第2話:缶コーヒーと夏の線香花火

「すごいですねぇ、羽鳥さん。有料サブスクなのに登録者数がすごいことになっていますよ。月次、いけるんじゃないですか!」


 隣から僕のパソコンを覗き込むのは、電脳幻愛のセキュリティープログラムを開発した後輩の井澤である。事業部長の武田からは「電脳幻愛こそ我が社の起死回生の一手、社運を賭けた製品」と評された一方、厳しい月次目標が課せられた。


「基本コンセプトは、ユーザーと人工知能の感情的な結びつきを狙っているんだよ。だから解約率も低いはずさ」


「解約率の低さは、業績のアピールポイントにもなりそうですよね。ところで羽鳥さんはやってみないんですか、電脳幻愛」


「自分で作っておいてなんだけど、僕はあまり興味がないんだよね」


 電脳幻愛のローンチは成功だったといってよい。有料サプスクリプションの登録数も順調に増加しており、合わせて広告収入も増加した。事業部の武田は複利で収益を得られるこの製品を高く評価した。とはいえ、何もかもが順風満帆というわけではない。


 順調な業績とは裏腹に、営業部長の前澤をはじめ、同期社員からの嫉妬も多く、親しかった同僚の何人かとは口をきかなくなった。何かを得ることは何かを失うこと。それは僕の人生にとって今も昔も変わらない。


 午前中の業務が終わると、僕は決まって自動販売機で缶コーヒーを買う。カフェインを摂取しないと集中できない……そんな気もするけれども、本質はそういうことではない。

 コーヒーに含まれるカフェインという薬物は、僕にとって感情を調整するためのツールなのだ。僕は記憶の軌跡をなぞることが習慣化している。コーヒーを飲むという営みは、彼女の面影と出会うための儀式のようなものだった。


 あれは高校最後の夏休み、地元で開催された花火大会の夜のこと。何か特別なことが起こる予感に包まれた夜空の下で、僕と彼女は町を駆けた。街路の光が湿度をまとった暗闇を照らし、華やかな屋台が通りを埋め尽くす。色鮮やかな光が夜空を舞い踊り、周囲から歓声が上がっていた。


「彩の舞、きっと一時の光を忘れない」


 夜空を見上げながらそう呟くと、彼女は久しぶりの笑顔を見せた。その時まで、彼女がしばらく笑っていなかったと気付いた。


 花火大会が終わると、僕たちは祭りの雰囲気が残る夏の風を背に、神社の境内で線香花火に火をともした。


「大学はさ、工学部に行きたいって言ったら、おやじに小言を言われたよ。お前は医者になれって」


 僕の父は町医者だった。特定の診療科を標榜せず、祖父の代から続く小さな医院には、「羽鳥内科」とだけ書かれた木製の看板が、診療所の壁に無造作に立てかけられていた。


「そう、君が選んだ道なら、私はそれでいいと思う。それがいいと思う」


 線香花火の火種がゆっくりと大きくなり、やがて空気と空気の隙間を縫うように、細い光の枝が浮かび上がっては消えていく。


「遠くない将来、僕たちは機械が作る言葉たちで溢れた社会を生きることになる。そんな機械の言葉たちとどう向き合えば良いのか、そんなことを学びたい。でもさ、いくら親父でも『俺に恥をかかせるな』とか、そんなふうに叩かれるとへこむよな」


「叩かれたからといって、へこんでしまうことはないわ。あれだけ叩いて卵を泡立ててもケーキはふくらむもの」


熱気を帯びた夏の夜風が、彼女の前髪を揺らしていく。


「正直なところ、不安もたくさんある。僕にそんな才能があるのかなって……」


「思いやりのない言葉でつぶされてしまうなら、それは才能とは呼ばない。そうでしょう?」


 夏風にゆすぶられた火種がポツリと落ちた後は、水の流れる音だけになった。その翌日に、テレビのニュースで知った事実は彼女の死だった。無表情なキャスターは、高野舞たかのまいの死因を事故死と報道していた。

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