第25話 ばらに讃歌を side三ツ星

 二十四歳になった。


 飲酒と不用意な発言がメインコンテンツなVtuberとしてチャンネル登録者数を伸ばしてしまった、芸術とは程遠い場所にいる俺だが、実は好きな画家はフィンセント・ファン・ゴッホである。実物の絵を見たことはないが。


 そんな話を、なんのついでだが忘れたが、大輝ひろきにこぼした。大輝は


「西洋美術館で見れますよ。もう見ました?」


 と尋ねてきた。俺が


「まだ」


 と答えると


「じゃあ見に行きましょう。ちょうど誕生日が近いでしょ?」


 なんて予定を決められてしまった。大輝は控えめなようで意外と押しが強い。悪い気分ではないが。


「あ、恋沼さん! 美術館行きませんか?」


 俺が押し切られた後に、もう一人誘われている人物がいる。横目で眺めているだけでも、ないはずの尻尾がブンブン揺れているのがわかる。わかりやす。


 いいね、なんて褒められて、それはそれは嬉しそうに頬なんか染めちゃって、それを見て微笑ましく思うくらいには、俺も大人になってしまった。たまにはダシに使われてやるのも悪くないか。絵は見たかったし。一人では行く勇気がないから、ずるずると見ずにきたのだし。


 神奈川は相模原から、都内に引越してきてもう七年目になるが、上野は馴染みのない町だ。駅のピアノで、芸大生らしき若い男がリサイタルを繰り広げていた。やや年配の観客に混じってそれを眺める。


 酔って配信した際は、覚えているとき半分、覚えていないときが半分である。その半分の記憶を辿れば、俺は初恋の中学の同級生の話をこぼしてしまった気がする。彼女は絵のうまい美術部だったが、ピアノも習っていて、合唱祭の伴奏者をしていた。公立の中学校というのは、社会に出てしまえば関わる機会のないような、おぼっちゃまお嬢様と関わる最後の機会……のはずだったが、virtualaはおぼっちゃまお嬢様の集団なので人生はわからない。


 大輝よりも先にマネージャーひかるちゃんが来た。迷惑ばかりかけているので割と気まずい。気づいてしまった以上、声をかけないわけにはいかないので、声をかけた。


「こんちは。ひかるちゃん今日はスーツじゃないんだね」

「あ、うん。お誕生日おめでとう。正確には明日だけど。……私のかっこ変じゃない? 大丈夫?」


 シンプルなワンピースにかかとの低い靴。何を持って変かは人によると思うが、無難すぎるほど無難な格好に思える。地味すぎて、親が選んだ服か? なんて意地悪も思い浮かぶくらいには。こういう格好してるやつが他にもいたな。


「大丈夫かわいいよ」


 他意はなかったのだが、言ってから口説き文句みたいだな、と思った。見下ろせばうっすらと耳が赤い。彼女と知り合ってそう長い年月は経っていないが、明らかに表情のヴァリエーションが増えたので、社会生活が人間に良い影響を与えている稀有な例ではなかろうか。


「……身長高いね、なんセンチ?」

「183cmセンチ。話題かえるの下手くそか?」

「悪かったね」


 なんだか変にフワフワした空気なところに、ふわふわした犬みたいな男がやってきた。ああそうだこいつだ。親が選んだみたいな服ばかり着ているやつ。別に似合ってるからいいけど。


 ふわふわした犬みたいな男とこ亥ノ森大輝は、いつもの黒いボストンタイプの眼鏡をしていたが、おろしたてらしきシャツといい、普段のスニーカーではなく革靴を履いているところといい、こいつなりに洒落た格好をしてきたことがわかる。俺は普段着で来てしまったが大丈夫だろうか。


 バーチャルな見た目というのは不思議なもので、もちろん大輝に犬の耳はついていないし、青い目の犬耳少年は大輝そのものではないのだが、現実の人間にキャラクターが重なって見えることがたまにある。俺自身はクロノとは似ても似つかないと思っているが、端から見れば似て見えるところもあるのだろうか。アバター生主、という揶揄も混じった言い方は、どうもしっくりこないが、バーチャルな見た目にアバター的な側面があることは確かだ。


「……なんかあったんですか?」


 鼻の付け根あたりにシワが寄るのほんとに犬みたいだな。黙れ小僧!ってか。小僧はお前だが。


 ダシになるのは構わないが当て馬は嫌だぞ。美術館に入ると、俺はそっと二人のそばを離れた。


 ひやりとした展示室に足を踏み入れると、それまで服装を気にしていたのがバカらしくなるくらい、来館者は美術品を見ることに集中していた。名画の数々は魅力的ではあったが、俺はゴッホの『ばら』を探した。


 その絵画は、ゴッホの最晩年の作品である。


 画家の生涯はあまりにも有名だ。ここで俺なんかが、長々と語る必要はないだろう。生前は売れなかった画家が、芸術家の理想郷を夢見て叶わなかった男が、精神を病み療養中に書いた絵だ。大地に根差した農民の絵でも、太陽に向かって咲くひまわりでもない。サン=レミの精神療養院に咲く、白いばら。小さな庭の、小さな花。


 解説によれば、この絵には、のちの糸杉の絵のように、激しく、うねるような筆づかいが使われているらしい。内面の激しい情熱と苦悩が込められた筆致。


 それなのに、このばらのなんと可憐なことか。あおあおとしげる名も知れぬ植物に混じって、白と薄紅のばらは、咲き誇るでも、配置されるでもなく、ただその場所で咲いている。


 絵は美しかった。あまりにも美しかったのだ。


 世間に認められず精神を病み、その中でこの境地にたどり着いた芸術家のことを思った。その物語こそが絵の価値を釣り上げていると、皮肉をいう人もいる。けれど、物語が滲むから、人はこの絵に魅せられる。


 偉大な芸術家に自分を重ねてしまうのは、あまりにも幼稚で凡庸で、そして不遜な行為だ。それでも俺は、声をかけられるまで絵から目を離せずにいた。俺は凡人だから。

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