第4話 阪神淡路大震災に被災したこと

阪神淡路大震災に被災したのは、私が大学1年生の話だ。

私は兵庫県西宮市にある関西学院大学の、今はもうない日本文学科に進学した。

関西学院大学(関西人は「関学」と呼ぶ。なぜなら大阪に関西大学という大学があるから区別する必要があるためである。関西大学は「関大」と呼ばれ、今は知らないが、関学と関大は私が在学当時は、毎年五月に交流を兼ねた定期戦を行う関係だった)は、私の尊敬する作家、氷室冴子先生が好きだとおっしゃっていた、シンガーソングライターの大江千里さんがOBだった。そして私が高校2年生の秋に、進路指導室で関学の大学紹介のパンフレットに大江千里さんは寄稿していた。それには『変わり者が自分の居場所を見つけられる場所』と書かれていた。高校で変人呼ばわりされていた私は、関学こそ理想の大学!と思いこみ、必死で勉強して、合格し、入学した。関学は本当に自由な校風で、私には生まれて初めて仲良しグループというものができた。

両親は大学最寄り駅の一つ、甲東園駅近くに女子専用の下宿先を見つけてくれた。二階建てで六畳一間の部屋が12部屋、台所とトイレとお風呂と洗濯機と洗濯物干し場は共有で、共有場所の掃除は大家さんがしてくれる。大家さんは年配の男性で、日中は自宅で過ごし、夜は管理人室に寝泊まりしていた。

私は1階の106号室、一番端の部屋だった。

下宿にはネズミが出た。姿は見たことがなかったが、天井裏からよく音がするので分かった。

特に入学した最初の11月から12月は天井裏のネズミの動きが活発で、イタチでも入りこんで、暴れているのではないかと下宿生同士で話していたのだった。

それが、お正月に実家に帰省して、1月に下宿に戻ったら、ピタリと静かになって、どうしたんだろうと呑気にかまえていた。

そして、忘れもしない1月15日。私は大学で仲良くなった友達みんなと神戸の繁華街、三ノ宮へ遊びに行った。楽しく遊んで暗くなった駅からの帰り道、「ずっとこの幸せが続けばいいなあ」と心の底から思った。

それから二日後、1月17日の早朝、私はやけに目が冴えて、眠れなかった。

いつもならギリギリにならないと取りかからないレポートでもしようと、布団から起きて、一人用の小さなコタツでワープロに向かって、レポートを打っていた。ちらりと時計を見たら、6時近かったのを覚えている。

レポートを打つ途中、突然、地鳴りが始まった。

地震だ!ととっさにコタツに潜った。激しい揺れにコタツから放り出されないためにコタツの脚にしがみついた。コタツの天板が外れた時は、天井から206号室の同級生が落ちて来るんじゃないかと思ったが、なんとか揺れは収まった。

コタツから顔を出して、辺りが真っ暗だったのでビックリした。停電だった。

明るくなってから見たら、部屋の中はグチャグチャで、私が本来なら寝ていた枕の上に、テレビが飛んで乗っていた。レポートをせずに眠っていたら、頭を潰されて死んでいたかもしれない。

なんとか部屋から廊下へ出ると、下宿生みんなが起きて来た。管理人室から出て来た大家さんは「ガス臭い」と言って、慌てて台所のガスの栓を閉めに行った。大家さんは多分、ご自宅やご家族が心配で仕方なかっただろうに、明るくなるまで、下宿にとどまってくれていた。

大家さんがラジオをつけたら、「京都を震源地とする大地震が起こった」と報じていて、ここがこんなにひどいのに、京都が震源地だったら、京都はどんな大変なことになっているだろうと思った。(後から誤報だったと分かるが、それは明るくなってから分かったことだった)

その後が悲惨だった。あちこちから「助けてくれ~」という声が下宿先に聞えて来る。

暗くて見えなかったが、下宿の近隣の家はあちこち倒壊していたのだった。下宿は私が入居する数年前に補強工事をしたおかげで助かったらしい。

そして、助けを求めて駆けこんで来た、近所の若い妊婦さんとその母親らしい女性。

女性はずっと男の子の名前を呼んで泣いていた。2階で母娘で寝ていたけれど、1階で寝ていた息子さんの安否が分からないと言う。パジャマの二人に下宿生で、靴下やコートを着せかけた。今から思えば、里帰り出産の予定だったのだろう。お腹の大きい妊婦さんは「お母さん、あの子は強い子だから大丈夫よ」とお母さんを懸命に励ましていた。

私はもう6時台だと分かっていたけれど、夜はなかなか明けなくて、悪夢のような長い夜だった。

昼近くになって、駅の公衆電話から実家に電話したら、母は「あっら~、元気?」と言って、目の前で駅前のビルの1階がなくなって、2階が1階になっている姿を見ながら、「なにを呑気なこと言ってんのよ!? 街中、ゴジラが踏みつぶしたみたいになってるのに!」と思わず叫んで、私の背後で順番待ちしていた人たちから失笑されたのは忘れられない…。

ご近所の息子さんは亡くなっていて、妊婦さんとお母さんは何も言わずに引っ越してしまった。コートを渡した下宿生の方は、返してもらえずに困ったようだった。

17日の夜は電気が通っている友達のアパートに泊めてもらった。その友達の家のテレビで、18日から歩いて行ける距離の駅から電車が動き始めるニュースを聞き、それぞれ実家が遠方だった仲良しの友達と、貴重品だけ持って、実家に帰宅した。

あのネズミたちは地震を察知して引っ越したのだろうか?

妊婦さんは無事に赤ちゃんを出産されただろうか?

一瞬で幸せが簡単に壊れてしまうことを知った、19歳の冬だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る