異常だったのが、お姉さま自身のせいではないことに気づいているようだった。


 あーあ、昔みたいに、メイに怒られてしまう。


 でもなんだか、せめて誰かに叱って欲しくて……私は言い訳もせずに起きたことを全部、メイに話した。

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