わたしのエース、わたしのショート

梨戸ねぎ

わたしのエース、わたしのショート

 目の前のマウンドで、背の高い少女が振りかぶる。

 それに合わせて、私も守備機会に備えて身構えた。

 長身からオーバースローで放たれた白球は、綺麗な縦回転をしながらストライクゾーンの隅へと向かう。

 そのまま相手の左バッターのアウトローへ吸い込まれていき、見逃しの三振。

 伸びのあるでストライクゾーンの隅を突く、お手本のような投球。

 直後、スタンドから歓声が上がる。

 みんな、バックスクリーンの方向を見ている。

 振り返ってスコアボードを見やる。

 スピードガンの表示を確認すると、128km/hと表示されていた。

 女子高校野球における球速の最速記録だった。


 ――――ほんとうに、すごい。


 私は再びマウンドの方へと視線を戻し、頼もしい背番号1の背中を見ながら胸を高鳴らせた。


 

 *****

 

 

 目の前の投手の名は村崎真衣。

 私、矢作悠那にとってかけがえのない親友だ。

 私と真衣は同じ英訓高校に通う同級生。

 そして部活も同じ、女子硬式野球部だ。


 私と真衣は小学生時代、地元にあった同じ野球チームへ所属していてそこで仲良くなった。

 お互いに女子の中では肩が強い方で、小学生時代は男子にも引けを取らないくらいだった。

 私は意外と器用だったことも手伝ってショートのレギュラー。

 バッティングは並だったので打順は下の方だったけど。

 真衣はすごくて、男子を押しのけてエースの座を獲得。

 バッティングにも目を見張るものがあり、常にクリーンアップを任されていた。

 

 私達が所属していたのは結構大きなチームで、女の子が何人も居た。

 だけれど、中学へ上がる時にはみんな野球を辞めてしまった。

 それはどこの中学校にも、女子の野球部が存在しないから。

 中学生になって野球を辞めてしまうというのは、女子の野球の世界ではよくある話なのだ。

 

 私もその時はなんとなく、「野球を辞めようかな」と考えていた。

 そんな時に、真衣は県内でも数少ない中学女子の野球チームに私を誘ってくれた。


 ――――私の背中を守れるショートは、悠那だけだから。


 そんな事を言われて、誘いを断れるだろうか。

 結果私は中学生になっても野球を続けた。


 私達が中学3年になる頃は、ちょうど女子野球の注目度が上がり始めた時期だった。

 高校の女子野球の全国大会の決勝を甲子園でやったりするくらいに。

 その影響で、スポーツに力を入れている高校では女子野球部を新設する学校も増えていた。

 その波に乗れたお陰で、私と真衣はスポーツ推薦でこの英訓高校に入学したのだ。

 元々男子高校野球の甲子園常連校で、そこが新設した女子硬式野球部の一期生になる形だった。

 集まった他の部員もみんな良い選手ばかり。

 そんな中で私と真衣はレギュラーに定着する事ができた。

 1年生の時こそチームの成績は奮わなかったが、2年の夏の大会では全国大会のベスト4までいったのは素直に誇らしい。

 そして今、私達は3年生として夏の大会最後の夏に臨んでいる。


 今はちょうど5回の裏の相手の攻撃が終わったところ。

 社会問題となっている酷暑に対応して設けられた給水タイムに入る所だ。


「ナイスピッチ!最速記録じゃん!」


「ありがと悠那」


 ベンチに戻りながら真衣に声をかけると、彼女は嬉しそうにはにかんだ。


「でも、勝たなきゃ意味ないよね」


 真衣はすぐさま顔を引き締めてスコアボードを見たので私もそれに倣う。

 1対1の同点。

 相手は天慶高校、去年の優勝校だ。

 よりによって優勝候補に1回戦から当たってしまった。

 しかも相手の先発投手は真衣と同じく、今大会注目のピッチャーだった。

 だけど予想外にも今日の試合は初回から動いていった。

 まずは1回表のこちらの攻撃で、私のサードへの内野安打から、真衣の3塁打で1点先制。

 しかしその裏の守りで、真衣は投手の永遠の課題である「立ち上がり」に苦しみ、すぐに同点に追いつかれてしまった。

 ただし真衣がランナーを出したのは1回のみで、その後はテンポよく相手打線を打ち取っていった。

 相手が早打ちしてくれている事もあって投げた球数もまだ60球。

 女子野球の試合は7回までしかないのもあって、充分に完投ペースだ。

 ただし相手も流石の好投手ぶりを発揮しており、こちらが付け入る隙を中々見せてはくれていない。


「私が、しっかり抑えなきゃ」


 真衣は真剣な表情で意気込む。

 ちょっと肩に力が入りすぎているように感じた。

 

「リラックスして投げよ?今の調子で打たせて取って楽に行こうよ」


「……うん、そだね。よし、全部ショートに打球が行くように投げるっ!」


 そのショートは私なんよ。


「それは勘弁して欲しいかなー……」


 この炎天下の中で残りの12アウトを全部私で捌いていたら倒れてしまうよ流石に。

 げんなりした表情の私を見て笑みを零しながら、真衣はスポーツドリンクを口に含んだ。

 まあ、少しはリラックスできたようでなによりだ。

 大丈夫、真衣が投げて後ろの私達がしっかり守れば負ける事はないはず。

 絶対に、優勝を目指すんだ。


 大会が終わったら、3年生は引退。

 私にとっては、野球をやる最後の夏になる。

 高校卒業後の希望進路は大学進学。

 志望する大学に女子野球部はないから、必然的に野球から離れる事になる。

 だけど真衣は違う。

 ピッチャーの最速記録を出したことから分かるように、全国レベルで有名な選手なのだ。


 高校に上がって野球の技術が伸び悩んだ私と違い、真衣はすごい。

 171cmの長身から投げ下ろして繰り出す直球は一級品。

 球速は日本の女性投手の中ではプロを含めても最速クラス。

 変化球の種類は豊富でカットボールにツーシーム、それにカーブとチェンジアップ。

 そして大きく鋭く曲がる、伝家の宝刀スライダー。

 

 バットを振れば、類稀なる長打力と巧みなバットコントロールでヒットを量産。

 なんであんなに外野の間をライナー性の当たりで抜きまくれるのか、私には理解出来ない。

 足も早く、相手ピッチャーのモーションを盗む上手さも相まって盗塁だってよく決める。

 苦手なのはクイックと牽制くらいか。

 文句なしでうちの学校のエースで四番だ。

 

 こんなに凄い選手なのでメディアでも度々取り上げられて、ついた渾名は「二刀流女子高生」

 そして将来有望な高校生を黎明期に入った女子プロ野球界が見逃すはずもない。

 真衣のもとには女子のプロ野球チームから沢山のスカウトが見に来ていた。

 本命は東京の球団だろうか。

 とにかく、高校卒業後プロ野球選手になるのは間違いないと思う。

 当の本人がやる気に満ちている。

 私はそんな真衣を全力で支えたかった。

 

 だからこの大会にかなり気持ちを込めて臨んでいる。

 もちろん、それは他のチームメイトも同じだろう。

 3年の夏の大会というのは、各々の野球人生におけるひとつの集大成となる。

 だけど私は真衣の為にも、この大会を、この夏を、歓喜の涙を流して終わりたい。

 小学生の頃からずっと苦楽を共にしてきた真衣と、一緒に野球をプレーする最後の機会だから。

 

 汗をタオルで拭いて、バッティンググローブを手に填める。

 この回の攻撃は3巡目の1番バッターから始まるので、2番バッターの私に必ず回ってくる。

 試合の流れを相手に渡さない為にも出塁してチャンスを作りたい。

 気合を入れ直して、ネクストバッターズサークルに向かった。



 *****



 大会注目ピッチャー同士の投げ合いは、ついに最終回である7回にまでもつれ込んだ。

 まず7回表の私達の攻撃は、ランナーこそ出るも後が続かず無得点。

 1対1の同点のまま、7回裏へ。

 真衣まだ投げ続けていたがこの炎天下の中だからか、流石に疲れが見えていた。

 相手の先頭バッターが9球も粘ってフルカウントに持ち込まれ、そのままフォアボールで出塁させてしまった。

 ノーアウトでサヨナラのランナーが一塁、ピンチだ。

 そして今、相手は定石通りの送りバントをしてきた。

 結果、ワンアウトランナー二塁。

 間を取るためにタイムを取る。

 ベンチから伝令が走り寄り、内野陣はマウンドへと集まる。


「真衣、大丈夫。ワンアウト取れてるんだから」


「そうそう、あと2人くらい簡単に打ち取れるよ」


「後ろの私達を信じて、思いっきり投げて!」


 口々に真衣を励ましあう。

 大丈夫、真衣はこんな1回戦で終わる選手じゃない。

 きっと後続をピシャリと抑えられる。

 だけど油断は禁物だ。


「真衣、牽制いけるよね?」


「もちろん!」


「相手のランナー、脚に自信があるみたいで一塁でのリードが大きかった。油断してるだろうし刺せるかも」


「わかった。タイミングは任せたよ?」


「オッケー」


 この局面、牽制のサインはショートである私が出す。

 その確認を取るためのタイムでもあった。


「よし、しまっていこー!」


「「「おー!」」」


 元の守備位置へと走って戻る。

 大丈夫、真衣なら大丈夫。

 沢山練習したのだから。

 

 野球においては完璧に見える真衣にも弱点があった。

 守備フィールディングだ。

 打球の処理をするまではいいのだけれど、その後に悪送球をしてしまう事がよくある。

 また牽制も苦手としていて、モーションが分かりやすいうえにこれまた酷い悪送球がままあった。

 

 色々と試行錯誤をしてみて、真衣が考えた原因はこうだった。

 真衣のような先発ピッチャーが1試合で投げる球数というのは100球近くになり、場合によってはそれを超える。

 そして投手というのは同じ身体の動き、モーションで毎回投球する。

 自分にとっての最適なモーションで毎回投げることが出来るといのは、良い投手の条件だ。

 マウンドから同じ距離で、同じ高さで、同じ身体の動きで投げる。

 これを何度も反復して繰り返すわけだが、これが他の動作に影響を与えてしまう。

 真衣曰く、マウンドから投球する時の高さや距離感が身体に染み付き残り過ぎるそうだ。

 そのせいで打球を捕球していざ送球動作へ移る時、身体の動きがぎこちなくなってしまい送球が乱れてしまう。

 だから練習でノックを受ける時は比較的安定した送球をしていても、試合だとミスをしてしまう。

 牽制球が逸れるのも同じ理由らしい。


 この悩みを抱える投手は意外とけっこういて、場合によってはイップスと言われる事もある。

 私も真衣の為に色々と案を出したりした。

 たとえばわざとワンバウンドさせて送球するなどだ。

 メジャーリーガーでも日本のプロ野球でも、近い距離でもわざとバウンドさせて送球をする人がたまにいる。

 チームのエース級の投手でもやっている投手をみることがある。

 送球がイップス気味の投手が採る対策としては割りとポピュラーな方法なんだと思う。

 そして真衣の場合、打球処理時の送球ではけっこう効果を発揮した。

 偶に力んでとんでもないバウンドのさせ方をしてしまう事があったけど、だいたいの場面で安定した送球ができる様になった。

 ただしこれは牽制では使えない。

 捕る方の負担が大きいのだ。

 そして牽制を安定させるために採った方法は、わざとサイドスローで投げる事だった。

 これを発見したのは偶然だった。

 練習試合で何試合か打ち込まれる事が続いた時に、「思い切ってサイドスローに転向してみる?」なんて冗談を私が言った事があった。

 で、実際に練習でやってみた時に牽制球もサイドスローで投げたら普通に投げるよりも安定して投げる事ができたのだ。

 この発見は、私が言い出しっぺだった事もあってけっこう嬉しかった。

 その後、投球モーションはオーバースローに直したが、牽制はサイドのまま続けていた。

 サイドでの牽制の練習にはかなりの時間を使ったし、私も沢山協力した。

 真衣にとっての、唯一の弱点と言ってもよかったからだ。

 それに、牽制が必要最低限出来ないとプロで活躍するなんて夢のまた夢だろう。

 だからかなり練習時間を牽制の上達に費やしていた。


 プレイが再開される。

 相手バッターは4番。

 全国的に有名なパワーヒッターだ。

 だがこの試合ではまだノーヒット。

 申告敬遠はしない。

 次の5番は今日2安打なので、このバッターで勝負しろというのがベンチからの指示だった。

 中々強気な采配、だけど私好みの勝負だ。

 たぶん相手は小細工をしてこないでヒッティングでくるはず。

 こちらの外野は二塁ランナーを返さない為の前進守備でバックホームに備えている。

 ランナーを見る。

 予想通り、リードはやや大きめ。

 だが真衣が刺せるかどうかは微妙なラインだ。

 「軽く牽制」のサインを出す。

 ここはまだ、本気で刺しに行かなくていい。

 相手の逆を突く牽制をするための前フリのようなものだ。

 真衣がサイン通り、力を抜いた牽制をする。

 私が二塁へ入り、球を捕球する。

 軽く放られた球とはいえ、この瞬間は気を抜けない。

 真衣は手首と指先の力が強く、投げるボールのスピン量がかなり多い。

 これは投手としては最高の特性なのだけれど、ことサイドスローで牽制をする場合は強いシュート回転がかかってしまい送球が利き手の方向に鋭く曲がる場合があるのだ。

 もちろんそれは昔の牽制時の暴投よりは頻度が少なく程度も小さいものなので、受け入れるしかなかった。

 牽制を比較的安定して投げる事と引き換えに生じたデメリットだ。

 真衣も毎回、シュート回転には気をつけてはいたがやはり緊張の場面だと何が起こるか分からない。

 今回は力を抜いた牽制だったので、特に問題無く私のグラブの中に収まった。


 ――――うん、これでいいよ。

 

 私は頷きながら真衣にボールを返す。

 真衣がニッと口角を上げながらボールを受け取った。

 大丈夫、意思の疎通は完璧だ。


 真衣がセットポジションに入る。

 今回は牽制のサインは出していない。

 真衣はチラリとランナーを一瞥してから、バッターの方へと顔を戻した。

 真衣スッと投球モーションに入ったところで、セカンドランナーが大きくセカンドリードを取リ始める。

 多分真衣の牽制とクイックモーションがあまり早くないのを理解したうえでの、その心理の現れなのだろう。

 真衣の投げたボールはストレート。

 相手のアウトローギリギリへと糸を引いたように向かっていくが僅かに逸れたか。

 審判の判定はボールだった。


 ――――いい、構わない。

 

 キャッチャーがすぐさまボールを投げる構えを見せる。

 ランナーがすぐさま二塁ベース上へと戻った。

 

 さて、こちらの仕掛けは整った。

 改めて「牽制」のサインを出す。

 目の前のランナーは真衣のモーションを見切ったと思っているはず。

 今ならランナーの逆を突いて、アウトに出来る!

 その確信が、私にはあった。

 

 真衣が再びセットポジションをとる。

 真衣がプレートから足を外しながら、今までの血のにじむような練習の成果の現れか、今までで最高の動き出しで牽制を入れた。

 タイミングは完璧だった。

 二塁に入りながらそう感じた。

 真衣もそう感じたと思う。

 それほどまでに完璧で、牽制だった。

 強く、シュート回転が掛かっていたのだろう。

 私の目の前で、ギュっと音がするような勢いで、ボールが鋭く曲がる。

 そして私は腕を伸ばすもむなしく、ボールはグラブを弾いた。

 私のカバーの為に二塁後方へ入っていたセカンドが、必死に身体を翻してボールに飛びつこうとする。

 だがそれも虚しく、ボールはライト方向へと転がっていった。

 セカンドランナーは悠々と三塁へ到達しガッツポーズ。

 相手ベンチから歓声が上がり、その背後の相手校のスタンドからは拍手喝采が起こる。


 ワンアウト、サヨナラのランナーが三塁。

 絶体絶命の状況になってしまった。

 プレッシャーで胃がキリキリと痛む。

 真衣の様子が心配になり、顔を向ける。

 彼女は悔しそうな表情で、こっちに近寄ってきて「ゴメン、力入りすぎちゃった」と謝ってきた。

 違う、真衣は悪くない。

 シュートするのは予想出来ていたんだ、私が死ぬ気で捕らなければいけない球だったんだ。


「ドンマイドンマイ!切り替えてこっ!」


 内野の誰かが真衣に声をかけた。

 真衣はそれに頷くと、再びマウンドの上へと戻る。

 そうだ、後悔は今すべきことじゃない。

 意識を切り替えなきゃ。

 

 相手の4番バッターは申告敬遠された。

 これでランナーは一塁と三塁。

 ここでまず警戒すべきはスクイズだが、しかしこのバッターで仕掛けてくるかどうか。

 この5番バッターも注目度の高い選手で、長打力があるけどバントみたいな小技は苦手というのが試合前の情報だった。

 外野へフライを飛ばせば犠牲フライで1点入る状況、相手はどう動くか。

 バッターの不得意な手段で点を取ってくるか、打者を信じて打たせるか。

 相手ベンチの考えが読めなかった。

 

 三塁に牽制を入れるべきだとは思う。

 しかしミスした直後。

 それが真衣の心理にどう影響するのかが怖かくて牽制させる事が出来なかった。

 真衣も自分から牽制の動作をする事はしなかった。

 真衣がセットポジションに入り、動き出す。

 腕をしならせ、1球目を投じた。

 キャッチャーのサインはウェスト。

 キャッチャーは立ち上がり、ボールは大きくアウトコースにボールが外れてミットに収まった。

 相手は何も仕掛けてこなかった。

 1ボールノーストライク。

 ボールカウントが増えるほど相手有利な状況。

 こちらはストライクゾーンで勝負せざるを得ない。

 真衣が2球目を投じようとしたところで、ランナーが走り出した。


「走ったッ!」


 叫びながら三塁へと向かう。

 こちらのファーストとサードが猛チャージをしかけていく。

 そしてここで真衣は落ち着いていた。

 投球をアウトハイへ大きく外したのだ。

 バッターが文字通り飛びながらバットを伸ばす。

 かろうじてボールがバットにかすり、ファールゾーンを転がっていった。

 

「助かった……」


 思わず呟く。

 真衣が咄嗟にボールを外さなければランナーが返っていたのは確実だろう。

 守備位置に付きながら「三塁へ牽制」のサインを出す。

 大丈夫、真衣は落ち着いている。

 その信頼通り、真衣は落ち着いて三塁へと牽制した。

 判定は余裕のセーフだったが大丈夫、これでいい。

 アウトにする為ではなく、警戒させる為の牽制だ。


 マウンド上の真衣は大きく息を吐いた後に笑っていた。

 自分を、周りを、緊張させない為に。

 この試合を楽しむ為に。

 うん、笑顔の真衣が1番素敵だ。

 そんな事を思いながら守備の体勢をとる。

 

 3球目のキャッチャーのサインはスライダー。

 真衣の最も得意とする球だった。

 真衣の決め球で、あえてカウントを取りに行くようだ。

 いい配球だと思った。


 真衣が投球モーションに入り、投げた。

 今度はランナーが動いて来ない。

 ヒッティングだ、ベンチはバッターに任せたのだ。


 真衣は、まだスクイズの意識があったのかもしれない。

 バッターが最もバントをしにくいのは、外に外される場合を除いたら1番はインコース高めの球だ。

 真衣も、相手がスクイズの動きを見せたら、今度はインハイに投げるつもりだったのかもしれない。

 その意識が仇となったのだろうか。

 投げた瞬間に、感覚的に失投だと分かった。

 真衣の投じた伝家の宝刀スライダーは、やや高めから斜め下へと変化していき、ストライクゾーンど真ん中へと。

 バッターはそれを見逃さず、思いっきりフルスイングしていく。

 真衣のスライダーのキレのお陰か、ジャストミートとまではいかなかった。

 だが、高く上がり外野のセンターへと向かう飛球は、犠牲フライには充分だった。

 センターがやや後ろに下がり、捕球体勢に移る。

 丁度前に出ながら捕球できる、理想的な位置取りだ。

 あれならば捕った瞬間にバックホームできる。

 ホームでアウトに出来るかもしれない。

 私は中継へ入る為に動く。

 そこで、運悪く一陣の風が舞った。

 強く吹いた一瞬の風は、ボールをさらに数メートル外野の奥へと押し込んだ。

 センターが慌ててバックする。

 私もそれに合わせて位置を変える。

 まずい、まずい。

 センターはギリギリの体勢でフライを捕った。

 その瞬間、他のチームメイトから、ベンチから、スタンドから。


 「走ったッ!!!」


 の叫びが飛ぶ。

 

 センターが必死の形相で私にボールを放ってよこした。

 

 歓声が、悲鳴が、宙を飛び交い乱舞する。

 

 私は今まで培ってきた技術の全てを以て、捕球から送球モーションまでを最短の時間で行いホームへとボールを投げた。


 ――――間に合って、間に合って、間に合ってッ!


 願いながら、祈りながら、叫びながら、ホームで構えるキャッチャーのミットへと向かう白球を見つめた。



 *****



 球場の外にある駐車場のアスファルトは、炎天下の中で信じられないほど熱くなっていた。

 流れ落ちた私の涙をことごとく空気中に溶かしていく。

 

 1対2のサヨナラ負け。

 1回戦敗退。

 悔しくて、悔しくて、悔しくて仕方がなかった。


「……悠那」


 うしろから声がかかった。

 彼女の顔を見るのが辛かったが、なんとか振り向く。

 目を真っ赤にして、泣き腫らした真衣が立っていた。


「ごめんね……」


 謝りたいのは私の方なのに、口火を切ったのは真衣だった。


「1番肝心なところで、力んで牽制逸らしちゃった」


「ちがうっ、あれは真衣のせいじゃないっ!私が絶対に捕らなきゃいけないボールだった!」

 

 必死になって言葉を続ける。


「サインを出したのも、サイドで投げるように言ったのも、ボールを捕れなかったのも、ぜんぶ私!ごめんっ!本当にごめん!」


 気持ちを吐き出して、再度うつむく。

 やっぱり真衣の顔を見られなかった。

 ふいにぎゅっと抱きしめられる。

 顔をあげると、真衣がコツンっと軽く頭突きをしてきた。


「なーにいってんの。チームプレーなんだから、悠那の責任は、私の責任でもあるって」


 抱きしめてくる力が少し強くなる。


「だから、1人で背負いこんで、自分だけを責めないで」


 真衣が諭すように、優しく耳元で語りかけてくれる。

 その気持に感謝をしたいけど、それでも自分を責めずにはいられなかった。

 それに。


「だって、だって。真衣と一緒に野球が出来る、最後の時間だったのにっ!」


 ずっと言えずにいた、気持ちを吐露する。


「あなたと一緒に、もっと、野球がしたかったっ……!」


 また、涙がこぼれ落ちる。

 どんどん、ぽたり、ぽたりと。

 止まらなかった。

 

「そだね……。私も、悠那ともっと、野球がしたかったな……」


 真衣の言葉が心に染み込んでいく。

 悔しさと悲しさの隙間に、真衣も同じ気持ちだと知れた喜びが少しだけ湧いた。

 そんな自分が浅ましくて、嫌になる。


「……悠那はさ、大学に進学するんだよね?」


「……うん」

 

 そうだ。

 そして真衣はプロへ行く。

 私達の道は別れてしまって、もう再び交ざる事はない。

 その事が、1番悲しかった。


「ね、わたしと一緒に住まない?」


「……え?」

 

 意外な話を切り出されて、思考がついていかなかった。


「住むといっても、私の入るチームは高卒3年目まで寮に居ないといけないからそれ以降になるけど……」


「あ、あの、ちょっと待って!一緒に住むって……」


「あれ、イヤだった?……イケると思ったんだけどな」


「いや、あの、その。イヤとかじゃなくって!急な話でなんの事だか」


 落ち着け、落ち着け、落ち着け。

 真衣の胸の中で深呼吸をする。

 彼女の汗の匂いが、すっと鼻を通っていった。


「なんの事って。だから、将来、一緒に住もうって」


「……ルームシェアってこと?」


「うーんまあ、端的に言えばそうなるのかなぁ」


「かなぁって、他になんかあるの……?」


「…………同棲、とか」


 真衣が照れながら言った。

 心がきゅーっとする。

 私の顔が熱いのは、この暑さのせいだろうか。

 熱中症を疑うべきかもしれない。


「わ、わたし、水飲んでくるっ!」


「ダメ、まだ返事を聞いてない」


 こういう時の真衣は意外と強引だ。

 答えをハッキリと聞くまでは離してくれない。


「なんで、私と、なの?」


 とりあえず気になった事を聞いてみる。


「なんでって、そりゃあ……」


 真衣はなに当たり前の事を聞くの?みたいな顔をしながら微笑んだ。


「私の背中を、私の隣を、守れるのは悠那だけだから」


 昔聞かされた、今でも私にとって大切な言葉にそっくりなフレーズ。

 今この時に聞くなんて。

 ずるい。


「……ダメ?」


 そんな可愛く聞いてくるのも、ずるい。

 

 私はもう一度深呼吸して、言葉を紡ぐ。


「ダメじゃない。……いいよ。私も、真衣と一緒に暮らしたい」


「やった!」


 こら、負けたチームのエースが試合直後にそんなにはしゃぐな。

 メディアだった来てるのに。

 そんな真衣に呆れながら、私は心に誓う。


 ――――この際だ、真衣のことを。ずっと、一生、守っていこう。


 もう、私の頬に涙はなかった。

 真夏の太陽はまだまだ輝きを増している最中だった。

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わたしのエース、わたしのショート 梨戸ねぎ @Negi_Nashito

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