第19話 メイド、壊す


 祐介が風呂に入っている頃。

 激昂した神崎はイルカのストラップを自室に持っていき、それをハンマーで叩き割っていた。時間も忘れて。彼の気持ちも忘れて。


 気づけば、イルカのストラップには亀裂が何本も入っていた。


「死んで。死んでください。死ね」


 そうボソボソと言いながら、叩き割る。その姿はまるで殺人鬼。仮にストラップが人だったら――そう考えるとおぞましい。


 許せなかった。

 祐介が加奈と二人でストラップを買っていた事が。

 二人きりで水族館に行っていた事が。

 祐介が加奈にストラップをプレゼントしていた事が。

 何より男女で楽しい思い出を作っている事が羨ましかった。


 神崎にとって水族館は楽しい場所じゃなくて、フラれるスポットだったから。


 彼女は祐介に電話の時、『ファーストキスはいつですか?』と聞いておくべきだった、と後悔する。


「祐介様はキスなんかしてない。キスしてない。するわけがない。絶対に」


 そう暗示をかける。


 けれど、今時の小学生男女が水族館に二人で行って、何もなく終わる、なんて事があるだろうか。親同伴じゃなくても出掛けられる年齢。恐らく彼が言っているのは、小学校高学年の時のことだろう。


 それに加奈は何故「二人で行きたい」と言ったのだろう。彼女に恋愛感情はあるのか。けど、アイスクリーム屋で少し接触した限りではそのようには思えなかった。


 単なる友達だったらいいけれど……。


 そこで彼女は思いついた。


(そうだ! 祐介様の脳内の思い出の中のクソ加奈を私で塗りつぶしちゃえばいいんだー)

(塗りつぶしてやる)


 そうして神崎は祐介と水族館に行くことを決意した。


 ***


 そろそろ彼が風呂から出てくる時間だ。


(これ、片付けないと。なんて説明すればいいかな?)


 彼女は祐介の部屋に壊れたストラップを置いた後、一階に向かった。


「風呂出たぞー」


「お疲れ様です、おかえりなさい」


「あれ? ここに置いてあったイルカのストラップは?」


「それがですね……」


 祐介はその物事の殆どを察した。同時に嫌な予感もした。


 彼女に導かれるまま、祐介は自分の部屋へ向かう。すると、そこには――今さっき壊れたイルカのストラップが落ちていた。


「大変申し訳ございません!」


 頭を下げて謝る神崎。


「先ほど、カーテンレールにこのストラップを掛けようとした所、落として壊れてしまいました」


「いいよ、もう」


(何でそんなに冷静なの? 怒るのかと思ってたのに)


 彼は半ば諦めていた。『壊れてしまった物はしょうがない』、そういう考えだった。風呂に入る前から薄々予想はしてた。嫉妬させてしまった自分も悪い。けど、この件に関しては許しはしていない。怒らない=許している、という訳では決してない。


「おやすみ、神崎」


 話をいち早く切りたい、とでもいうように祐介はそう切り出した。


「おやすみなさい、祐介様」


 バタンと扉を閉める。


 ***


 一人になった部屋で俺は泣いていた。だって、彼女じゃなくても大切な友達から貰った、大切な物を壊されたら、悲しくなるのは当然だろ。


 神崎の嘘もすぐに分かった。絶対わざとだ。前に俺も落とした事があるが、その時は壊れなかった。きっとハンマーか何かで叩き割ったのだろう。


 このストラップも鍵付きの机の引き出しに入れておくべきだった、と後悔する。


 神崎は気にし過ぎなんだよ。


 加奈と二人きりで水族館に行く羽目になったのは健一が急遽、風邪で行けなくなったから。物をあげたりするのも普通の行為だ。小学生の友情を恋心と一緒にするのはやめてほしい。


 その頃の加奈に恋心があったのかは、俺の知る所ではないが。少なくとも俺は加奈に恋愛感情を抱いた事は一度も無い。


 加奈に謝らないとな……。


 そんな思いを抱きながら、俺は眠りに落ちた。


 ***


 翌日。

 祐介の目が赤く腫れている事に神崎はすぐ気づいた。悪いことをしたのは分かってた。けど、抑えられなかった。祐介が二人きりで女の子とデートした、だなんて聞いてしまったら。


 食事中、神崎からこんな事を言われた。


「ストラップを壊してしまったので、直接加奈さんに謝りたいです。ですので、加奈さんを家に連れてきて下さい」と。


「それって健一も連れてきていいか?」


「構いません」


 彼女の本当の目的は謝る事じゃなかった。色々聞きたい、知りたい事がある。そっちだ。


 いつものように『いってらっしゃいのハグ』をされて、学校へ行く。



 学校へ着くと加奈が明るく「おはよー」と笑顔で挨拶してくれた。


(その笑顔を見てると何だか気まずいな)


「どしたの? そんな暗い顔して」


「それが実はな――」


「おっはー、佐々木、加奈」


 空気を読まずに健一が話の途中に割り込んできた。


「「おはよう」」


 余計言いづらくなる。


「お? もしや重要な話、してた的な? 悪いな、阻害して」


「ううん、大丈夫」


「それでゆーくん、何?」


「これを聞いたら神に誓って加奈は泣く」


「あなたは超能力者か何かなの?」


「いや、俺も泣いた」


「何の話してるのか、さっぱり分からないんだけど」


 ずるずると話を引きずる祐介。加奈はキョトンとする。


「それがな――」


「ハックション!」


 又も健一に阻害される。


(タイミング悪すぎだろ。お前はちょっと黙ってろ。あっち行け)


「すまん」


 告白を邪魔するAさんにしか思えない。別に彼は告白するわけじゃない。ストラップの件を伝えるだけだ。


「小学生の頃、品川水族館で買ったあのイルカのストラップが壊れた!?」


「そうなんだ。うちのメイドがうっかり壊してしまったみたいなんだ」


「……そうなの」


(あれ? 泣かない。何で?)


「それでな、うちのメイドが直接謝りたいから、俺の家に来てほしいって言ってるんだけど……」


「うちのメイドって神崎さんのこと?」


「そうだ」


「神崎さんって優しいんだね。反省して、直接謝りたいって言ってくれるなんて。ゆーくんづてで謝罪してもいいのに。誠実だと思うよ」


「あはは」


「健一も来ていいって」


「おけ」


「じゃあいつ行く?」


 話し合いの結果、明後日の土曜日に彼女らは来る事になった。


 神崎は何を用意しているのだろうか。でも健一がいるから心強い。加奈の身に何かあったら、助けてくれるだろう。勿論、祐介も助けるけど。



 放課後。


 教室で一人、加奈は涙を流していた。


「信じたくないよ……」


 加奈の涙が夕陽によって煌めく。


 どうやら、祐介の予言は当たっていたらしい。彼の知らない所で。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る