第24話
私は障害を抱えていますが見た目では分かりません。普通に生活していても分かりません。会話していてもちょっと「おやっ?」と思うかもしれませんが分かりません。自分から「多重人格障害です」と告白しない限り分かりません。それなのに「健常者」ではありません。そもそも私は「健常者」という言葉が嫌いです。何故なら「健常者」の基準があやふやで誰基準なんだ⁉︎と疑問に思っているからです。
誰にとって「健常者」なんだ?
誰にだって少なからず持病や不都合な症状があるだろうに…。
見た目で障害を抱えていると分かる、分からない人達も多いだろうしね。
何で世の中「健常者」が基準なんだろう…。
疑問が尽きません。私からすると「健常者」という言葉も差別用語です。
何でもかんでも差別用語に捉えている訳ではありませんし揚げ足を取るつもりもありません。
でも私は長い年月「障害者」と「健常者」の違いで差別や偏見、心無い言葉に晒されています。
障害を抱えていると口にするのを躊躇ってしまうほど障害を告白すると急に「障害者」と「健常者」の線引きをされてしまいます。
極端な言い方ですが「障害者」は悪、「健常者」は善というあからさまな線引きをされてしまいます。
世の中そんなものです。何かしらの線引きがされています。
ただでさえ障害者は忌避感を持たれやすいです。それが精神障害だったなら尚更です。世の中の人達は精神疾患に強い嫌悪感を持っています。
でも精神疾患は誰でもなりますよ。見た目で分からないからこそ自分でも分からないうちに簡単になります。
私だって自分が精神疾患を抱える、まして障害を抱えるとは夢にも思いませんでした。
抱えた原因は世の中で言われている「いじめ」です。
世の中にありふれている「いじめ」です。でも私にとって「いじめ」はありふれていませんでした。身近なモノではありませんでした。「いじめ」の原因も「いじめていた人達のストレス発散」でした。
そんなふざけた理由でいじめられ障害を抱えて差別や偏見、心無い言葉に晒されるようになりました。
「健常者」じゃないと家族すら見る目が変わりました。多くのモノを失いました。
腹いせのようですが私は「健常者」という言葉が大嫌いです。
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