リリィテキスト

キングスマン

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 キスをする(25%)

 恋人同士で手をつなぐ(7%)

 強い力で抱きしめられる(0.5%)


 十代の少女を対象に行われた、赤ちゃんを授かるために必要な行為にまつわるアンケート結果の一部である。

 自分と相手のくちびるを接触させることで新たな生命は誕生するのだと、四人に一人は信じている計算になる。

 幼さゆえの無垢むくだと微笑ましく思うか、義務教育の敗北だと無知をなげくかは受け手の感覚次第であっても、当の本人たちからすれば死活問題であり、今日もインターネットの相談サイトにはこんな文字列が並ぶ。

『喫茶店で恋人と偶然同じメニューを注文したんです。これって妊娠ですか?』


 生命の誕生は神秘であり、人の想像力は無限大である。


 ここに、一人の少女がいる。名前は吹々喜河瀬ふぶきかわせ。十六歳。

 苗字と名前が逆じゃないの? と他人ひとからたまにいわれるくらいで、それ以外はごく普通の女子高生、というわけでもなかった。

 吹々喜河瀬ふぶきかわせにはもう一つの名前がある。

 その名も──てんぷらあぶら。

 揚げものをこしらえる際にもちいる油のことではない。

 てんぷらあぶらとは、吹々喜河瀬のペンネームである。


 イラストレーターのてんぷらあぶらといえば、砂浜で砂を見つけられない者がいないのと同じくらい、界隈では名の知れた存在だ。

 三年前のデビューから業界にインパクトを与えつづけ、今年は大手メーカーがリリースしたソーシャルゲームと老舗アニメーション制作会社がおくる新規オリジナルタイトルのキャラクターデザイナーに抜擢され、来年はリメイクが決定したあの名作ゲームのキャラクターデザインを担当することも発表されている。

 半年前に発売した初の作品集『あぶらとりがみ』は紙の書籍のみの発売で三千八百円というやや強気の価格設定にもかかわらず、すでに十五万部のヒットを飛ばし、現在も順調に版を重ねている。

 人気俳優や作家、監督と同様に、てんぷらあぶらの名前がればSNSがく。

 はたから見れば、彼女は夢を叶えた成功者だろう。

 だが、別に彼女は絵描きになりたかったわけではない。

 吹々喜河瀬は字書きしょうせつかになりたかったのだ。それも、ライトノベル作家に。


 話は一昔前にさかのぼる。

 当時、吹々喜河瀬は本の虫だった。

 本当に夢中で、夢の中でも読んでいた。

 特にライトノベルがお気に入りだった。

 だから、なろうと決めた。

 六歳の吹々喜河瀬は考える。ライトノベル作家になるにはどうすればいいのだろう?

 六歳の吹々喜河瀬は気づく。

 鬼に金棒、猫に小判、東京に特許許可局のように、優れたものの隣には、そこに寄り添う優れたパートナーが存在することに。

 ライトノベルは素敵なテキストと素敵なイラストで構成されている。

 だからまず、素敵な絵を描けるようにならなくては!

 それはまさしく、赤ちゃんがほしいならキスをすればいいのだと、何の根拠も知識も疑いもない確信であり、六歳の吹々喜河瀬は、じゆうちょうにえんぴつを走らせたのだった。

 児童向けのペンと画用紙はいつしかスタイラスとタブレットに変わり、家族がたまにのぞく程度だったイラスト投稿用のSNSは新作をアップするたびバズるようになり、はじめて企業から案件がきたのは、吹々喜河瀬が中学一年生のときだった。


 そして吹々喜河瀬が中学二年生になったとき、ついに気づく。

 もしかして、イラストばかり描いていても、いい小説は書けないのではないか? と。

 そろそろ文章の勉強もしなくてはと、トレンドを探るために訪れた小説投稿サイトで、出会ってしまったのだ。天才に。


 天才の名は岐阜栃木ぎふとちぎ

 日本地図を広げて、ぱっと目についた地名をそのまま引っ張ってきたようなペンネームだが、自分だってテーブルの上にあった天ぷら油を見て、その場の勢いでそれを筆名にしているので人のことはいえない。


 これまで吹々喜河瀬は無意識に多くの心をへし折ってきた。

 イラストレーターをこころざす者たちの心だ。

 今までなかったタイプの作風。それ以上にあふれていた、吸い込まれるような魅力。

 それはさながら馬車が常識だった世界に現れた自動車のようで、イラストに興味のなかった層の視線も奪い、こう思わせることに成功した。

 ああ、これからはこの人の時代なんだ、と。

 イラストレーター志望者たちは憧れと嫉妬を覚え『てんぷらあぶら イラストレーター』で検索する。

 まだ中学生だとわかり、絶望する。

 検索結果に表示されるご尊顔がわかりやすいくらいの美少女で、絶望する。

 勝ち目などないと、あきらめる。


 その敗北を、吹々喜河瀬も味わうときがきた。


 岐阜栃木ぎふとちぎつむぐ物語は、あまりにも自分の理想と合致がっちしていた。

 いや、それは嘘だった。いま、見栄を張ってしまった。

 どれほど時間や努力を重ねても、こんな物語、思いつかない。こんな文章、書けない。

 100メートルを11秒で走ることができた。いつか10秒台で走破できるかもしれないと強く拳を握っていたところを2秒で完走した猛者が現れたような感覚。

 勝ち目などない、あきらめよう。

 だけど、ライトノベルには関わりたい。

 幸か不幸か、自分にはイラストという武器がある。

 幸か不幸か、岐阜栃木はまだ商業作家デビューをしていなかった。

 吹々喜河瀬に新たな目標が生まれる。

 岐阜栃木先生のデビュー作には、絶対自分のイラストをつけると。


 ライトノベルのイラストを担当してほしいので、そのためのスケジュールを空けてはくれないかといった依頼を複数の出版社からもらっていた。

 誰かの物語に自分の絵をつけることなど考えたことがなかったのでお断りしていた。

 だけど今は違う。

 もう書籍化は決まっていると思うけど、イラストは自分に任せてもらえないだろうか?

 そんなことを懇意こんいにしている編集者に訊ねてみると、相手は岐阜栃木のことを知らなかった。しかし、吹々喜河瀬がイラストを描きたがっているという事実に食いつき、作品を教えてほしいと返事がきた。

 すぐさま一番のおすすめのアドレスを送る。

 翌日、その編集者から「やっぱり、てんぷらあぶらさんみたいに感性の鋭い方は、お気に入りの作品も他の人とは違うんですね」という、いまいち煮え切らない言葉が返ってきた。


『回樹の骨刻。葬送、不滅、奈辺、回祭』

 なにかしらの魔法を発動させる詠唱の一部ではない。

 小説投稿サイトにて岐阜栃木が連載している作品のタイトルである。

 いわゆる異世界転生ものだ。

 とにかくはやく、一秒でも、一行でも短縮して物語を進ませるのが現在のトレンドであるが、岐阜栃木はそれをしない。

 まず主人公の何気ない、起伏もない、淡々とした単調でありふれた日常をじっくり描写する。

 文字数にして約七十万文字。

 それだけの時間を共にしてきたのだから、異世界に飛ばされた主人公の戸惑いや悲壮が痛いほど伝わってくるというもの。

 いざ異世界にきても焦ってはいけない。

 自分の身に何が起こったのか、どうして自分がこんな目にあわなくてはならないのか。そこに意味はあるのか?

 主人公の長い長い内省がはじまる。その文字数、三十万文字以上。

 このように主人公が異世界にやってきただけで文庫本十冊分の文字が費やされているのだ。

 恍惚こうこつとした表情で吹々喜河瀬はその世界に浸っていた。


「はじめまして、岐阜栃木ぎふとちぎといいます。よろしくお願いします」

 だからこそ、高校生になった入学式当日、クラスの自己紹介で前の席の少女がその名を名乗ったとき、吹々喜河瀬ふぶきかわせは椅子から転げそうになった。

 佐藤洋子ではないのだ。岐阜栃木なのだ。

 おいそれと同姓同名が現れるはずはない。

 肩にかかるくらいの綺麗な黒髪、生真面目でりんとした顔立ち、眼鏡。

 絵本の中から飛び出してきたような文学少女であり、こんなの岐阜栃木先生でしかないじゃないと叫びそうになる。

 おそるおそる指を伸ばして、相手の背中をとんとんとノックする。

 不審そうな顔つきで岐阜栃木は振り返る。

「あのさ、もしかして岐阜さんって小説、書いてる?」

 元々、人より大きな岐阜栃木の瞳がより一層、開かれる。

「……どうして?」それを知っているの? と瞳が訴えてくる。

「小説のタイトルって『回樹の骨刻。葬送、不滅、奈辺、回祭』だったりする?」

「──どうして!」そこまで知ってるの? と光線でも飛び出すんじゃないかというくらい目が輝きはじめる。

 信じられないのは吹々喜河瀬も同じだ。目の前に神作家かみさまがいる。

「私、大好きなんだ『回樹の骨刻。葬送、不滅、奈辺、回祭』のこと」

「……すごい。読者さんに会えるなんて、夢みたい」岐阜栃木は祈るように手を合わせて感激している。「お気に入り登録してくれてる人、一人しかいないし、誰も読んでくれてないんじゃないかなって……」

 賢明な読者はお気づきだろうが、その一人というのが吹々喜河瀬である。

「『回樹の骨刻。葬送、不滅、奈辺、回祭』すっごい面白いからSNSとかでも話題になって、絶対に書籍化すると思うよ!」

 そのときは私がイラストを担当するからね、と吹々喜河瀬は心でつづける。

「SNSねえ……」岐阜栃木の顔が曇る。「一時期やってたんだけど、ゴマ油だかオリーブオイルみたいな名前の人にしつこくからまれて、こわくなってやめちゃったんだ」

「そうなんだ……大変だったね」

 吹々喜河瀬は気づいてないが、賢明な読者はお気づきだろう。岐阜栃木の言うゴマ油だかオリーブオイルというのは吹々喜河瀬てんぷらあぶらのことである。


「ね、ねえ、岐阜さん」

 憧れの人が目の前にいる現実に興奮する吹々喜河瀬は、少し欲が出た。

「どうしたの?」

「そ、その、よかったら今日、遊びにいってもいいかな? 『回樹の骨刻。葬送、不滅、奈辺、回祭』のことで教えてほしいこといっぱいあるし、それに、岐阜さんと友だちになりたいんだ」

「ええ、もちろん。これからよろしくね……えっと……」

「吹々喜だよ。でも岐阜さんには河瀬って名前で呼んでほしいな」

「……じゃあ、よろしくね、河瀬さん。だったら河瀬さんも私のこと栃木って呼んで、呼び捨てでいいから」岐阜栃木はそういう友情に憧れていた。

「うん、よろしく、栃木!」

 身を乗り出して吹々喜河瀬は岐阜栃木を強く抱きしめる。

 吹々喜河瀬にとっては、友情のハグだった。

 しかし、岐阜栃木にとってはそうではなかった。

 文学少女の脳に稲妻が走る。


 ──どうしよう!


 ──あ、赤ちゃん、できちゃう!


 強い力で抱きしめられる(0.5%)


 岐阜栃木は、やや残念な思い込みを持つ少女であった。


「うん? どうしたの? 栃木?」

「なな、なんでもない、なんでもないから……じゃあ、今日は河瀬さんがうちにきて私の両親と会って、明日は私が河瀬さんの家にいって、ご両親にご挨拶を……」

「別にいいけど……栃木、ちょっと変わってるね」

 吹々喜河瀬は首をかしげる。

「か、河瀬さんが大胆すぎるだけです」

 岐阜栃木は今にも噴火しそうなくらい真っ赤になっていた。


 吹々喜河瀬と岐阜栃木、二人の心の距離が近づくのは、もう少しだけ先の話。


 イラスト・てんぷらあぶら テキスト・岐阜栃木

 このタッグが社会現象と呼ばれる大ヒット作を手がけることになるのは、そこからさらに先の話。



 fin

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