悪党は悪党の顔をしていない(エミーリエ視点)
「ここか?」
ためらう様子のテオドールに問われてエミーリエは小さく頷いた。
改めてみれば窓枠の緑のペンキはひび割れて剥がれ、その下の赤い塗料が見えていたし、看板の文字は掠れていて読み取れず、確かに不安を誘う。
「ええ。でも中は外観ほど悪くなかったわ」
テオドールの不安を払拭するように彼の大きな手を握ると、その手はすげなく払われた。
「……テオドール殿下、ここで頼むんですか? オクシデンス商会に頭を下げた方が良いんじゃ……」
「ルドルフ、矜持を持て。本当に危ないならコレがある。だいたいオクシデンス商会だってこちらを花鏡通りのミルヒシュトラーゼに呼びつけたし、ここだって似たような場所だ」
腰に履いた護身用の剣を叩いたテオドールを見ても、ルドルフの怯えた顔は消えなかった。
「あそこと違って治安の悪い壁穴通りに近いですけれども……。エミーリエ嬢は本当に一人でここまで来たの?」
「馬車でここまで乗り付けて、待たせたの。その日は少し怖かったけど、今日はテオが一緒だから怖くないわ」
親愛を示すために今度は腕を取って胸をテオドールに押し付ける。テオドールの淡麗な口元がほんの少しだけ弛むのを目端で捉えてエミーリエは言った。
「テオ、入りましょう」
「そうだな。こんなところで立ち止まっている方が危ない」
建て付けの悪いドアを開けて店に入ると、店の中は客はいないものの、先日来た時と同じように、トルソーにドレスやジュストコールが掛けられていた。
「こんにちは」
エミーリエの声に店の奥からいかにも善良そうな老婆とその老婆によく似た顔のふくぶくとした中年の男が出てきて、にこりと笑う。
その二人を見てテオドールとルドルフの緊張が弛んだ気配がした。
「おお、姫様、良くぞいらっしゃいました。ささ、こちらにかけください」
素朴な応接セットのソファーに腰掛けると、商人達は頭を床にこすりつけん勢いで下げてくる。
「殿下とお付きのおぼっちゃまもわざわざ御足労いただき光栄でございます。姫君から伺いましたが、この度は当商会にご依頼いただけますとか」
「条件による。男女別の礼装を王宮の夜会までに、それぞれ最大で一〇〇程度だ。王宮の格式を汚さない程度の質は担保しろ」
高圧的にルドルフが告げたが、彼らは笑みを崩さなかった。
「二〇〇枚でございますね。一枚一万五千ターラならばお受けできます」
「一万五千……高いな」
渋い顔のフェアフェルデに商人は畳み掛けた。
「まあ、そうおっしゃらず。もう時間もありませんでしょう? それにおぼっちゃまのご家族は金融業を営んでおいででしょう。一万五千は確かに高くございますが、購入者とフェアフェルデ伯爵家で貸借契約を結んでいただき分割払いにする事で支払う方の負担を軽減し、またフェアフェルデ伯爵にも利息や手数料をお取りいただけるかと思います。またその方式ですと一枚二万にしていただき、殿下方に一枚につき五千お納めする事も可能ですよ」
渋かったルドルフの顔が明るく輝いた。家の収入に相当貢献になると考えたのかもしれない。
「殿下、もう時間もありませんし、そこに飾ってあるドレスを見ても問題なさそうじゃないですか? 依頼してしまって良いのでは?」
「採寸はどうする。製品納入までの流れはどう予定する?」
「そうですね……。採寸は一人づつお招きするのは時間もありませんし、お強く勇敢な皆様はともかくこのような地域に足を踏み入れがたい方もいらっしゃるでしょうから、学園で採寸をさせていただいてその時にご希望をお伺いして、契約も結んでいただくというのはいかがでしょう? 仮縫いの直しを省略してそこからはこちらにお任せいただき、前日納入とさせていただければと」
「直しなんてほとんどしたことがないですし、言われてみれば必要ないのでは? 殿下。もう時間もありませんし」
「そうだな……。任せる。お前達の商会の名前は?」
「ラスタン商会でございます。殿下」
「採寸の日程は?」
「そうですね。三日後の土曜日にさせていただきたく」
これでパーティーまでの憂いはなくなった。
テオドールの晴れた顔を見て、エミーリエはドレスのモチーフについての相談を持ち出して彼の着る礼装について聞き出し、自身のドレスを発注した。
良い商人に出会え、すべて順調に回っているとエミーリエは胸を撫で下ろした。
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