3. 始まりの爆発
まるで宇宙を漂っているかのような浮遊感が全身を包み込む。
意識はないはずなのに、この黒いもやの中を永遠にさまよっているような不思議な感覚。
不意に、近くで誰かの声が聞こえた気がして目を開けた。
目の前には見覚えのない女性の顔がある。
これは誰なのだろうか。
柔らかい笑みを浮かべるその女性は、こちらに両手を伸ばして体をまさぐってくる。
――やめろ! 何するんだ! お前は誰だ!?
「あっ、あうっ……あっ……!?」
声を出そうとしても、なぜか言葉にならない音が口から漏れる。
体を動かそうとしても思うように動かない。
「あらあらどうしたの? お腹すいちゃったかな?」
その女性は優しく少年に話しかけると、その体をそっと抱き上げた。
――なんで喋れない! なんで動けない! これじゃ、この女から逃げることができない!
女性の手の感触がくすぐったくて、少年は身をよじった。
それでも、女性は少年を離そうとしない。
少年の脳裏に負の記憶が蘇る。
体を触られるというのは、物を盗まれるときか、貴族に痛めつけられるときくらいしかなかった。
この女は自分をどうするつもりなのか。
ナイフを突き立てるのか。
首を絞めるのか。
腕をもぎ取るのか。
殺すのか。
しかし、少年の予想は見事に裏切られた。
女性は少年を優しく抱きしめたのだ。
初めて感じる人の温もり。
少年は気付いた。この女性は敵ではない。
混乱が収まり冷静さを取り戻すと、自分の状況がだんだんとつかめてきた。
少年はどうやら赤子に転生したらしい。
名前はアヴェン・ロード。
本当に人生を最初からやり直せるということだろう。
そして、この場所は孤児院だということもわかった。
女性は黒い修道服を着ているため、この教会のシスターだろう。
教会が孤児院を営んでいることはよくある。
死後の世界の選択通り、男、平民、記憶保持、これらの条件で生まれ変わったようだ。
すると、突然口に哺乳瓶が突っ込まれた。
先端から溢れ出るミルクが少年の喉を潤し、胃袋に流れていく。
確かに空腹ではあったが、大人の女性に抱っこされてミルクを飲ませられるというのはどうなのだろうか。
しかし、前の人生では、ゴミ箱をあさってなんとか食糧を確保する日々だった。
それに比べればはるかに幸せな環境だ。
「アヴェンちゃん、おいしい?」
――正直、かなりうまい。残飯と比べたら天と地の差だ
ミルクを全て飲み干すと、シスターはアヴェンの背中を優しくさすった。
ゲップを出させたいのだろう。赤子のお腹に余分な空気が溜まるのを防ぐためだ。
そこで、アヴェンはふと思った。
――そういや、あの神は強さも与えるって言ってたよな? あれはどうなったんだ?
アヴェンは疑問に思いながら、体の中に意識を集中させた。
「なかなか出ないわねえ。アヴェンちゃん、頑張って」
シスターに背中を軽く叩かれる。
それと同時に、心臓の辺りから何かもやもやしたものが広がるのを感じた。
――なんだこれ? あれ、なんかやばくね? 全然おさまらないんだけど……!?
まるで血液が流れるように、黒いもやが全身を駆け巡る。
心臓の鼓動と共に、体中がひしめいてドクンドクンと脈打つ。
それをゲップの前兆ととらえたのか、シスターはさらに叩くペースを早める。
「もう少しで出そうですねえ」
――違う、違うぞシスター、出るのはもっと危険な何かだ!! もう抑えが効かない!! これ以上叩くのはやめてくれええええええ!!!
莫大な力の奔流がアヴェンの体をパンパンに満たし、さらに外側に溢れ出ようと内部から圧をかけてくる。
このままでは体が爆発してしまう。
こんなにも優しいシスターの顔面に、血と肉の塊を浴びせることになってしまう。
「アヴェンちゃん、頑張れ、頑張れ」
――シスター本当にやめて!! お願いします!! 目の前で赤ちゃんが破裂してもいいのか!!?
きっと歴史に名を残す大事件になるだろう。
犯人はシスター。
赤ん坊の背中を叩き爆殺した罪。
そんな悲劇を起こさせるわけにはいかない。
少年の第二の人生が、そんな悲惨な終わり方でいいわけがない。
しかし、その思いとは裏腹にアヴェンの体内から黒いもやが噴出する。
「あれ? アヴェンちゃん大丈夫? 何でしょうこの黒いもやもや」
――だからダメって言ったのに!! もう無理だああああああああ!!!
その瞬間、盛大な爆音と共にアヴェンの体から黒いもやが爆散した。
どこかでテロが起こったのかと思うほどの轟音が響き渡り、地響きが鳴る。
教会の周囲の森からは驚いた鳥たちが一斉に飛び立ち、ギャアギャアと混乱を顕にする。
急に抱いていた赤子が爆発し、シスターは黒いもやの中、顔をこわばらせて絶叫した。
「アヴェンちゃああああああああああああああああああん!!!!?」
少年の第二の人生の幕開けは、まさかの自爆だった。
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