第39話 海洋都市へ



「お姉さま……またお出かけですか?」


 寝室の鏡台で支度を終えてから居間に戻ってくると、アリシアが怪しさ満点の表情でこちらを睨む。


「は、はい。少し出てきますね」


「本日は、どちらへ?」


 アリシアの声が、何故かいつもより冷たい気がする。微妙に気まずい雰囲気を察してか、メイは素早く庭へと姿を消した。なんという危機察知能力だろうか。さすが、元凄腕暗殺者。


「ええっと、王都へ……」


「また王都ですか? リサさんのところですよねえ?」


「そ、そうですけど……」


「以前はお姉さまが全然出て行かないから、リサさんの方から会いに来ていたというのに……最近はずいぶんと積極的でございますこと」


「う、うぅ……」


 もちろん後ろ暗いことなどなく、私はあくまで空間魔法を身に着け、計画を進めるためにリサに会いに行っているのだった。


 私が空間魔法を使って為そうとしていることは、主に二つ。


 一つは、アリシアのお付きだった魔女、シャルロッテを救うために使うこと。

 もう一つは、手狭になった家を何とか拡張するために使うということ。


 元々は、アリシアが小屋に来た時に手狭になるからと学び始めた空間魔法だったが、結構難しくてなかなか研究は進まなかった。メイという同居人が一人増えたことで、そろそろ本腰を入れないといけないと思ったところだったが、今はシャルロッテを救うことが第一になってしまった。


 王城からシャルロッテを救い出すにあたって、正面玄関から尋ねて檻から出して、さあ一緒に帰りましょう、なんて言うわけにはいかない。シャルロッテを助け出すには魔法の力を借りた方がいいだろうし、使うとしたら空間魔法が一番向いていると思ったのだった。


 しかし、シャルロッテが捕まっていることも、それを助け出そうとしていることも、私とメイが勝手に進めていることであり、アリシアには内緒なのだ。

 それゆえ、アリシアが妙に私が忙しそうにしていることを怪しむのも仕方のないことだった。


「ま、ただの弟子である私には、関係のないことですから。ご自由にどうぞ」


「ア、アリシアぁ……そんなに怒らないでください。私はただ……」


「怒ってなどいません。断じていません。ふんっ……」


 怒ってない人は、ふん、何て言わないし、腕を組んで顔を背けたりなんてしない。しかし理由を話すわけにもいかないので、私も上手くはごまかせない。元々嘘を吐くのなんて滅茶苦茶下手な性分なのだ。


「夕方ごろには帰りますから。留守をお願いしますね? ……ね?」


「はいはい、わかりましたよー。弟子なのに勉強も見てもらえずに、一人寂しく座学していますので!」


「も、もう……今度ちゃんと教えますから……」


 もう何を言ってもアリシアはもっと不機嫌になるばかりだと察して、私はそそくさと玄関に出て、箒を掴んだ。




 いつものように時間をかけて王都にたどり着くと、リサの店ではたまたま数人の魔法使いが買い物をしていたようだった。


「いらっしゃ~い……って、あぁアンタか……」


 私が入口から入ってすぐに、どうしたらいいかおどおどしていると、気づいたリサが指でくいっとカウンターの後ろを指さしたので、裏で待たせてもらうことにした。


 ほどなくしてリサが接客を終えて、大きなため息を吐きながら正面の席についた。


「いやぁ~……つっかれた! アンタの魔石、結構評判良くて、客足も増えちゃって面倒なのよ。どうしてくれるの?」


「えぇー? いいじゃないですか、繁盛してるなら。何で文句を言われないといけないの……まぁ、黒森なんてじめじめしたところまで、わざわざ魔石取りに来る人なんていませんよね……」


「っつーか、危ないからね、あそこ。普通の人からしたら」


「そ、そうなんですね。うちには強い人しかいませんから……」


 アリシアは自衛のために剣技を身に着けているようだし、すでに簡単な魔法も覚えているので危険はないだろう。メイなんて買い物に行ったって、メイド服を少しも汚さずに黒森を抜けてくる。二人とも頼もしい限りだった。


「メイドが一人増えたって……あんな狭い家にメイドなんか必要? そもそも三人が住むには狭すぎるんじゃないかしら」


「だから空間魔法を学びたいんですってば」


「あぁ、そうだったわね。でも空間転移を学びたい理由にはならないんじゃない?」


「それは……その……」


「ねーえ、私に隠し事なんて、百年早いわよ、マリー。アンタが考えてることなんて、全部顔に浮き出してくるんだから」


「えぇ……」


 思わず頬を抑えたが、そんなに表情に出るものだろうか。具体的思考まで表に現れ出られたら、生きづらいことこの上ない。


「じ、実は……」


 どちらにしろ、計画が進むにつれてリサにはもっと深くまで話さざるを得ない。だから私は今までメイとしか話していなかったシャルロッテを救うという計画を、リサに話すことにした。


 しかし、たどたどしく説明をするほどに、リサの眉間には深く皺が寄っていった。


「アンタ、ねぇ……お姫様を匿っているかと思えば、今度は王城から魔女を救い出す、ですって⁉ 目立ちたくないとかいいながら、なんでそう、やろうとすること全部とんでもないことばかりなのよ!」


「え……知っていたのですか? アリシアが王女だってこと……」


「気づかない方がおかしいでしょ。王女よ? それも最近姿が見えなくて、魔法使いの間でも何かあったんじゃないかってもっぱらの噂だったじゃない」


「な、なんで知ってたのに教えてくれないんですか! そうやっていっつも意地悪ばかりして……」


「うっさい。あんたが世俗と関わってお友達を沢山持ってれば自ずと入ってきた情報でしょ。人を遠ざけるんだったら、甘んじてそのデメリットも受け入れなさいよね」


「う、うぐ……だ、だって……」


 ぐうの音も出ずにただ悔しそうに顔を歪めていると、リサは軽くため息を吐いて話を再開した。


「ったく。仕方ないわねぇ、ほんとに。アンタには私しかいないんだから、もっと私を大事にしなさいよね?」


「は、はい……」


 実際のところそうなのだから、反論できない。リサが気にかけてくれたおかげで、私もアリシアに会う前に、人と話さな過ぎて言語能力を失うという事態に至らずに済んだのだ。


「素直でよろしい。で……空間魔法、ねぇ。知っての通り、私が得意なのは闇と影を操る魔法だから……基礎的な知識以外は力になれないわよ」


「そ、そうですよね……どうしましょう」


「けど、よく知っている魔女を紹介してあげることはできるわ」


「本当ですか? で、でも、うーん……」


「どうしても成し遂げたいことがあるなら、嫌なことも多少はやんなきゃダメでしょう?」


 リサは一瞬で、私が他の魔女とあまり会いたがっていないことを見抜いたらしい。やはりリサには、絶対に言い合いでは敵わないことだろう。


「海際の魔女、ラピス。魔術学校の……まぁ私の後輩ね。ちょっと変わっているけど、空間魔法のことなら右に出る者はいないわ。どう? 会ってみる?」


 リサの言う通り、目的を果たすためには、多少は冒険しないわけにはいかないだろう。リサだけに頼るわけにもいかないし、少しは自分で動かなくては。私はそう考えて、ゆっくりと頷いた。


「いいわ。じゃあ、ちょっと待っててね」


 リサはそう言うと、黒い指揮棒のような杖で紙と羽ペン、インクを引き寄せて、カリカリと素早く手紙をしたためた。そしてそれを軽く折っていき、折り目に杖先を這わせると、それは紙飛行機の形になった。


「ほい、行っといで」


 リサが窓を開けてそこから杖で紙飛行機になった手紙を飛ばすと、それは明らかに風以外の力も借りながら、高度を上げて飛んでいき、すぐに見えなくなった。


「ラピスには、すぐアンタが行くって手紙を送っておいたわ。まあ、私も沢山貸しがあるし、快く力を貸してくれるでしょ……多分ね」


「本当? ありがとう、リサ」


「いーえ、お礼は身体で払ってもらうわよ」


「はっ⁉」


 私たちは二人で窓の外を覗いていたが、リサは突然、私の肩を掴む。私が後ずさると、リサはそのまま距離を詰めて、私は机の前まで追い詰められる。


 それでも顔を近づけて来るリサから何とか距離を取ろうとして、私は上体を机の上に寝かせてしまい、リサは容赦なくそこに覆いかぶさる。


「ふふふ……さぁて、どうしてやろうかしら」


 リサの長い黒い髪が首筋に当たる。


「り、リサ……まさか、また……」


 リサが顔を近づける。あの時されたように、また激しい口づけをされてしまうのだろうか? そう思うと心臓が爆音で鳴り始める。

 でも、そんなのは駄目だ。さっきだって、アリシアに怪しまれたばかりなのに。

 アリシアが知ったらきっと悲しむはずだ。だって、私とアリシアは……


 あれ? 私とアリシアは、何なんだっけ? 少なくとも、恋人という関係をはっきり結んだわけではないような……


 湿っぽい吐息が首筋を撫でる感触……それに陶酔しかけた時、突然首筋に痛みが走った。


「あ、痛っ……」


 首筋の、顎に繋がる部分に感じた痛みに思わず手を添えると、リサは身体を離して、ぺろりと舌なめずりをした。

 アクセサリーでも当たったのだろうか、と思ったが、リサはそんなものをしている様子はなかった。


「はい、ごちそーさま」


「え……? 何? 何なの?」


 てっきりキスされると思っていたのに、妙な痛みを感じただけで、私はつい拍子抜けしてしまう。もちろん期待していたわけではない。全くもって期待なんてしていない。


「言ったでしょ? ラピスは変わった子なの。あの子がおイタしないように、唾つけとかないとね」


「唾を……? 付けただけですか? でも少し、痛かったですよ……?」


「ふふ、バーカ」


「何? 何なの?」


「ラピスはここから南の、海につながる海洋都市に住んでいるわ。って言っても、空間魔法でそこかしこに顔を出しているけどね。まあ行ってごらんなさい」


「うん、ありがとうリサ。準備して、行ってきます」


 こうして私はリサの後輩、ラピスに協力を仰ぐことになった。海洋都市に行くのは初めてだが、大体の場所は知っている。今から箒を使って行けば、すぐにたどり着けるだろう。


 リサにされた事の意味はよくわからなかったが、ひとまず気にせず私は海洋都市に向かうことにした。

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