n-thの恋愛試行

@kanitarou

n=11

「やあやあ、そろそろ目を覚ます頃だと思っていたよ」

寝起きで重い頭に、少しハスキーがかった可愛らしい声が届く。

親しさがこもっているけれど、聞き覚えはなかった。


そもそも、この白い部屋はどこだろう。

…いや、そもそも。

――私は誰なんだっけ?


がばっと身体を起こして、あたりを見渡す。

微笑む女性と目が合った。

整っていて、でも少し幼さもある顔立ち。顔がいい。

20代前半ぐらいだろうか。


「先月28才になったよ」

…心が読めるのだろうか。


「ごめんごめん。不安な時に、よくないからかい方だったね」

そう言いながら一冊のノートを手渡してきた。


「詩織くん。君は記憶を失っている。

 そして、このノートは、以前の君からの贈り物だ。

 現状理解の助けになるだろう」

私は詩織という名前なんだと思いながら、ノートを開く。



記憶を失くした私へ。


あなたの名前は綴木詩織つづりぎしおり

そしてこのノートを手渡してくれたはずの人は本間零歌ほんまれいか

記憶研究の若き天才で、私の大学生時代からの先輩です。

記憶を無くす前の私はずっと、助手として本間先輩のサポートをしてきました。


そして。

綴木詩織はもう何度も記憶を失くしています。

その度に、先輩が綴木詩織のことをみてくれています。


不安もあるでしょうが、ここでの生活は保証されています。

記憶喪失を繰り返すようになった綴木詩織は、

助手というよりも被検体であるからです。


施設の外へはなかなか行けないでしょうし、

毎日色々な検査は行われるでしょうが、

あとは自由に過ごせます。


あなたはまた、記憶を失うことになるでしょう。

だから、それまでの間、悔いの無いよう好きに生きてください。

私はやりたいようにやりました。


綴木詩織



遺書と、死刑宣告がカジュアルにまとめられたような文面を、

私はなぜかスッと受け入れてしまった。


「…あなたが本間零歌さん?」

「うん。そうだよ」

「えっと。お世話になります」

「ああ、こちらこそ。詩織くん」


本当は、聞くべきことがいっぱいあるはずだけれど、

出てきた質問は一つだけだった。

「私は、何番目の詩織なんですか?」

「…ふふ。記憶を失ったのが10回だから、11番目ということになるね」


笑いどころではない気がするのに、笑われた理由を考える。

「…もしかして、私、毎回この質問してます?」

「毎回じゃないけど、7回目だね。

 そして、『毎回質問しているか』と聞かれたのは、5回目だ」

微笑みながら答える本間先輩とやらの私を見る目が、

後輩に対してというよりは、モルモットに対してのように感じられて。


「本間さんってもしかして、マッドサイエンティストってやつですか?」

「それは11回目。もっとも、こんなに早いのは初めてだけれど」

私はひどく、憮然とした。



数日が経った。


私は哀れに実験動物として非人間的な扱いを受け…、などということはなく、

日に三回の検査と、行動範囲の制限を除けば、

たしかに自由な生活を享受できていた。


と言っても、記憶を失った私にとって自由を活用することはなかなか難しい。

結局、時間の許す限り本間さんと会話ばかりになる。



「この11番目の私は、いったいいつ記憶を失うんですか?」

「これまでは、だいたい3ヶ月から半年ぐらいのことが多かったけれど、 

 最短だと1ヶ月、最長だと1年だったよ。

 データも渡しておこう」



「先輩は、ここにいないときは何をしてるんですか?」

「記憶に関する研究は並行して進めているからね。

 だいたい施設内のどこかでデータとにらめっこしてるよ」

「…先輩は、ここに朝にも晩にも来てくれますけど、

 いつ家に帰ってるんです?」

「施設で寝泊まりしてるね」

「大変すぎません?」

「うーん、自分はもともと研究の虫だし、

 詩織くんとおしゃべりする時間もあるしね」



「本間先輩以外の人と会ったことないんですけど、

 もしかして、私たち以外の人類滅んでたりします?」

「ふふ、滅んでないよ。

 この研究施設内の人間となら会話しても構わない。リストも渡そう。

 もっとも、申し訳ないけどみんなは詩織くんを被験者と認識してるよ」



「なんか、私の会話をトリガーに、色々情報が増えるんですけど、

 このへんってまとめて貰うことはできないですか?」

「ごめんね。それはこの実験のルール的に無理なんだ」

「お、非人道ポイント!

 そんなルール、許されていいんですか!?」

「このルールを決めたのは、1番目の詩織くんだよ」

「…マジかぁ。

 もしかして、私と先輩って、類友だったりします?」

「どうだろう。

 私は見ての通りの研究バカだけれど、

 詩織くんはもっと人間らしくて魅力的な子だと思うよ」

「…うっす」


◇◇


3週間が過ぎて、私は思考を整理する。


・綴木詩織は何度も記憶を失くしており、それが記憶研究の対象となっている

・綴木詩織に対する研究は、1番目の綴木詩織が計画を立てた

・本間零歌は研究バカ

・本間零歌にとって、綴木詩織は研究対象だが、それはそれとして大切には思ってくれている

・綴木詩織が記憶を失うトリガーは?


…うん、やっぱりこれだよな。


「本間先輩。

 私が記憶を失うトリガーについてはわかっているんですか?」

「うん、もちろん分かっているよ」

もちろん、という言葉に少し驚いていると、先輩が言葉を続ける。


「でも、ルールを満たしていないから、

 今の詩織くんには話せないんだ」

「そのルールも、1番目の私が決めたんですか?」

「ああ。そうだね」


思考の整理で大事なことが漏れていた。

・1番目の綴木詩織は、その後の綴木詩織に対してルールを課した

・1番目の綴木詩織は、結構ヤバい奴かもしれない


「…ねえ先輩、かつての私は、先輩の助手だったんですよね」

「うん、そうだよ」

「じゃあ、私も先輩の研究のお手伝い、してもいいですか?」

「…ああ、もちろんだよ」


微笑みながら、本間先輩は答える。

この笑い方は、『また』の時の笑い方だ。

なんだか悔しいので、深く聞いたりはしないけれど。


「詩織くんが被験者である研究の内容は君に見せられないけれど、

 他の研究は自由に見てくれて構わないからね」

「ありがとうございます!

 迷惑をかけないように頑張ります」

「大丈夫だよ。

 詩織くんは、私が気づかないものの見方をできる人だから」



本間先輩が研究バカであることは知っていたつもりだったけれど、

助手として横に立つと、思っていたよりも度が過ぎていた。


記憶の原理、記憶の補強、記憶の映像化、記憶の復元、記憶の消去、

あらゆる方向からのアプローチを、

的確に研究チームを動かしながら進めていく。


研究中の本間先輩には、私に向けていた微笑みはほとんどなく、

真剣な表情で多数の研究を同時並行で進めていく。


今の私に出来ることといったら研究内容とは直接関係ない書類整理ぐらいで、

時々急に考えを聞かれては仮説とも言えないトンチンカンなことを口走る。

まあ、5回に1回ぐらいは「それは良いヒントになりそうだ」と言ってくれるので、

良いということにしよう。


(…というか、私たち以外の人間、いっぱいいたな)

他の研究員の人たちと話す機会が増えても、みんなよそよそしくて、

私は被験体なんだということを改めて認識する。


もちろん、世界にふたりきりなんていう仮説は妄想でしかなく、

本間先輩にとって、私はいろんな関わりの中のごく一部だということを再認識する。


でも、先輩がいくら多くのコミュニティを持っていようと、

こんな被験体としての関わりは流石に私だけだ。

少し、気分がいい。


「得意げに可愛い顔してどうしたんだい?」

この人は、時々こういう不意打ちをするからズルい。



「先輩、今日まだ何も食べてないでしょ!」

「あれ、そうだったかな。」


先輩の研究を手伝うようになって、


「この研究は芽がないな。中止しよう」

「お…、結構バッサリですね」


先輩の冷たいところも、


「先輩の部屋、汚すぎ…!」

「機能的だと言ってほしい」

「私が片付けます!」


先輩の人間的なところも、


「ごめん。その資料、しまっておいてくれるかな」

「これ、終わったばかりの実験ですよね?結構肝いりの」

「うん。でも、もう終わったものだからね」


知らなかった色んな顔を知って、

私が一番思ったのは、

先輩が私に向ける微笑みは、本当にレアなんだということだった。


「…もしかして先輩って、」

「うん?」

「私のこと、好きですか?」

「ぶふっ。あははははははは!」


爆笑されてしまった。初めて見た。

そして私の顔は先輩の唾まみれになった。


「ごめん、ごめん!

 君からそんなことを言われたのは、初めてだったから」

ハンカチで私の顔を拭きながら、先輩はまだ笑っている。

「だったら、これまでの私より、この私の勝ちですね」

「うん、そうだね」

拭き終わる。先輩の、顔が近い。


「それで、どうなんですか?」

沈黙が怖くて、私はそのまま言葉を続けてしまう。


「私は、先輩のこと、好きですけど」

「…うん、私も好きだよ」

先輩は笑顔で、でも少し寂しそうに答える。

だから、私は強引にキスをした。



お互いに気持ちを確認し合ったのは、

私が私として目覚めてからちょうど4ヶ月後のことだった。


それは、もう私が記憶を失ってもおかしくない時期だということだ。

そして、私が記憶を失うトリガーに、私はもう気づいている。


「私と先輩は、私が記憶を失った数だけ結ばれていたんですね」

「うん」

「私のこと好きなのに、よくそんな素振りせずにいられましたね」

「え。ずっと可愛いなって思ってたよ」

あっさりした顔で、そんなの言うのはズルい。


「私との恋は、おんなじことの、繰り返しでしたか?」

「…分かってるくせに。

 おんなじことも起こるけど、いつだって違う恋だよ」


「じゃあ、先輩は、

 成就した恋を、終わったものにしないでいられますか?」

「…自分では、いられるつもりだったんだけどね」


1番目の私の気持ちが分かる。

先輩は、確定したものに対して、長く興味をもっていられない。

綴木詩織の恋敵は、続々と増える研究そのものだ。


だから、1番目は、綴木詩織自身を研究にすることに決めたんだ。


綴木詩織の記憶喪失は、恋愛成就をトリガーとした人為だ。



「私に言われたくないと思うし、何度も聞いてる気もするんですが」

たくさんの電極を私の頭に貼り付ける先輩に、私は問う。


「先輩はこの実験、そんなに乗り気じゃないですよね?

 どうして続けてくれてるんですか?」

「1番目の詩織くんとの約束だからね」

先輩は手を止めずに答える。


「やっぱり、1番目は特別?」

「何番目の詩織くんも特別だし、私にとって、記憶の喪失は連続性を否定しない」

「急に難しいことを言う」

思わず笑い合う。

準備は完了したらしい。


私の大好きな人が、記憶を失っても私は私だと言ってくれるなら、

何も怖いことはない。

まぁ、そもそもが私の束縛でしかないのだけれど。


「ねえ先輩。ずっと可愛いと思ってたって言ってくれたけど、

 どんな時の綴木詩織が一番ですか?」


綴木詩織は、本間零歌によって記憶を消去される。

そして、次の綴木詩織もまた、本間零歌に恋をする。

この反復実験こそが、1番目からの私たちが目指した愛の形だ。


「君はいつだって可愛いけれど」

それは、きっと、

綴木詩織が何度も望んだ言葉なのだろう。

「私を好きになっていく時の君が、一番可愛いよ」

そして、この私11番目もまた、望んでいる。


だから、何度でもこの恋を繰り返そう。

いつか破綻する永遠を、私も夢見よう。

少しでも、nが無限に近づくことを祈って。


目を閉じる。

唇に唇を感じながら、またねと心で呟いた。

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