第3話 バカじゃないの
爽やかな新緑の香りの中、弓月は学園のアプローチを悠々と歩いていた。
高貴さの滲む白の制服、艶めき揺れる射干玉の髪。一部の隙すら有り得ない端正な顔立ち。
周りから注がれる羨望。女子達の黄色い悲鳴に、男子達からの舐めるような視線。
気がついた頃には既にこうだったし、それは当然だと思っている。
なぜなら、自分は選ばれた側の人間だから。
「弓月姫、おはようございます!」
「おはようございます!」
そう、「選ばれた」人間。
奇妙な運命に「選ばれた」人間である。
「おはよう、演劇部は今日も朝練?」
校庭の隅で、二十人ほどの生徒達が発声練習をしている。弓月は駆け寄ってきた三つ編みの女生徒に声をかけた。
「はいっ!今週もご指導お願いします!」
頬を上気させ、目を輝かせたこの女生徒は、演劇部の部長だ。弓月はこの部長に頼み込まれて演劇部に関わるようになった。
「今週は木曜の十七時頃に行くから……それまでに通し稽古の用意をしておいて。あと一年の声の出し方、腹式呼吸が足りてないから、基礎練をしっかりさせて。あれじゃ喉が潰れる」
「はいっ!」
特別顧問として自分の部活とは別に週一で顔を出している演劇部の部員達は、日々弓月の指導に基づいて訓練を重ねている。そのおかげだろうか、ここ数年、コンテストで入賞を逃したことがなかった。
愁鶯学園高等部、そこが弓月の在籍する学園である。
良家の子女達が通うことの多い名門校であり、政界、財界ともに有名人を数多排出している学校でもあった。そしてそれは、弓月も同様。
弓月の実家、香井家は、高名な評論家の父・晃成と、華族の血筋の娘・美月で成り立っている。
身分制度の無い現代だけれど、その血筋への誇りは脈々と受け継がれており、それは確実に、弓月の中にも息づいていた。
ちなみに香井家といえば、一族で歌舞伎役者からダンサー、音楽に至るまであらゆる芸能ジャンルに幅をきかせており、さらには評論家である晃成の一言で芸能界が変わってしまうこともあるような家系である。
では弓月自身はといえば。
弓月は晃成が創設した劇団【fullmoon】に所属し、女性役を中心に活躍している役者である。
なぜ女性役ばかりなのかという話を始めると語るに長い事情があるので、ひとまずは割愛。
今は学生であるために俳優活動は控えめにしているが、子供の頃から舞台に立ち、時には子役としてドラマに、CMに出演したりしていた弓月は、家柄もさることながら、確かな実力のある役者であった。
そんなわけで、弓月は今日も今日とて、学内のアイドルかスターかのような立ち位置に担ぎ上げられているというわけだ。
なかには、たおやかな雰囲気の弓月にあらぬ懸想した男達に手を出されそうになることもあったが、身体能力抜群の弓月に見事に返り討ちにされるなどの事件も起きている。
しかしそれも無理は無い。
弓月が本所属している部活は剣道部。元は体づくりのために始めた武道だったが、こちらにも才能があったようでメキメキと腕があがり、今ではインハイ・国体の常連。このへんの高校で弓月に勝てる学生は、そう居なくなっていた。
強く優しく美しく。男でありながらもまさにヒロインの権化のような弓月は、こうして学内で確固たる地位を築いているのだ。
「……転入生?この時期に?」
隔週で行われる全校集会。その司会をしている教諭が、転入生がいる旨を告知する。
もう4月も下旬。本来ならば始業式とともに転入してくることが多い……いやそもそも、あまりこの学園に転入してくる者自体少ないことなのだが、半端な時期にやってきたという転入生の情報は、少なくとも生徒達の興味を引くには充分だった。
「なんか、海外からの転入らしいよ。だから日本の学校の始業式に間に合わなかったのかな」
「……ふぅん……」
クラスメイトが弓月の呟きに反応し、そわそわと壇上に目をやった。
どんな人かな、男かな、女かな。そんなささやきを聞きながす弓月の脳裏には、あの日の出来事が蘇る。
(海外、か)
あの日。まだ寒さの残る二月の中頃。
人出の足りなかった劇団に手伝いに入ったけれど、その劇の仕上がりは到底観客を満足させられるものではなくて。弓月が参入したころにはすでに引き返せない所までスケジュールは進んでいて、やむなく調整と猛特訓をしたけれど、「これなら誰もが納得するだろう」というレベルにはならなかった。
一度引き受けた仕事は何があってもこなす。それが弓月の役者としてのプライドだったけれど。
その不満を、看破された。
最初は、人当たりのいい笑顔で誰に対しても差し障りのない綺麗事を並べる男だと思っていた。
少しお灸を据えるつもりで夕食の誘いにも乗ったけれど、彼は弓月が思ったのとは正反対の男だった。
正直、連絡先を交換しようという提案を断るのは、少しもったいないなという考えが脳裏をよぎったのは事実だ。この人なら弓月の置かれている状況を、弓月の気持ちを、理解してくれるかもしれないとも思った。
けれど同時に、僅かな甘えすら許容できないほど、弓月はプライドの高い人間であった。
あの日の彼は、今どうしているんだろう。
もしあの時、あの人と連絡先を交換しあっていたら、少しくらいは心を開ける友人になれていただろうか。
そんなことをぼんやり思いながら再び壇上を見た瞬間、思わず変な声が出た。
「……はぁ?!」
その声に、周りが一気にこちらを振り向いた。
壇上に現れた男が、不敵に笑っている。その顔。美しい翡翠の瞳。光の透ける金の髪。
それはまさに今、弓月が思い浮かべていた本人で。
「やあ弓月。約束通り、君に会いに来た」
大勢の生徒の中からあやまたず弓月を見つめた男……いや、オリバーは、壇上のマイクに向かって話し始めた。
「皆さん初めまして、私の名前はオリバー・アルバート・トールキン。イギリスのハロウスクールから来ました。一応学生ですが、趣味で始めた事業が上手くいったので、そちらの仕事もしています。年商も言った方がいい?まあいいか。日本に来たのは……そこで今とても可愛い顔をしている弓月に一目惚れしたから。次に会えたら連絡先を交換してくれるって約束だったしね。日本の学生生活はほかのどの国とも違うっていうから、楽しみにしています」
慣れた雰囲気で自己紹介するオリバーに、弓月は気が遠くなりそうだった。
今までも、しつこいファンに追い回されたことはあった。
けれどこれは、弓月史上最長距離のストーキングだ。
「あはは、びっくりしてるね。でもね弓月、俺がちょっと本気になれば、君を探し出すことくらい造作もないんだよ。ああ、でも安心してほしい、俺は紳士だからね。ちゃんとマナーとルールは守るし、君に不利なことは一切しない。正々堂々、正面からアピールするよ」
オリバーは、ゆっくりと壇上から降りて、真っ直ぐに弓月へ向かってくる。
その王者たる雰囲気に道を譲った生徒達によって、弓月まで綺麗に花道ができあがる。二人に興味津々の視線があちこちから突き刺さるが、しかしオリバーはそれをものともしなかった。
お前はモーセかと言いたくなるばかりの景色に、弓月ははっと我に返る。
けれど時すでに遅し。
オリバーはもう目前まで来ており、悠々と弓月の手を取った。かしづくように、白い指先に一つキス。
きゃあ、と、女生徒たちから黄色い悲鳴があがった。
そして、相手が女性であれば腰砕けになりそうな甘い甘い声で一言。
「……と、いうわけで連絡先、教えて? 」
悪気の一切ない爽やかな微笑みに、弓月は全てを忘れてたった一言、それはそれは通る声で叫んだ。
「バっっっっカじゃないの?!」
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