第5話 顔合わせ その①

 九月某日。私は緊張で痙攣が止まらない胃をさすりながら、電車に揺られていた。


 就職が決まってから数日は、美宇にリモートで事務作業を教わっていたのだが、いよいよ担当する二人のVTuberの中の人と顔合わせをすることになった。メールとチャットでやりとりはしているけれど、我が社は対面でのコミュニケーションを重視しているから会っておけ、という代表命令である。バーチャルの会社なのに、対面重視ってなんなんだろう。


 できることはやる。そう決意した私だったが、決意ごときで板についたヒッキー根性が治るのなら、この世に引きこもりなんていないわけで。数日前からまずは最寄り駅まで散歩をするという、不登校児童のようなステップを踏んで、やっとこさ電車に乗ることができた。久しぶりの電車で、見慣れていたはずなのに見慣れない景色を眺めていると、なんだか浦島太郎の気分だ。


 向かっているのは、ホームページで公開されている新宿区にあるvirtuala本社ではなく、吉祥寺駅から少し離れたところにところにある、美宇のお兄さんが所有するビル、通称『あにビル』である。一階がコンビニで、二階から上は元は子どもの習い事のために借し出していたのだが、コロナ禍で借りてくれる団体がなくなって困っていたらしい。ダンススタジオとして利用されていた部屋と、会議室があるので、防音と回線の工事をして配信や打ち合わせのために使っているのだとか。本社は取引先との打ち合わせや、ファンレターの宛先、代表執務室として使っている。美宇は本社にいることが多いのだが、一期生が主に使うのは兄ビルになりそうだ。


 駅ビルのトイレでメイクをなおした。緊張で大汗をかいて、家を出る時にしたメイクが剥げかかっていた。まあ、どういじくりまわしところで、大してかわいくならないことは自分が一番よくわかっているけれど。私はお世辞にもメイクがうまい方ではない。大学二年の時に受けた就活メイク講座の知識で、どうにかならないものかと思っている。


 やたらとおしゃれな駅ビルの鏡に、冴えないリクルートスーツの女が写っていた。太陽を浴びなかったことで青白くなった肌にはそばかすが浮き、コンタクトを入れた目の下にはクマがでている。元から童顔なうえに引きこもりが顔に出ているし、大学入学の際に買ったスーツは痩せたせいでサイズがあってなかった。どう見ても頼れるマネージャーには見えない。がっかりされるだろうか。


 駅ビルを出て、足を引きずるようにして兄ビルを目指した。


 だいたい50メートルくらい前を、男の子が歩いていた。ヒールを履いた私より、少し身長が低いくらい。私服だけど高校生だろうか。時間帯からして大学生かも。目に止まったのは、ちょっと見たことないくらいの美少年だったから。いや、大学生だったら少年ではないか。


 真っ直ぐな黒い髪に、これまた黒い縁のボストンタイプの眼鏡をかけている。白いシャツに黒いズボンという地味な格好で、特別おしゃれではなかったけれど、スッと伸びた背筋のせいか、遠目にもわかる顔の造作の整いようのせいか、そこだけが映画の一場面みたいだった。彼は迷いなく兄ビルの方向へと歩いていく。


 まさかとは思っていたけれど、どうやら目的地が同じみたいだ。エレベーターを待っているところに出くわした。ヒッキーな浦島太郎としては、心の準備ができていなかったのだが、どうやら待ち合わせ場所に指定された会議室に行くには、エレベーターかその脇をすり抜けて階段を使わなければいけないようだ。……挨拶するかぁ。


「あの」


 声をかけるタイミングがかぶるというベタな展開に陥ってしまった。美形は声もいいらしい。さほど大きな声を出しているわけではなさそうなのに、よく通る綺麗な声をしていた。見かけはどちらかというと幼いけれど、声はわりかし大人っぽかった。系統としては舞台俳優とか、洋画の吹き替えとかにいそうな感じ。


「あ、お先にどうぞ」

「ど、どうも」


 向こうもかなり緊張しているみたいだ。ちょっと安心した。


「ヴィ、virtualaの関係者さんです……よね?」

「あ、はい、そうです。あの、お聞きおよびかと思いますがマネージャーの……」

「アッ、ハイ、ッスー、たしか恋沼さん……ですよね」

「はい、恋沼ひかるです。よろしくお願いします」

「アッ、こちらこそ……」


 沈黙。お互いコミュ障まる出しである。


 でも少し安心した。ヒャッハー系ストリーマーとかホスト系歌い手とかやってきたら、灰になって消えるしかない。配信未経験なんだからどっちもありえないけども。大人しそうというか、真面目そうな雰囲気の人でよかった。想像していたよりだいぶ若いけど、美宇が成人といっていたんだから、大学生だろうか。あ、でも、今は十八歳成人だから高校生もあり得なくはないのか?


「学生さんですか?」

「はい、大学生です。えっと……申し遅れましたが僕、蒼川……なんというか」


 大丈夫ハクトくん! 言いたいことはわかるよ! なんて言っていいか迷うよね! 中の人って言っていいのか、とかさ。


 ちなみに一般的、というか、私の観測圏内において、Vtuber本人に『中の人』とかいうのは、ちょっとマナーが悪いとされている。でもそれが一番伝わりやすいのは確かだ。声をあてたりゲームプレイをしたりツブヤキを考えたり活動の方向性を考えたりしている人、だと長すぎるし。これまた本人にいうのは考えものだが、Vtuber界隈では『魂』と呼ぶことが多い。魂が以前ゲーム配信者や声優など他の活動をしていた場合は、その活動を指して『前世』という。


 本人に『中の人』『魂』『前世』の話題を振るのがマナー違反的な扱いを受けるのは、Vtuberがバーチャルなキャラクターので活動していることが多いからだ。これをロールプレイ、RPという。なりきって配信しているのに、メタなことを書き込まれるとシラけるから嫌がられるというわけだ。あと特定騒ぎになったり、ストーカーに繋がったり実害があることが稀にあるので。まあ日々増え続けているVtuberの中にはそんなこと気にしない人も多いし、中の人を公開しているVtuberも有名どころにいるので、人によるとしか言いようがないが。私としては、アニメの感想コメントでキャラクターを声優さんの名前で書き込むぐらいの嫌さ……全く違うか。声優さんとコミュニケーションとるわけじゃないからな、アニメは。


「蒼川ハクトの演者です」


 彼はしばらく悩んで無難な落とし所を見つけたみたいだ。


「これからよろしくお願いします」


 そう言ってちょっと微笑むだけでサマになるんだから美形ってずるい。けれどそこから続いた言葉は色んな意味でとんでもなかった。


「代表から伺っていたんですよ。『あたしの親友で〜、腐女子で陰キャで引きこもりだけど、根は真面目でいい子だから。あとネットに強くて怒らせると怖いからね〜』って。あ、あと、名乗ってませんでしたが、亥ノ森いのもり大輝ひろきといいます」


 声真似うまいな。特徴をよくとらえているし、女声も自然だ。でもなんて嫌な名前かぶり。『ひろき』って一般的な名前だし、有名人にもたくさんいるし、いい名前だけれども。個人的にトラウマを刺激する名前とかぶってしまったな。『ひろき』で大学生。そうか……。


「……お名前の漢字は、大きいにいつき?」

「いえ、大きいに輝くです」

「そうですか」


 くんはきょとんとしている。そりゃ、変な質問だよな。でも漢字までかぶってなくて良かった……。


 あと流しかけたけど、親友! なんでもかんでも喋るな! 腐女子も陰キャも言わんでいい! ネットに強いとかフラグを建てるな! 会ったら釘刺しとかないと……。


「あ、それと、声真似すごくお上手ですね。声だけ聞いたら本人みたい」

「あ、ありがとうございます、それ採用なので……」


 あれ? 歌は? 我が親友こと美宇からは歌うまと聞いていたけれど、ツブヤイターのプロフにも本人からも歌という単語がでてこない。本人的には声真似の方が自信があるんだろうか。無粋だけどネット声優とか、若いし声優志望とか、そういう畑の人なのかな。


 たぶん真面目でいい人で、声真似がうまくて声のいい美形。蒼川ハクトの演者は、なかなかクセがありそうな人物だった。

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