第22話 モンテ商会へ

 軍部の敷地からしばらく歩き、市街への馬車乗り場に辿り着くと、国民休日日曜日でも無いと言うのに人が多かった。

 今日は何かあっただろうか?と、首を傾げていると、背後から声がかけられる。


「アリア」


 振り向いた先には、いつも通りの顔をしたベンが立っていた。大きな麻布の鞄と、ダークグレーの髪によく合うモスグリーンのコートを着ている。


「ベン。こんにちは」

「おう」

「そちらも帰省か?」

「帰省という距離ではないがな。明日からは大マルシェが下町で開かれるだろう? その前準備の手伝いだ」


 俺の家は大工カーペンターだからな。と、静かに語る横顔には、先日の魔杖訓練で見せた複雑な表情は残っていない。

 蒸し返すのも野暮だ。私はそのままの話題を続けることにした。


「大工さんは忙しいんだな」

「マルシェに使うテントやら、弟の家具小物屋指物師の運搬設置やらで人手が要る」


 なるほど、それで人出が多いのか。と納得した。


 聞けば年越し前のマルシェは普段の市とは規模が違うらしい。年越しのための備蓄品やら聖夜祭の供物そなえものやらで食料品をはじめ家具や蚤の市など色々な物が扱われるとのことだった。


「孤児院でも、何かやるのかな」

「そっちは……里帰りか?」

「ああ。差し入れに行こうかと」

「そうか」


 冬はどこも収入が厳しくなる。それに伴って、教会や付随施設への寄付金額もガタ落ちするのだ。もともと雀の涙ほどしか無いのに。

 森の生き物達も冬眠や越冬南下で姿を消し、植物の採取も限られる。せいぜいが川の痩せた魚を獲るくらいか。

 冬は耐え忍ぶ時季とはどこでもよく聞くが、スラム街では特別過酷な季節だ。


 秋に回帰出来ていたなら冬越しの準備を手伝えたのだが。回帰前にはちゃんと孤児院を訪れていただろうか?……嫌だな。また上手く思い出せない。


 そんな事を考えていたら、石畳を叩く音が大きくなってきた。道を曲がって簡素な造りの大きい馬車が現れた。御者の声を聞くに、どうやら目的の馬車が来たようだ。

 ベンと一緒に乗り込んで、下町を目指す。

 上流層の街並みと貴族達の屋敷が並ぶベッドタウンを過ぎ、庶民達の暮らす層に着くと賑わいはより大きくなった。

 肉屋や八百屋、革製品の店。街に根付いている店を興味深く眺める。回帰前とはあまり変わっていない……と思う。正直なところ以前は疲弊しきっていて、今日のように街を見比べても違いがわかるほどには観察出来ていなかった。

 人の営みが庶民街はよくわかり、面白い。しばらく馬車に揺られていると、その中でも一際目立つ店構えが目に留まった。

 赤いレンガの、太く低い塔のような建物。


「あ、あれかな」

「?」

「第三師団の友人に紹介状を貰ったんだ。日用品を沢山買うと割引してくれると言うから」

「モンテ商会か」


 次の停留場で先に降りる。


「じゃあベン、また」

「ああ。よい休日を」

「そっちも」


 手を振り、離れていく辻馬車を見送った。


「すごいな……」


 改めて見たモンテ商会は、想像以上に大きかった。

 綺麗に清掃されたレンガの外壁はまるで新品のよう。でもアイビーが巻きついている部分もあり、年季が入っていることがかろうじてわかる。

 黒い窓枠に、指紋ひとつない窓ガラス。

 建物には十段ほどの階段を登る。

 手すりまできちんと磨かれたエントランスの中、オーク材の艶には歴史を感じさせる深みがあった。

 貴族街に警護以外で行ったことはほとんどないから想像だけれど、ここが庶民街であることが嘘みたいに思える。


 外套を手に持ち、姿勢を正して階段に足をかけると私の手に持つ手紙の封蝋とバレッタとを認めたドアマンが、にこやかにドアを開けた。


「お待ちしておりました。アリア様」


 私が差し出した紹介状を検めて、外套をと差し出された手にそっと渡す。白い手袋にのせるのもはばかれる使い込みようなので少々気が引けた。


「ありがとう」

「……。お帰りの際にまたお申し付けください」


 店内は、薬っぽい花の匂いがした。

 低い塔のような形をした店だからか、中心の柱から広がるように半円形に商品が展開されている。

 料金の支払いは中央でやるらしく、広い店でも客が迷わなくていいなと感心した。


 商品をよく見れば石鹸の棚が充実しているようだ。オリーブやヤシから作られた新しい石鹸は刺激が少なく子どもの肌も荒れにくいと説明されている。

 衛生の大切さを謳うキャッチコピーと子どもの病気予防との合わせ技でお薦めされると、つい革袋サイフを開いてしまうご婦人は多いようだった。


 布のかけられた半テーブルを見て回ると、以前ニナが分けてくれたラベンダーの石鹸を見つけてつい顔が綻んだ。同じ並びでキャラウェイの香りがするものもある。

 男性向けにとウィンターグリーンの精油が入った石鹸がどうしても気になって、二つほど手に取った。


 教会の中には、古くからの教会の慣習ゆえかありがたい事に井戸がある。設備は古いが、ちゃんと深く掘られており石鹸を買っていっても持て余すことにはならない。

 子どもたちは何も香り付けされていないもののほうがいいだろう。私はそれをメインに、残りは塩や麦、そして布製品をいくつか購入した。

 カウンターでガラントとのやり取りを思い出して、自分用に安い羽根ペンも買った。いつまでも字が汚くて良いことはない。


 来た時よりもにこやかな店員に会計を頼む。

 やけに微笑ましいような視線を感じるが、それは一月の給料の殆どを費やしたからだろうか。

 思ったよりも長居してしまったなあと反省していると、梱包を終えた店員さんが口を開いた。


「娘が大変お世話になっております」


 飼われた猫のような愛嬌のあるご婦人。

 細く柔らかな髪質を見て気がついた。


「お初にお目に掛かります。モンテ夫人」


 こうして見ると笑顔がニナにそっくりだ。

 ついこちらも笑顔になって会釈をすると、夫人がその笑顔のまま、世間話を始めた。

 景気の話からはじまり、最近の街の様子へと移っていく。そして隣のカウンターの客が帰ったのを横目で確認してから、そっと耳打ちする。


「今夜は広く雪が降るそうです。下町の赤鷹も、隣国で羽を休めるでしょう」

「……! そうなのですか」

「ええ、騎士さまもどうぞご自愛ください」


 縮れた赤髪の、血が繋がらない兄弟を思い出す。


 回帰した夜、ツテがあると言って笑っていたルフタ。

 彼の裏での異名は、赤鷹だった。

 それを庶民街で耳にするとは思っても見なくて、目の前の人の顔をじっと見つめた。


 夫人の笑顔は変わらない。

 ただ「商人は少々耳がいいのです」と、意味ありげな視線を返した。

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