謝肉祭(レジーナ視点)

 二月の中旬から一週間ほど、早春の訪れを祝い本格的な春の訪れを祈るメルシア連合王国各地でファストナハトと呼ばれる謝肉祭が行われる。

 仮装をして街を歩き、最終日には飾り付けをされた荷馬車でパレードを行い、その上から小さなパンを配る。

 また、たくさんの食べ物や飲み物の屋台を回り、祭の後にある約三週間の節制節の前に皆で暴飲暴食をして楽しむ祭だ。

 謝肉祭の期間は学校も休みになる。初日の街歩きをテオドールに誘われて、レジーナは一も二もなく頷いた。

 リアムにテオドールとのことはばれているのだ。もう、こそこそとする必要もない。


「ネヴィア姫の仮装がよく似合っているじゃないか。今日のお前はいつもに増して美しい」


 せっかくのデートだからと、あえて広場で待ち合わせた。

 オクシデンス商会で用意してもらった湖の騎士のネヴィア姫の衣装を着て待ち合わせ場所に行くと、テオドールはすでにレジーナの事を待っていた。

 暴虐の王に娶わされ苦しむ妃ネヴィアに、献身し、慈しみ、虐げられた彼女を護るために裏切りの汚名を着て王妃を連れて駆け落ちする湖の騎士ランスの姿。

 恋人同士の定番の仮装で、他にも同じ格好をした男性が何人も歩いていたが、テオドールの姿は贔屓目なしに抜きん出ていた。


「それを言うならテオドールも眩しいぐらい。黒髪だと別人ね」


 顔の上半面を覆うファストナハト用のマスクをつけて、テオドールと指を絡めて手を繋いで屋台を回ると呼び込み達が声をかけてくる。


「シュニッツェルサンドはどうだい? 柔らかくて美味しいよ! 節制の前の肉の食べ収めに最適だ!」


「フリカデッレを召し上がれ! 懐かしいお袋の味がするよ!」


「最新流行のカレーの味のヴルストだ! 一口サイズに切ってあるから食べやすいよ!」


「薔薇のジャムを詰めたポンチキはいかが?」


「フリカデッレかヴルストか悩ましいな。ジーナは甘い物の方がいいか?」


 賑やかな呼び込みは地域が違えどどこも同じだが、この辺りの屋台の料理はどれもこの辺りの定番の味でリベルタの屋台とラインナップが違って面白い。

 まだ寒い季節だから、生のフルーツ類はまったくない。

 砂糖や油脂をたっぷりと使った体を温める食べ物が多く、飲み物も温めて酒精を飛ばしスパイスを入れたグリューワインや温かい牛乳に卵のリキュールを垂らした甘い飲み物を出しているところが多い。


「飲み物はポセットにするわ。食べ物はどうしよう。ノイメルシュの屋台は初めてで目移りしちゃう。ねえ、分けて食べない? そうすれば色々食べられるわ」


「それはいいな」


 手近な屋台でテオドールのグリューワインと自分のポセットを買うと、食べ物を吟味すべく屋台街をそぞろ歩くとテオドールの姿が目を引くのだろう。屋台の主人から声をかけられる。


「ネヴィア姫! 騎士殿とお忍びかい?」


「ええ! そうよ!」


「美男美女でお似合いだよ。真実の愛を貫く二人に祝福を!」


「おじさまもいい1日を!」


「祝福をありがとう。僕の心は彼女に奪われきっているんだ。今はほんの少しだけここの料理に浮気しそうだけど」


「おやおや! こんな素敵な姫君とうちの料理を比べてくれるのか?」


「だってうまそうだろう? 傷心の姫君に償うためにぜひともおまけをしてくれ。お代に加えて彼女のとびきりの笑顔がついてくるぞ」


 屋台の主人に言われ、テオドールがレジーナの腰を抱いて冗談めかして返すと、周囲がどっと湧いて頬が染まる。

 にこりと笑って見せると、素敵な恋人達にとからかわれながらもたっぷりとおまけをしてもらえた。

 屋台から離れ、川辺に設置されたテーブルとして使える木の箱に板を渡した物の上に料理を載せる。

 それを二人でつまむと心の底からじんわりと幸せが湧き上がってくる。


「こうやって賑やかな中、気楽に食べるの海亀島の屋台街みたいで楽しいわ!」


「……苦労したんだな」


「え? 苦労? 海亀島の港の屋台街は有名で、そこでパパ達とご飯を食べてただけだけど? テオこそ、屋台で食事をとるの嫌な顔もしないし、街の人たちにはずいぶん気さくで不思議だわ」


「ディクソン商会で仕事をしてた時に食事は屋台で食べてたから慣れた。今もだが小遣いも自分で稼いだ以上は使えない。それに祭は貴賎なく交わる時間だし、彼らは王侯が庇護すべき民だ。利害関係もなく、二つの世界は遠すぎて舐められて困ることがない。だから圧をかける必要もない。むしろ気さくに振る舞うことで、こうやって親切にしてくれる」


「意外だわ。でも、あなたの新しい一面を見られて嬉しい。そういえば屋台街でご飯を買う前に聞いた吟遊詩人の唄も素敵だったね」


「僕は少し嫉妬した。美しく優しいお前に贈る歌は僕から贈りたかった」


「嘘ばっかり。口がうまいわ」


「本気だよ。まあ、残念ながら詩的な才能はあまり持ち合わせがなくてね」


「そういうの得意そうなのに?」


「音楽も詩作も自分でなにかを作り出す才能はなくて教師にがっかりされた。エリアス殿下はそういうことも得意だったと。ただ歌って演奏するだけならなんとかなるんだが」


「パパが詩作に優れてるなんて聞いたことがないわ……。楽器はたまに弾いてたけど。ねえ、せっかくだし歌ってみて?」


「え? ここで?」


「うん。聞いてみたいの」


 テオドールはグリューワインを一口飲んで姿勢をただし歌い始めた。

 湖の騎士の歌劇で使われるネヴィアに捧げる愛の歌だ。

 耳に優しい甘く囁くようなテノールが川縁に響きうっとりと聞き惚れていると、各々食事をとっていた祭の客が集まってきて人垣を作る。

 一曲終わると盛大な拍手が響いて、もう一曲のコールがかかり、テオドールの耳が照れたように赤くなる。

 咳払いをして、さきほどよりほんの少し声を低く抑えて、戦についてきてほしいと恋人に乞う、メルシアで人気の曲を歌った。


「にいちゃん! いい声してるな!」


「帽子を出しな!」


 レジーナがすかさずテオドールが被っていた帽子を差し出すと、硬貨が投げ込まれる。


「素敵な歌を聞かせてくれたお礼だよ!」


 ずいぶんと埋まった帽子の中を見れば金貨こそなかったが、銀貨が入っていて度肝を抜かれた。


「はは……驚いた」


「すごいわ! お礼にもう一曲歌ったらどうかしら」


「じゃあ、僭越ながら最後にもう一曲」


 メルシアで定番の民謡をテオドールが歌い上げると周囲から喝采がおきる。

 テオドールはレジーナの腰を抱いて頬にキスをした。


「僕への喝采よりも、僕達の恋を祝福してくれ!」


 皆がそれに応えて口々に二人への祝福を口にするのが照れくさい。

 だが、それはレジーナの心をじんわりと満たした。

 謝肉祭で友人や恋人同士が揃いの衣装で街に繰り出して楽しげに過ごしていて憧れていた。

 アレックスやケインと過ごしていたから孤独でもなかったが、寂しくはあったのだ。

 レジーナの回りには恋人はもちろん同年代の友人がいなかった。

 ソフィアがはじめてで唯一の友達だったぐらいだ。

 不意にこの間の喧嘩を思い出し、痛んだ胸を見ないようにレジーナはテオドールの頬に軽くキスを返す。


「すごい楽しいわ! テオ、今日はありがとう」


「こちらこそ。君とすごせて僕も嬉しい」


 お熱いねぇ! お幸せに! などと言われ レジーナは幸福の絶頂にいた。

 そこに大きな掌からの拍手音が響く。


「え?」


「結構結構、恋人達のむつみあいはどこで見ても心温まる」


 ケインよりも大きな、いかにもお忍びといった服装の北方民族の特徴のある男が、地味な見た目の少年と淡い髪色の少女を供に拍手しながら近づいてくる。

 そして、帽子にメルシアのものではない金貨を一枚投げ込んだ。


「どうも、はじめまして。勿忘草の姫君」


 この瞬間、レジーナの幸福は砕け散った。

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