貴方のもとに嫁ぐとき

朝吹

Ⅰ 嫁に行きたくない

前篇

 

 馬の代わりに、たくさんの箒が馬車を曳いている。空中馬車はしだいに空の高みから降下していた。窓の外を飛んでいる太った羊のような白い雲。それらの雲が霞のように薄くなり、やがて山河がはっきりと下界に見えてきた。

 遠い距離も、空を飛ぶとすぐだ。

 はじめて逢う男にわたしは嫁ぐ。ただの男ではない。小なりとはいえ領主だ。夫となる領主は、魔女のわたしよりも十八歳も年上の魔法使いで、最初の奥方とは二十代で死別し、その亡き妻が産んだわたしと同じ十六歳の息子が一人いる。もう三、四人子どもを産んでから先妻が死んでくれたら、わたしはそんな家に嫁がなくてもよかったのだが。

 はるか年上の顔も知らない男に嫁ぐ。珍しいことではない。わたしたちのいる魔法界だけでなく人間界でもよくあることだ。年齢や相性が絶望的に不一致であろうとも、王侯貴族の結婚においては些末ごとにすぎない。若い娘は家から家へと、政略的に送り込まれる。貴族の結婚とは、家と家同士が決めることだ。そこに当人同士の感情は差し挟まらない。結婚とは契約であり、両家の結びつきと、二つの血統を受け継ぐ子どもを産み出すことが何よりも大切なのだ。魔法界においてもそれは同じだ。


 そして、わたしは選ばれた。

 皇帝の命令だという。


 涙をぼろぼろと零して、わたしは泣いた。嫌だ。そんな家に嫁に行きたくはない。十八歳も年上なんて完全なるおじさんだ。話も合わないだろうし、遠くない未来には介護要員まっしぐら。

 お声が掛かった時から、わたしは精一杯、これでも抵抗したのだ。だが花嫁に選ばれたといってもその実態は、草の根をかき分けて探し出されたのだ。最初から到底、抗えるようなものではなかった。この婚姻は皇帝からの命令だ。

「魔法界の未来のために」

 わたしは説き伏せられた。皇帝の厳命が全土に行き渡り、婚礼はすでに外堀を埋められるかたちで決まっていた。

「これは皇帝陛下のご意向です」

 しまいには、わたしは笑い出していた。わたしが。平凡な魔女のこのわたし、箒に乗って宙返りをするのが得意で、素足で田舎の野原を走り回っていたこのわたしが、魔法界の未来を救うんだってさ。



 空中馬車は婚家の城に向けて空を飛ぶ。馬車の中でわたしは下胎に手をおいた。

 子どもなんか出来なければいい。そうすれば離縁になるはずだ。無実の罪で数年間、幽閉されて牢屋にいると想えば、これから先の生活も歯を喰いしばって解放の日まで耐えられそうだ。

 でももし、子どもが出来たらどうしよう。

 本当に怖いのはそれだった。あの家系に嫁ぐ魔女はみな同じような怖れを抱く。生まれる子の性質が肝要なのだ。

 そして、子どもをつくるには、あれしたりこれしたりをしなければならない。ほら、動物がやっているようなこと。

 十八歳も年上の男とあれしたりこれしたり、わたし、厭なんだけど。

「クリスティアナさま、あちらが本家のご領地です」

 暗い顔で俯いているわたしに、婚家の城から迎えに来た侍女のミオラとシシーの二人が揃って風景の片側を指し示す。本家の領地などに興味はないが、一応、わたしをこんな目に遭わせることになった主要因はその本家にある。

「見えてまいりました。湖畔に建つあちらです。美しいお城でしょう。あれがザヴィエン家の城です」

 嫌われたらいいんじゃないかな。想い切り無愛想にして、夫にご機嫌を取られてもつんけんして、贈り物はすべて突っ返してみたらどうだろう。

 一度たりとも笑顔を見せない。

 それを続けていたら、あまりにも愛想がなくて性格が悪い魔女だというので、さしもの十八歳年上の領主さまも離縁してくれるかもしれない。その時には、離縁された原因としてのわたしの悪評も津々浦々に知れ渡ることになるだろうけれど、郷里の幼馴染たちは本当のわたしの姿を知っているから大丈夫。


「本当に行ってしまうんだな。ティアナ」


 邑の幼馴染のキリアンはお別れ会の日に姿を見せなかった。わたしの本名はクリスティアナ。古めかしいのと呼びにくいのとで、邑の子らは「ティアナ」と短くわたしを呼んでいる。

「キリアンがいないわ。また具合が悪いのかしら」

「違うよ、元気だったよ」

 わたしはキリアンを探しに行った。きっといつもの場所にいるはずだ。

 行きたくない。行きたくない。お嫁になんか行きたくない。

 大貴族なんか、キリアン流に云えば「くそくらえ」だ。

「貴族といっても、ザヴィエン侯爵家の分家だろう。選帝侯でもあるザヴィエン家はお堅いが、その分家の伯爵家なら、意外と気楽な家かもしれないぞ」

 ザヴィエン家の七代前が、双子だったのだ。それで、双子の弟の方が分家を興した。それがわたしの嫁ぎ先となるテュリンゲン家だ。

 キリアンはやっぱり、いつもの場所にいた。丘陵一望できる崖の上。そこは、わたしたち邑の子どもたちの遊び場で、古い時代の小さな物見塔が放棄されるままに遺っている。わたしたちはその廃墟を子どもたちだけの隠れ家のようにして使っていた。

「そう露骨に厭そうな顔をするなよティアナ。玉の輿じゃないか」

「望んでない」

 わたしがテュリンゲン伯爵家に嫁ぐことになって狂喜したのは、わたしの養父母である遠縁の夫妻だ。過分すぎるほどの支度金と、家柄のつり合いをとる必要から男爵にまで上り詰め、養女の眼からみても恥ずかしいほどに舞い上がっていた。

「今からでも何かの間違いだったと云われるかもしれないぞ」

 物見塔のてっぺんの壁に外向きに腰をかけて、キリアンは近づく海賊船でも見るようにして吹く風に顔を上げていた。わたしはキリアンと結婚して、この邑で、つつがなく暮らしていくのだとばかり想っていた。

「血を少しいただきます」

 或る日、流行り病で両親を失ったわたしの許に魔都から誰かがやって来て、わたしや他の子どもたちの小指の先から血を数滴とり、硝子の容器に納めて帰って行った。その血がとても重要だったのだそうだ。

「クリスティアナ。お前は特別な娘だよ」

「ザヴィエン侯爵家からお迎えが来るかも知れないよ」

 養父母は毎日のようにわたしにそう云いきかせた。それだけでなく、魔都の貴族の家に仕えたことがある魔法使いや魔女を呼び寄せて、わたしに教育を授け、淑女の行儀を一通り教え込んだ。

 わたしはそのどれもが大嫌いだった。遠縁の養父母は俗物で、わたしが特別な娘だから引き取ったわけではなかったにせよ、金の卵を産むめんどりのようにして大仰に扱っていた。幼少期からお世話になっておきながら云うのもなんだが、彼らにはうんざりだった。

 亡くなった父と母に逢いたかった。人間界で猛威をふるった黒死病と同じように、魔界でも灰死病という未知の病が蔓延し、魔法使いはばたばたと死んでいった。その犠牲者の中に、わたしの両親もいたのだ。

 キリアンの隣りに腰を掛けて、わたしは世界を見下ろした。子ども時代は突然終わってしまった。わたしはこの郷里でもう二度と、男の子と一緒に箒に乗って球投げをしたり、膝上まで裾をたくし上げて小川で魚を獲ることはないのだ。

 物見塔の廃墟。ここから箒で飛ぶ練習をして、わたしたちは何度も空に向かって飛び立った。わたしと幼馴染のキリアンはいつもこの物見塔で遊んでいた。邑の子どもたちと遊ぶことについて養父母はいい顔をしなかったが、キリアンが一緒だと許可が出た。何故ならキリアンは、『さるやんごとなき御方』の落とし胤だというもっぱらの噂だったからだ。

「嫁いでみて本当に厭だったら帰ってこいよ」

 物見塔の上で並んで腰を掛けて黙りこんでいると、キリアンが明るい声を出してわたしの背を叩いた。わたしは壁から落っこちかけた。

 


 ザヴィエン家の所領地シャテル・シャリオンを過ぎると、婚家の領地カルムシュタット領はすぐそこだ。広大な森を隔てた向こう側なのだ。空中馬車はすでに森の樹々がくっきりと見えるほどに高度を下げている。花綱で飾られた馬車はゆっくりと飛んでいた。

 箒に乗った魔法使いが前方からやって来て、箒の尾を回して向きを変えると、馬車の窓に並走してきた。

「まあ。チェザーレさま」

 侍女のミオラは馬車の窓越しに少し咎める声を放った。

「クリスティアナさまのお迎えに来られたのでしたら、それなりの礼儀があります。花嫁に失礼ですよ、チェザーレさま」

「平気さ」

 それは若い魔法使いだった。箒に乗った若者は白い礼装を着ていて、銀糸の刺繍を回したその裾がはためいていた。彼は気さくな調子で空中馬車の中にいるわたしに向かって声を掛けてきた。

「以前にも逢ったことがあるんだ。なあ、クリスティアナ」

 わたしは無視した。チェザーレ・フォン・テュリンゲン。今から嫁ぐ家の後継。これからわたしの義理の息子になるはずの、わたしと同じ歳の若者だ。婚姻が本決まりになった頃、チェザーレは単身で箒を飛ばして、彼の父親に嫁ぐわたしの顔を邑に見に来たことがある。

「今日は澄ましかえっているんだな。クリスティアナ」

 揶揄うチェザーレを、わたしはやはり無視した。扇を広げて顔を隠して反対側を向いた。彼とは最悪の出逢いだったのだ。

「帰って」

 魔法杖を揮い、邑にわたしの顔を見に来たチェザーレを、魔法でわたしは吹き飛ばしたのだ。



》中篇

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