昔日のミュータント

そうざ

The Mutants that used to Exist

 幼童苑ようどうえん高等科に通っていた頃の話である。当時はまだ厳格な法制度が敷かれておらず、現在の観点では不謹慎且つ道理にもとる事柄が多々あるかと思われるが、予め斟酌を希望したい。


 当時、我が邸宅の敷地の片隅に家禽小屋と見紛う使用人一家の住まいが存在した。彼等は夫婦と兄妹から成る四人家族で、庭園の維持管理から人力四輪の車夫、その他諸々の雑用一切を任せていた。

 兄妹はその出自ゆえ窮民園きゅうみんえんに通っていたが、内向的なひとだった余は同年代の彼等を戯れの相手として諜報していた。無論、我が両親は眉根を寄せていたが、幼少期の余は歴然とした身分差を軽々と越境し得る柔軟性を有した神童だったのである。


 そんな余にもたった一つだけ彼等を羨んではばからぬ事柄があった。

 当時、全国数百ヶ所に置かれていた窮民園では押し並べて突然変異体ミュータントとの共寝が認められていた。これは愛玩福祉政策の一環であり、突然変異体と窮民階級とを同等種と見做す思想が広く社会一般に根付いていたからこその慣行である。

 今日こんにちの観点では全く理解し難い悪習にしか映らぬであろうが、かつては誰一人として違和を訴える者は居なかった。富民層から窮民層への施しが合法だった時世と考えれば、もありなんというべきだ。


 兄妹の通う窮民園では、クスと名付けられた突然変異体が常詰じょうづめていた。

 何故、幼童苑高等科に通う富民層の余がその事実を知り得たのかと申せば、このクスなる突然変異体が頻繁に使用人の住まいを訪れていたからである。

 これもまた現代の民には驚愕の事実であろうが、当時は突然変異体の野飼いが黙認されていた。嘗ての低劣な衛生観念や迂闊な規範意識、野卑な生命倫理の常態化が窺い知れる恰好の事例となろうが、当の社会は何の支障もなく歴然と駆動していたものである。


 窮民園は何処も夕刻になると閉園し、子供達は帰宅してしまう。突然変異体は翌朝までその場にぽつんと取り残される事になる。

 突然変異体が心性を有しているか否かについては、今以て諸説紛々の論点である。空腹を満たそうとその鋭い嗅覚で飼料を求める内に、偶さか顔見知りの園児の住まいを探り当てるに過ぎない、というのが大勢を占める解釈であるが、余としては、一抹の寂しさに耐え兼ねたクスが兄妹に温もりを求めた結果であろうと結論付けていた。

 天下の往来を小山のような突然変異体がのっしのっしと闊歩する光景は、正に大らかな時代の心象であった。


 余は、クスが来訪したら直ちに知らせるよう、使用人一家に固く言い付けていた。そして、その知らせを聞いた刹那の、あの何とも言えぬ心の躍動を何に例えようか。あたか希人まれびとを歓待するかの如きであったと思う。

 クスが既に他家で饗応を受けている場合は、食欲が満たされているが故に挙動が大人しい。クスの恥も外聞もない忘我の食い散らかしを気に入っていた余は、クスの口腔に強引に残飯を捻じ込み、苦し気な噯気あいきり出させて愉しんだ。何も出来ずに傍観する兄妹の強張こわばった顔と共に、余に極上の快楽をもたらす体験だった事を今もはっきりと憶えている。


 或る日、使用人夫婦に盗癖の疑いが生じた。

 かねてより調度品等の紛失事例が確認されていたが、通勤かよいの使用人達が揃いも揃って夫婦の仕業であると証言するに至り、その嫌疑は濃厚となった。

 夫婦は涙ながらに身の潔白を主張したが、我が父は鰾膠にべもなく一家四人をお払い箱にした。永追放という、生涯に亘って領内への立ち入りを禁ずる制裁であった。

 この厳しい処罰は、残る使用人への見せしめであったと思われる。万が一、他に盗人が存在したとしても、もう恐れを成して二度と犯行には及べぬと踏んだものであろう。

 この一件に於いて余が何を考えたのか。有りていに申せば、クスの事である。

 永追放は、兄妹が領内の窮民園から除籍される事をも意味している。兄妹が居なくなれば、もうクスは我が邸宅を訪れぬ。着の身着の儘、僅かな家財道具と共に去り行く一家の背中を眺めながら、余はその事ばかりを気に病んでいた。


 かるに、それは杞憂に過ぎなかった。クスは兄妹の消えた使用人小屋に変わらずその姿を現したのである。

 馴染みの兄妹が居らぬともクスに何の変質はなく、それまで以上に余に懐いた。突然変異体は人に付くのか、家に付くのか、はたまた単に食欲の為せるわざであるのか、当時の余にそこまでの思慮はなかったが、厳然たる事実としてクスが来訪すればそれで満足であった。

「若様、クスが参ったよしに御座います」

 使用人からの吉報を耳にする度に、余は何を置いても一目散にクスの許へ駆け付けた。さぞかし欣喜雀躍の喜び様に映ったに違いない。

 クスは毎回、余の姿を目に留めるまでクウンクウンと鼻を鳴らして小屋の前で待っていた。一度ひとたび余を視認すると、とち狂わんばかりのよろこびを示した。その際、かなりの頻度で失禁し、無邪気な醜態を晒すのであった。

 クスは以前にも増して残飯の一欠片までがつがつと貪り食うようになった。この頃になると、余はクスが他家でも饗応を受ける事が我慢ならなくなり、それまでの窮民層用の残飯ではなく、富民層のそれを与えるようになっていた。その甲斐もあり、クスは一層の巨大化を成し得た。

 満腹になったクスは一頻り余に愛想を振り撒き、頃合いを見計らって帰途に就くのであるが、丘のような体躯が夕闇へ消えて行く光景は、今も余の瞼に昔日のお伽噺の如く焼き付いている。


 クスが姿を消したのは、いつの事であったろうか。この部分は余の記憶からすっぽりと抜け落ちている。

 年老いて遠路の往復が叶わぬ身になったのか、その前に病没したのであろうか。

 当時の富民層には白昼堂々天下の往来で突然変異体を打擲ちょうちゃくし、場合に拠っては死に至らしめる者達も居た。この行為は狩猟と同義と解釈され、完全に容認されていたから、クスの最期としてあり得ぬ話ではない。

 或いは、余が高級士官養成校へ進学し、寮生活が始まった為、それをきっかけに自然と疎遠になっただけかも知れぬ。

 何れにせよ、戦争の機運が現実味を帯びるに至り、世情は急速に突然変異体を許容する余裕を失い始めたように思う。窮民層や突然変異体への施しが厳格に禁止されたのも、この頃である。


 今、蛮族の虜となりし己が身の不運を呪うに付け、余はクスが有していたであろう心性に思いを馳せずには居られぬ。数日に一度だけ賜る僅かな施しを昔日の残飯と比すとしたら、果たして富民層用のそれに近いのか、窮民層用のそれに近いのか。

 クスは、その出会いも別れも誠に潔い、愛すべき突然変異体であったと思う。頃日、夢に現れるのは、余と触れ合うクスではなく、去り行くクスを見守る余の姿である。

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