第三章

1 密会

 納屋の扉を閉めると、私は息をついて深くかぶっていたマントのフードをはねのけた。髪を持ち上げて肩に流すと、手に持っていたランプの灯を小さくした。

「ルビー、遅かったな」

 ジャックの声が上から降ってきて、私は二階を見上げる。古ぼけた梯子に手をついて、ジャックがこちらを見下ろしていた。

「ごめん、なかなか抜け出せなくて」

 私は梯子に手をかけ、一段目に乗せた脚にそろそろと体重をかけた。ぎしぎしと低いうめき声をあげる梯子は、何とも頼りない。

「大丈夫だよ。まだ腐ってない」

 笑いを含んだジャックの声に、私は思わず笑ってしまう。梯子を上り、ジャックと向かい合うようにして座る。埃だらけの床に、ばらばらと散らばった乾草。ここは、北の納屋だった。普段は全く使われないおかげで、私たちが夜に密会するのにぴったりの場所になっている。


 私はしばらく言葉を探し、ジャックを見つめた。

「――ジャック、本当にありがとう。こんな馬鹿げた話を聞いてくれて、協力までしてくれて。頭がおかしいって思われても仕方ないのに」

 ジャックは私の言葉に、軽く肩をすくめただけだった。

「俺は、ルビーがおかしいとは思わない。ルビーの言うことを信じるよ」

 ランプの灯芯が、じじと音を立てた。わずかな明かりが、私たちの周りにだけ広がっている。壁に背中をもたれているジャックの瞳孔が、猫のように輝いた。その落ち着いた顔を見ているうちに、なぜか泣きたいような気持になってくる。私はぎゅっと膝を抱え、額を膝にくっつけた。

「ねえ、ジャック?」

 声が震えないように、ハワードが死んでから、ずっと私の中にくすぶる気持ちを言葉にしようとする。口にするだけで自分自身がけがれてしまうような、黒い熱をもった汚い思いだった。それでも、喉元まで差し掛かった言葉は止まってくれない。

「私――。私、ハワードが死んだとき、素直に悲しむことが出来なかったの」

 私は浅く息を吸って言葉を吐き出した。

「ハワードが雪の上で死んでいて、牧師様が脈を診ていた時も、私はハワードのことを悲しんでなかった。――もうこれで、いろんなことから解放される。お母さんに結婚についていろいろ言われなくていいし、お母さんの心からの願いを聞き入れられない自分に罪悪感を感じなくて済むんだって。私、安心してた。ハワードが死んで、私」

 喉が詰まったようになって、言葉を続けられなかった。ジャックの目を見るのが怖かった。彼の目に、ほんの一滴でも蔑みの色が浮いていたら、きっと自分は耐えられない。しばらくの沈黙の後、ジャックが息を吸う音がした。


「ルビーだけじゃない」

 私はゆっくりと顔を上げた。ジャックはわずかに視線をそらし、うっすらと埃のかぶった床を見ていた。暗かった瞳に、ぽつりと白い光が浮かんでいた。

「俺も、あいつのために心から祈ることなんてできない。あの夜のことを、俺はまだ許していない」

 無意識に呼吸を止める。私はちらりと床の隙間から見える一階を見た。感謝祭の夜、ハワードから向けられた視線や、触れられたこと。あんなに怒りをあらわにするジャックは初めて見た。そういえば、ジャックが斧で叩き壊した扉はまだそのままだ。

「だから」

 私は大きく息を吐く。

「ハワードやフランク、昔の――姉さんのために、大狼の謎を解き明かしたい。どうして誰も今まで調べようとしなかったのかしら」

 ジャックは眉を寄せた。

「狼の脅威はずっと昔からあったんだと思う。ハイイロオオカミに家畜や人が襲われることは別に珍しいことじゃない。ハイイロオオカミと混同されていたのかもしれない。だから誰も調べようとしなかったんじゃないか? いや、そもそも大狼はいつから存在したんだ?」

「それがわかれば大狼が一体何なのかもわかるかもしれない。どうやって大狼の被害を防ぐことが出来るのか、なぜ急に攻撃がやんだのか。でも、今まで誰も調べたことがないなら、調べようがないわ」

 ジャックはゆっくりと頷いた。

「誰かに話を聞いて、断片をつなぎ合わせるしかないな。目が金色の大狼の最後の被害は十年前。俺たちの記憶だけじゃどうにもならない」


 私はうなずき、唇をぐっと結んだ。

「あともう一つ調べたいの」

 ジャックはかすかに笑みを浮かべた。

「――お父さんのことだろ」

「大狼に噛まれたり、襲われたりすることで、大狼に変化することはあるのか。どうしてお父さんが大狼の姿をしていたのか」

「調べることが山積みだな」

 私はうなずき、フードをかぶりなおす。ランプの灯はだいぶ小さくなっていた。どこかで梟が鳴く声がする。

「そろそろ帰らないと。怪しまれちゃう」

「そうだな。また来週の夜に」

 目でうなずき、私は梯子に足をかけた。するすると降り、敗れた扉の隙間から外を窺う。人の気配はない。マントが引っ掛からないように注意しながら、そっと外に出た。


 毎週一回、私たちはこの北の納屋で落ち合う。誰にも知られないように。怪しまれないように。別々に集まって、別々に別れていく。私はフードを深くかぶり、細い月明かりを辿り始める。

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