2. 蝶の選択肢
死後の世界は妙に明るかった。
晴れ渡る青い空。流れる白い雲。透き通った空気。
そして、足元に広がる花畑。
不気味なのは花の色だ。
黒い花と白い花。それらが入り乱れながら地平線の彼方まで続いている。
「なんだここは……? 俺さっきあの変な神に食われたよな……もしかしてダマされたのか? 本当は俺の命を食い物にしたかっただけで、強さを与えるとかは嘘だったんじゃねえのか?」
そもそも神ということすら嘘かもしれない。
窮地に陥って混乱し、ハエの群れが集まったような見た目のあの黒いもやを信じてしまったが、今思えば神というより悪魔と言われた方が納得がいく。
「ここはやっぱ死後の世界なんだろうな。ちぎれた腕も元通りになってるし、あの自称神にまんまとダマされて殺されたってわけか……」
少年はため息をつき、花畑を眺めた。
「本当に俺の人生はろくなことがねえな……」
貴族にいいように弄ばれて、最後は理解することすらできない超常現象に命を奪われるなんて、あまりにも散々な人生だ。
助けなんてこない。伸ばした手を握ってくれる人なんていない。
運命は変わらない。
そのとき、少年が眺める地平線の先から、小さい蝶のような生物が近づいてきた。
「なんだあれ? 虫にしては大きすぎねえか?」
その生物は少年の目の前まで来ると、羽をパタパタと動かしながらその場に留まった。
顔は球体で、ゴマのような目とギザギザの触角が二つずつ付いているだけのシンプルなもの。
そこから赤と紫の斑模様が特徴的な細長い胴体が伸びており、糸のような黒い線が四本くっついている。これは手と足なのだろうか。
『 私は死者を世界の外へと導く者。 名はありませんが、神々はスプリテュスとお呼びになります 』
その生物は礼儀正しく頭を下げた。
神のときと同じように脳内に響いてくる不思議な声。
しかし、神とは違いこの生物の声は異常に高い。
「死者をってことは、やっぱり俺は死んでるってことか。あの神もどき、よくもダマしやがったな……! 死にかけの子供を弄んでそんなに楽しいかよ! なあ、あいつにもっかい会えないのか?」
『 ここに来た者は世界外空間に溶かし込まれます。 そこは何もない無の空間。 散り散りになった体の粒は、もう二度と、ひとまとまりになることはありません』
「あの、無視ですか……」
少年の問いなどまるでなかったかのように話を続けるスプリテュス。
その異質さに少年は会話を諦め、話を聞くことにした。
『 しかし、あなたは命を二つ持っている。 一つは本来のあなたの命、こちらはすでになくなり、黒い花となってこの死相空間に咲いています。 二つ目の命は与えられたもの、こちらはまだあなたの中に存在し、黒い花の半分を白い花に塗り替えました。 つまり、あなたはまだ生存する権利があります 』
少年は足元の花畑に視線を向けた。
もし完全に死んでいるのなら、咲いているのは黒い死の花のみになる。
しかし、神もどきにもう一つの命を与えられたことによって、半分が生の花として蘇ったということだろうか。
もしそうなら、あの神もどきは約束を守って少年に命を与えたということになる。
「あいつ、うさんくさかったけど言ってることは本当だったのかもな……」
頭ごなしに神を罵ってしまったことを少年は少し反省した。
『 よってこれから、転生先を決めるために三つの質問をします 』
そう言った直後、スプリテュスの左右に小さなスプリテュスが二匹現れた。
片方は体が真っ白で、もう片方は真っ黒だ。
『 問い一、男か女か 』
白いスプリテュスの体に『女』、黒いスプリテュスの体に『男』という文字が浮かび上がる。
「転生……ってことは、新しい人間として生まれ変わるってことだよな……。で、男と女どっちになりたいって話か」
少年は少し考えて答えを決めた。
「男だ。強さを得るなら男の体の方が何かと都合がいい」
『 選んだ方のスプリテュスをお召し上がりください 』
「は!? 食べるのか? こんな得体のしれないもんを!?」
見たこともない謎の生物を口に入れ飲み込むなんて、考えただけで恐ろしい。
できれば遠慮したかった。
『 選んだ方のスプリテュスをお召し上がりください 』
しかし、スプリテュスは全く同じ言葉を同じトーンで繰り返す。
その意味不明な圧に、少年は渋々黒いスプリテュスを手でつかんだ。
「マジで嫌なんだけど……」
喉を駆け上ってくる吐き気を抑えて、無理矢理口に入れる。
『 ミャアアアアアアアアアアアア!!! 』
口の中で鼓膜が破けそうなほどの奇声をあげる黒いスプリテュス。
その気持ち悪さを我慢しながら、少年はなんとか飲み下した。
「これでいいのか……?」
『 問い二、貴族か平民か 』
スプリテュスはすぐさま次の問いを放ってきた。
再び黒と白のスプリテュスが現れ、白には『貴族』、黒には『平民』と刻まれている。
「それは愚問だ。平民に決まってる」
身分の低い人間を玩具としか思っていないような悪辣な貴族だけには絶対になりたくなかった。
自分の人生をぐちゃぐちゃに壊した卑しいあの生き物と同じ肩書きだけは、是が非でも避けたい。
少年は迷わず黒いスプリテュスを飲み込んだ。
『 問い三、今の記憶を残すか残さないか 』
白いスプリテュスに『残さない』、黒いスプリテュスに『残す』という文字。
記憶を消して、まっさらな状態で新たな人生を歩むというのも悪くはないだろう。
しかし、強くなりたいというこの激情は少年の生きる糧だ。なくしてしまうわけにはいかない。
「俺はこの負の記憶をバネにして、もう二度と悲劇を繰り返さないように強さを求める」
黒いスプリテュスを力強く握り締め、飲み下す。
『 それでは、転生の扉をお通りください 』
スプリテュスの胴体が縦にひび割れ、亀裂が走る。
その亀裂はみるみるうちにどんどん大きくなっていく。
「扉って、お前の腹の中かよ!!」
亀裂が広がり、少年が通れるほどのサイズまで拡張した。
その中は黒いもやで満ちていて、先に何があるかは全く見えない。
少年は言い知れぬ緊張感に唾をごくりと飲み込み、一歩踏み出した。
この先に何が待っているかは分からない。
もしかしたら、前の人生より残酷な未来が待ち構えているかもしれない。
しかし、少年は進むことをやめない。
次の人生では必ず、何者にも負けない強さを手に入れてみせる。
扉をくぐる直前、スプリテュスの声が響いた。
『 その命に付与された宿命を果たせるよう、願っています 』
その言葉の意味はわからないまま、少年はもやの中に呑まれていく。
意識が途切れ、命は巡る。
待っているのは、幸福か絶望か。
その答えは、神のみぞ知る。
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