第21話 零れた記憶と蝉の声


 不自然に瞬きをする私を、ニナとデイジーが嬉しそうに見ている。


「ありがとう……大切にする」

「えへへ、打算ありきですから! 気にしないでください! それに王女殿下もおっしゃってたんですよ」


 殿下が?

 脳裏に薄薔薇色の笑顔が浮かぶ。

 慕っていた主人と、諦めていた繋がりの気配につい浮き足立ってしまう心。


「ええ! 新商品は王女殿下に献上するんですけれど、このバレッタを見て、雪色の髪の子にあげたらどう?って。アリアさんのことかを確認したら、瞳のグリーンに、孔雀色が似合いそうだと」

「そうなのか……」


(アリーの髪って、夜の雪原みたい。素敵ね)


 ふいに記憶が蘇る。

 一体どんな話の流れでそうなったのだったか。


 デイジーとニナが、ここで着替えて行ってしまえばいいと会話を進めるのを耳にしながら深く記憶の海に潜った。


(私、お人形遊びが好きだったの。悪いけど付き合ってくださる?)


 殿下の甘やかな声と共に浮かぶのは、初夏に鳴き始める種の蝉の声。


 そうだ。あれは衣替えの時期。

 ただ一つ結びにしたパサパサの髪を、サマンサ様に指摘された時だ。


 王宮勤務の王女付きなのだから、身分を変えられなくてもせめて見た目をなんとかしろと、そう言われた時。

 王女宮の警護で立つ私への叱責を見かねたのか、王女の戯れの一環のように侍女に指示して、香油でどう手入れするのか教えてくれたのだ。

 嫌な顔ひとつせず、虱は居ないけれど貴族が触るには質が悪すぎる髪を、王女付きの侍女は丁寧にくしけずってくれた。


「アリー。貴女には、針葉樹の香油が良いみたい。真っ直ぐに清廉で、高潔。似合ってるわ」


 侍女がなんとか纏めた髪に王女殿下は満足そうに頷くと

「本当は男の人向けなのだけれど」

 そう言って。小さな緑色の小瓶を下賜してくださった。

 今は、まだ輿入れの発表もまだの真冬の時期。

 身近に接していない、一介の騎士である私を、なぜ殿下が気にかけてくださるのだろう。


(不思議だ。どうして)


 スラム育ちだからか。元々自分の命に対する思い入れはあまり無い。と言うより薄い。

 そんな私でも、殿下のわかりやすい優しさに救われて、彼女とその侍女の為に出来ることは何でもやろうと思い始めたのはこれがきっかけだった。はずだ。

 

 私は、あの日のことを、なぜ今の今まで忘れてしまえたのだろう。


「ねえアリア、紺もいいけど明るい色の服もひとつ持っておいた方がいいわよ」


 ハッと意識が今に戻ってくる。

 生返事をしつつ着替えたせいで、せっかく飾って貰った髪が崩れたかと慌てた。

 鏡を見れば、背後で少しよれた部分をデイジーが直してくれている。


「ありがとう」

「いいのよ。せっかく綺麗な髪と目の色なんだもの、好きな時間の空の色だとか好きな花の色だとか、新しい好みも探さなきゃ損だわ」

実家うちには衣料品は無いので、今度一緒にみに行きましょうね」

「いいわね! 春物を買いに非番の日を合わせましょう」


 ずっとシャツとボトムとブーツで過ごした回帰前。与えられたおどろおどろしい装飾品だけが異様に目立つ格好だからか、ときどき騎士ではなく、小姓に間違えられたことさえあったっけ。


 回帰前も、王女殿下と侍女達のように優しさに触れることはあったが、回帰してきて以来、辛い目に遭ったりせずとも初めから私に優しい出来事ばかりだ。


 ただ配属先が変わっただけで、こんなに。

 こんなに違うものだろうか。


 二人にお礼を言いつつ、ぼんやりと考え込みながら紺のワンピースに、外套を手に持つ。

 笑顔で見送られた宿舎の外には、薄い雲と、冬のさり気ない陽だまりが広がっていた。




 宿舎からは、辻馬車に乗って下町に向かい、それから徒歩でスラムに入って教会を目指す。


 宿舎の門番の視線に居心地の悪さを感じながら、執務棟を見上げるとカーテンが開いていた。

 なんとなく、今の姿をダグラス中尉に見て欲しい気持ちが湧いてしばらく窓を見つめたが、すぐ我に返って歩き始めた。

 バサリと雑に外套を羽織る。


「あんなに華奢な女の子なのになあ」


 と言う、カルロス先輩の呟きには気付かないまま。


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