第5話 幻

本漆塗の胴に、名前の入った紺の道着袴。

自分用の竹刀と竹刀袋。

皆と同じ防具を購入して、垂れネームも注文した。

外人の名前は長いからちゃんとおさまるのか気になってのだけれど、案外大丈夫なものらしい。

当て字で漢字にしている外人もいるよ、と教えられたけれど、漢字には意味があるから、使う時にはちゃんと意味まで考えた当て字にするよと言って、結局カタカナになった。


付き合ってくれたお礼にと弓月を家まで送り届けたオリバーは、弓月の実家の門構えに感嘆の声をあげていた。

この街の中では富裕層の多い地区に構えられた弓月の実家は、立派な和造りの邸宅。

The・Japaneseなものに憧れる外人には結構ウケがいいらしく、たまに香井家の門の前で写真を撮っている観光客がいたりする。

大きな門には左右に明かりがともり、香井の表札が下がっている。

「すごい、立派なお屋敷だね。随分昔からあるの?」

「うちの家系は古いから。両親が結婚したときに、由緒ある建物だからって譲り受けたんだって」

「へえ……」

オリバーは、頭の中のデータベースをさっと開いた。

香井家。古くは華族に名を連ねていた一族の末裔で、今では日本のメディア業界に深く根をおろしている家系。

香井家の本家には娘が三人いたが、その中でも屈指の美人であった美月に一目惚れした晃成が拝み倒す形で結婚をとりつけ、婿入りしてきたという話だ。

美月はまさに箱入りと言っていいお嬢様で、香井家本家からも、晃成からも、未だにそれはそれは大事にされているのだとか。

ただ、彼女は身体が弱く、二人の間に儲けられた子供は弓月ただ一人。弓月は間違いなく、この家の跡継ぎだろう。

「今日は初日だったから色々面倒見たけど……学校であんまりベタベタしないでよね」

「それは学校でなければいいということかな?」

「学校以外では会わないからいいの!」

「そうかい?冷たいなあ」

別れ際だというのにチクチク言ってくる、弓月の憎まれ口さえ可愛い。

口ではツンツンしながらも、世話はきちんとやいてくれる。これがいわゆるツンデレというものなのだな、と、オリバーは身を持って知った。


「じゃあ、今日は本当にありがとう、また明日」

「……はいはい」

綺麗な黒髪をさらりと揺らし、弓月は屋敷の中へ入ってしまう。

その背中を名残惜しく見送って、オリバーは車を出すように指示を出した。


「……ところで山添、いい物件はあった?」

「はい、ここからそう遠くない白金原地区で、いくつか土地と新築物件を見繕っております」

車内で渡された資料に目を通し、オリバーは思案する。山添とは、イギリスの本宅で雇っていた執事達の中の1人。老齢にさしかかる年齢だが仕事が細やかで気遣いも上手く、オリバーの父もたいへん気に入っていた。今回日本に行くにあたって、現地を知っている人に同行を頼むのが1番だということで、一緒に来てもらったというわけだ。

「元々、日本に別宅を構えるつもりだったんだよね。そろそろ東アジア圏に支社を増やしたかったし、いいタイミングだったよ。……うーん、やっぱり新しく建てようかな。人の手が入ったものは気に入らない」

そしていずれ、弓月を迎えたい。

自分が整えた邸宅に、あの美しく愛しい人を迎えられたらどんなに幸せだろう。

今はまだ警戒されているけれど、あの子が心を許してくれたらどれだけ愛らしい笑顔で甘えてくれるだろう。


一時居住のために借りたマンションだってそこそこのランクの部屋だけれど、オリバーとしてはもう少し広い方がいい。

「山添、よさそうな建築士を探しておいてくれ。家を建てる相談をしたい」

「かしこまりました」

知らない土地での生活はなんとも寂しいけれど、それもしばらくの間だ。

「ああ、あと夕飯は少しボリュームのあるものを頼んでくれるかな。久しぶりに激しい運動をしたし……何せ俺は今から『真面目な学生』をしなくちゃいけないんだ。……ホームワークが結構あるのはちょっといただけないけど、まあ仕方ないね。終わらない宿題に泣きながら会議に参加とか、面白い社長だと思わない?」

オリバーの言葉に、ハンドルを握る山添が笑った。


***


「ただ今帰りました、お母様」

「あら、弓月ちゃんおかえりなさい!学校は楽しかった?」

一方。

弓月は屋敷の最奥に誂られた居室に顔を出していた。

二十畳はあろうかという和室。豪華な調度品に囲まれたその部屋は、誰でもない、弓月の母、美月の部屋であった。

「あら、そのお着物はこの間呉服屋さんに持ってきてもらった……」

「ええ、せっかくですから着てみました」

「やっぱり弓月ちゃんには桃色が似合うわ!私ね、ずっと娘には桃色のお着物を着せてあげたかったの!」

にこにこと無邪気な笑みを浮かべるこの人は、なんと、弓月を「娘」だと本気で思っている。

「質もとてもいいものですし、今度呉服屋さんがいらした時にお礼をお伝えください」

そしてそのせいで、この「香井家」において、弓月は女性として過ごすことになっている。

なぜこんなことになっているかというと、話は弓月が産まれたころに遡る。


「私、娘が欲しいの。一緒に素敵なお洋服を着て、お茶会をするのよ。一緒にお買い物したり、パーティにも出たりね。きっとすごく楽しいわ!」

美月は、結婚前からずっとそう言い続けていた。当時、仕事の関係で度々顔を合わせる仲であった晃成も、会う度に将来の夢として何度も何度も聞かされたものだった。

まるで少女のような人。晃成の美月への印象はそういったもので、同時にそんな純粋さがたまらなく魅力的に見えたのだ。

そして、猛アタックの末の結婚。今でこそ高名な評論家だが、当時はまだそこまで名があった訳ではなかった。当然美月の実家、香井家は大反対したが、たまたま美月の祖父が晃成の評論を知っていて「将来有望」と評価していたことで、婿入りという形でならと結婚を了承してもらえたのだ。


けれど、問題はもう1つあった。

美月は生まれつき身体が弱く、病気がちであったこと。子供をもうけたのは美月たっての希望であったが、その際も医者と何度も何度も相談し、一人だけならという条件で出産までこぎつけたのだ。

けれどその出産で美月は重体、産まれた子供を腕に抱くことすら出来ないまま、何年も入院することになってしまう。

そして美月は純粋であるがゆえになかなか思い込みも激しく、生まれた子供が娘だと信じてやまなかった。

今どき検査時に分かるだろうと思うところだが、男女の判別ができる肝心なその場所は、毎回上手く隠れて、最後までどちらか分からなかったのだ。

出産後も美月の入院による騒動で、周りの人間も、医者も、看護師すら、子供の性別を伝え忘れるという始末。

ようやく体調も小康状態になり、一時帰宅を許された頃には既に弓月も二歳。その時になって、父、晃成は気がついた。

自分は弓月が男の子だと、妻に伝えていなかったと。

そして同時に焦った。

美月は娘との時間を楽しみにしている。もしここで娘でなく息子だと知ってショックを受けてしまったら、また体調を崩すのではないか。それは妻を溺愛している晃成にとっては許し難い事であった。

そこで、美月の体調が完全回復するまで、弓月の性別を伝えずにおくことにしたというわけだ。


それが、あれよあれよという間に幼稚園になり、小学生になり、中学まで卒業し、そして今に至る。

度々体調を崩しては療養しを繰り返す美月はずっと弓月を女の子だと勘違いしたままだし、晃成も親戚も、使用人達すら弓月が男性であることを隠し続けた。


幸いと言うべきか、不幸にもと言うべきか。弓月は幼い頃から聡い子供であった。

自分が女の子として過ごしていればみんなが幸せでいられる、そう理解してしまったのだ。

だから、演技力を磨いた。

男の子であると疑われないように。常に母や父や親戚、使用人達に、女の子だと認識されるように。

成長して体格がごまかせなくなってきてからは、稽古と称して着物で体格を隠すようにした。

声変わりが来て決まってからは、必死に女声が出せるよう訓練した。

仕草のひとつ、表情のひとつ、身に纏う香り、化粧、発言、感性。

そうして作り上げた弓月の姿は、おそらくその辺の女性など足元にも及ばないほど女性らしいだろう。

けれど同時に、虚しかった。

男性としての自分など、だれも求めていない。

家族にすら、自分の本来の姿を晒せない。みんなが求めているのは、美しく優しくたおやかな、香井弓月という幻の女性。男である弓月など、だれも必要としていないのだ。

そしてそんな生活は、弓月の心をどんどん頑なにさせていった。

(……どうせ、あのオリバーだって同じだ。そりゃ、いきなりイギリスから追いかけてこられて驚きはしたけど……どうせすぐ飽きる )

好きだの愛だの、最も信用おけないもの。どうせ、弓月の状況など理解もできないのだから。

とにかく、あの男はどうにかしてイギリスに帰ってもらわなければ。……ああでも、もし剣道で実力を示したら、戦力としては置いておきたい……かもしれない。


弓月は母親との話を終え、自室へと戻った。

この部屋だけが、唯一素の自分でいられる場所。

体の疲れというよりも、気疲れが強い。

投げ出してあったスマホに、通知が来ている。ご多分にもれず、オリバーだろう。疲れているのに追い打ちをかけるようなラブレターだったら速攻でクレームを入れて明日あのお綺麗な顔を殴ってやる、そう思って通知をタップして、そして弓月は拍子抜けした。


おやすみ、良い夢を


それはたった一言だけの、短い言葉。

昼間あれだけ構ってまとわりついてきたくせに。まるで今の弓月の事などお見通しといったような、極めてシンプルな。

多分このメッセージには、返答すら求めていないのだろう。


「……なんだよ」


煮えるような苛立ちが、なだめられた気がした。

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