中央競馬への挑戦 1988年9月18日(日) 新潟競馬場 オールカマー(GⅢ)
第14話 新潟競馬場
阿栗孝一は9月18日の昼12時を少し回った頃、新潟駅に着いた。
アグリキャップが出走するGⅢオールカマー。
今日の新潟競馬場のメインレースとして開催される。
毎年中山競馬場で開催されるGⅢオールカマーだが、今年は中山競馬場の改修のため新潟競馬場で代替開催されるのだ。
東海道新幹線ひかりで名古屋駅から東京駅まで2時間弱、東京駅から山手線に乗り換え上野まで行き、上野から上越新幹線あさひに乗り新潟駅まで約1時間40分。
思ったほど時間はかからなかった。
最も、小牧空港から旅客機であればもっと短時間で到着したのだが、阿栗は川端康成の小説「雪国」の有名な冒頭、『トンネルを抜けると、そこは雪国であった』のトンネルが国鉄、いや昨年民営化したJR上越線の谷川岳トンネルだと聞いて、一度文豪の感じた感慨に浸ってみたいなと思い鉄路にしたのだ。
ただ、上越新幹線の谷川岳トンネルは立派で、それほど新幹線は速度を落とすことなく通過したため、過去の文豪の感じた旅情は味わえなかったのだが。
旅客機は久須美調教師と騎手の安東克己のために手配した。
安東克己は16日の名古屋最終レースに乗鞍があった。
騎手はオールカマーの前日、17日の21時までに新潟競馬場の調整ルーム入りする必要があったが、普段鉄道に乗り慣れていない安東を一人で新幹線と在来線を乗り継がせて新潟まで行かせるのは下手したら21時に間に合わないことも有り得る、と久須美が真剣に心配したため、久須美と安東の二人分、旅客機を手配することにした。
久須見からは昨夜、安東とともに新潟入りしたと連絡を受けている。
阿栗は安心して今朝起きることが出来た。
アグリキャップは、関西馬の輸送を主に手掛ける馬運会社の馬運車で9月12日(月)の朝に笠松を出発していた。
同じくオールカマーに出走する名古屋所属のヒロノファイターとともに、名神高速道路経由で7月に全面開通したばかりの北陸自動車道を通り、約10時間近い長旅だった。
久須美調教師は笠松に残っており、新潟競馬場では厩務員の川洲と調教助手の
同乗したヒロノファイターが馬運車乗車中は落ち着かなかったのに対して、アグリキャップは全く気にすることなく平気で乗っていたということを久須見調教師からは聞いている。
アグリキャップは輸送疲れも見られないどころか川洲厩務員も感心するくらいカイ食いも良く、9月13日から新潟競馬場内で久須見調教師に指示を受けた毛受調教助手によって調教をつけられており、動きは良いとのことだった。
「新潟競馬場まで頼みますわ」
阿栗は新潟競馬場までタクシーで移動するため、新潟駅のタクシー乗り場からタクシーに乗車した。
「お客さん、名古屋の方ですか?」
タクシー運転手にそう話しかけられる。
アクセントに濃尾訛りが出ていたらしい。
近いけど岐阜や、と阿栗が答えると、今年の中日ドラゴンズは調子いいですねえ、と運転手が話しかける。どうもドラゴンズファンの運転手らしい。
阿栗も東海地方民として中日ドラゴンズファンだったが、今日は正直愛馬のレースに気が行っており、雑談する気分では正直無かった。
ただ、いくら気を揉んでも仕方がないと思い直し、運転手の雑談に付き合う。
闘将星野のイズムがチームに浸透したからだの、2年目左腕の近藤真一が前半はエース級に勝てたのがチームを乗せただの、やっぱり落合の貫禄は違うだの、主に運転手が喋っているうちに、終いには「燃えよドラゴンズ」を口ずさみだしたところで新潟競馬場に到着したため、阿栗は少しホッとした。
笠松競馬の馬主記章を提示し、今日のメインレースに所有馬が出走するということを係員に伝え、新潟競馬場に入場する。
今年の7月に完成したばかりの新潟競馬場のアイビススタンドは、普段の笠松や名古屋に比べて大きく立派で、阿栗は流石は中央競馬の競馬場だ、と圧倒される思いだった。
スタンドを抜けた先には観覧スペースの芝生席が広がっており、観客は13時発走予定の第7レース4歳未勝利戦を眺めようと思い思いに芝生に腰を下ろしたりしている。
その先のレースコースにも鮮やかな緑の芝が、日本海側特有の晴れているのに薄曇ったような日差しを受けて絨毯のようにきめ細かく輝いている。
新潟か。
中山競馬場の大規模改修による代替開催が新潟競馬場で開催されとらんかったら、ずーっと来ることも無かったかも知れん。
アグリキャップが今日のレースで地方馬最先着したら、次は東京競馬場なんやな。
何か、夢みたいやなあ。
まあ、オールカマーにはGⅠ馬2頭出とるから、3着でも上出来や。
どっちかに先着したとしたら、中央でも重賞一つくらいは取れるんやないか。
「オーナー、マだレース始まってないのニ、感慨に耽ってるんデスカ」
コースを見ながらぼんやりと考えていた阿栗の横から女性の声が聞こえたので隣を見ると、いつの間にかセラフィーナ=ヒュッティネンが阿栗と並んで立っていた。
「セラさん、音もたてずに横来ててびっくりしたわ」
「スミマセン、阿栗オーナー。ワタシ、ジャパニーズニンジャの修行してるんデスヨー、ケンが師匠デス」
「またまた、セラさん冗談上手いやないの」
「ハハ、ケンと一緒におウマサンの世話しているの、色々修行になるんデスヨー」
「今日は稲穂牧場の代表で来たんかね」
「ハイ、稲穂牧場のお父サン、お母サン、裕司さんに電話して了解もらってマス。今日のレースでハツラツが勝ったのを見届けてカラ、明日の朝のフェリーで北海道に戻りますヨー」
「て言うても、今日のレース、中央のGⅠ馬が2頭出てるからなあ。地方の馬も何か何か重賞取っとる馬ばかりやし。キャップも勝てるかわからんよ」
「ナニ言ってるんですカ、オーナー。ハツラツは勝ちマスヨ。ハツラツは、オーナーのこと、久須美センセイのこと、厩務員サンのこと、稲穂牧場のお父サン、お母サン、裕司サンのこと、関わってくれた人ミンナが大好きなんデスヨー。だからミンナのために勝つって言ってましたカラ」
「それ、布津野くんが言ってたん?」
「違いマスヨー、ハツラツが言ってたんデス、ミヤマからカサマツに戻る時にネ」
「はははは、ほうか、キャップ本人が言うとったんか、やったら間違いないわな」
「そうデスよ、ハツラツの気持ちが充実してるッてコトですヨー。あ、そうそう、安東サンだけはムチで叩き過ぎだってコボしてまシタ」
「ほな、係員に聞いて出張馬房に行けそうやったら顔出すか。直接安東くんに伝えてやってくれや」
「ハイ、お安い御用デスヨー」
阿栗はセラと一緒に新潟競馬場の係員を探しに歩き出す。
セラと話しているうちに、勝てないと思っていたGⅠ馬2頭にも勝つ可能性はあるかも知れないと楽観的な気分になってきた。
2頭のGⅠ馬。
現在単勝1番人気、単枠指定。
昨年の宝塚記念覇者、スズエレパード。
宝塚記念後脚部不安が出て1年以上経つが、このオールカマーを復帰戦に選んだ歴戦の古強者で、あの日本競馬界の「皇帝」と呼ばれた馬とも戦ったことがある。
鞍上の海老沢清二はいぶし銀と呼ばれており、スズエレパードともコンビを組んで3年目。円熟期を迎えていると言って良い。
そしてもう1頭。
やはり昨年、エリザベス女王杯こそ2着に敗れたものの桜花賞、オークスを制した2冠牝馬マキシムビューティ。
今日は2番人気を背負っている。
1頭だけ栗東からの参戦だが、今日は日本競馬界きっての名手
せやけど、うちのキャップも何かやってくれる。
そう、ワシらがキャップを信じてやるんや。
「セラさん、キャップが勝ったら千歳までの飛行機代出したるで。稲穂牧場の皆さんに一刻も早く伝えてもらうために」
「でしタラ、もうヒコーキ予約してもらっていいデスヨー」
セラが呑気に、しかし強気な返答をする。
阿栗はその返答を聞き、新潟の薄曇りが晴れて芝生の緑が益々鮮やかになった気がした。
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