第10話 取り引き

 落ち着け、落ち着け、私のパパだから選ばれたわけじゃない。ハシバの次に偉い立場の人間だから選ばれたってだけだ。私のパパだから選んだわけじゃない……。これは私への精神攻撃じゃない……。

 必死になって落ち着く。無線通信なのが救いだった。リアルタイムのやりとりじゃないから気持ちを作ってから通信できる。落ち着け。落ち着くんだ。

「素敵な写真。オーバー」

 奥歯に力を入れる。パパ、パパ。

「いい写真だろう? 彼はこの会社のナンバーツーなのだがね。気丈にも我が身ひとつで社員を助けてほしいと言ったのだよ。立派だね。オーバー」

 パパ。かっこいいけど、そんな無茶しないでよ。

 ダメだ。気持ちで負けるようじゃダメだ。何とかしないと。考えろ。考えろ。

 写真を凝視する。

 柔らかい明かり。室内の明かりじゃない。自然光だ。二十階あのフロアで外の光が入ってくるところと言ったら……窓辺か、それかあの吹き抜けになっているところだ。電動の庇があるところ。見た感じ、光は頭上から降り注いでいる。じゃあ吹き抜けのところか……そしてそう、私はあることに気づく。

 パパの足下にまとまっているの、コード? その向こうにはディスプレイらしき四角い影も見える。その手前にあるこんもりした影は、椅子? ってことはあそこに何かあるのね? もしかしたらパソコン……スタスラフ? 

 とにかく、分かった。あの吹き抜けの近くに奴らはいる。そしてその理由を推察する……。

 奴らは妨害電波を出している。

 いかに強力な電波でも、室内からこのビル全体を叩くのは少し難しい。やろうとしたら相当強力な出力装置じゃないといけない。ビルの基礎に使われている鉄骨や、窓ガラスなんかが電波を邪魔するから。でももしそういうのがない場所を選べたら? 吹き抜けは電波を広く発信するのに向いている。そっか。そうか。もしかして……? 

「コレキヨ」

 私が声を飛ばすと緊張した面持ちのコレキヨが視線を向けてきた。私は訊ねる。

「このビルのこと詳しい?」

「一応。巡回で見る範囲は」

「普段どこ見てるの?」

「屋上階から十九階まで。新人だからな。一番遠くて行きにくいところを任される」

「OK」

 私は深呼吸をした。それからトランシーバーのボタンを押す。

「ねぇおじさん。オーバー」

「何かね。オーバー」

 私は続ける。

「私そっち行くよ」



 コレキヨと一緒にハシバの死体を引っ張り出した。でっぷり太ったおじいさんの、力ない体を引きずり出すのは相当骨が折れた。間違いなく、コレキヨがいなかったらできなかった仕事だ。

 私はハシバの死体を見下ろす。十字を切りそうになって、コレキヨの前で素性を明かすのは……と思い留まる。けどコレキヨはしっかりと両手を合わせて拝んでいた。私もそれくらいはしとくか。

「本当に大丈夫なんだろうな」

「説明した通りにすれば大丈夫だよ」

 私より高いところにいるコレキヨを見上げる。

「あんたがさっきみたいに計画にないことしなかったら大丈夫」

「あの時はああするのがベストだと思ったんだ」

「一歩踏み外せば大変だったけどね」

 そうして血溜まりだけがあるエレベーターの中に乗り込む。血を踏まないように。靴が汚れないように。

「二十階にいくよ」

 私はボタンを押す。



 ポン、と軽い音がして、私はあの二十階に辿り着いた。一歩、前に出る。途端に両脇から銃を持った男たちが現れた。私は両手を上げる。

「やぁ、はじめまして。何だ、かわいい女の子じゃないか」

 壺型になっているフロア。その首のところに、一人の男がいた。細目吊り目。いかにも狡猾そうな、狐みたいな顔をした、長身の男……。頭を綺麗に後ろに撫でつけ、紳士然とした成りだった。

「私がこのグループのリーダーだ」

 男はすっと顎を持ち上げて、私のことを見下しながらつぶやいた。パリッとアイロンの当たったシャツ。よさげな素材のジャケット。ネクタイまでぴっしり決まっている。きっとそう、手にしたハンドガンさえなければ、プライベートジェットから下りてきてもよさそうなやり手のビジネスマンだ。

「ペ。彼女のボディチェックをしろ」

 奴の後ろから、小柄な男がちょこちょこと現れて私のところにやってくる。出っ歯でリスみたい。リスよりグロテスクだけど。奴は私の前にやってくると、腕、腰、脚、全てを叩いて安全を確認した。おっさんに体中触られることの気持ち悪さと言ったら。

「銃はないよ」

 私は主犯のおじさんに告げる。

「私もこの武装集団の中に単身で臨むほどバカじゃない」

「どうかな」

 と、おじさんがつぶやいたタイミングで、ペと呼ばれた男が私のパーカーのポケットで手を止める。

「…………」

 韓国語っぽい何かで告げた。多分「スマホを持ってましたぜ」くらいのセリフだろう。実際私はスマホを持っていた。むしろ持ち物はそれだけだった。

「君がバカじゃないのは確かだ」

 ペからスマホを受け取ったおじさんは細い目をさらに細めた。スマホをカードみたいにヒラヒラ振る。

「少なくとも我々を一度はだし抜き、カンから銃を取り上げる程度にはできる子だ」

 それから私の両脇にいた男の内の一人が、私の後頭部に銃を突きつけた。恐怖で気が狂いそうになる。奥歯を噛んで、拳を握って、必死に堪えた。本当はもう泣きそうだった。

「銃を持って来なかったのは失敗だったな。我々は君を完全には信用しない。武器を渡さないとなれば余計に、だ」

 おじさんがふん、と鼻息を鳴らす。高そうな腕時計がキラリと光る。

 後頭部に突きつけられた銃口で、ぐいっと小突かれる。私はよろよろと数歩進む。

「こっちへ来い。スタスラフと一緒に仕事をしろ」

「仕事って何するの」

「我々は職人のように下準備をしっかりしてから仕事に臨むクチでね」

 銃で小突かれながら歩く。壺の首、廊下の部分を通り抜けてあの吹き抜けに来る。

 人質たち……斎藤製薬の社員たちは、そこから少し離れた窓際ひとまとめにされていた。全員、目隠しをされている。私はその中にパパを探した。だが見つからなかった。パパ……お願い。どうか、神様。パパを殺さないで……。

「このビルの地下に専用のコードを引いている。外部とはこのコードを通じて通信できる」

 なるほど。こいつらだけ通信の自由が利く状態にしているのか。

「我々はこれから声明文を出す。君はその文面の作成、及び効果的なばら撒き方を考案してほしい」

 何それ。簡単すぎる。その辺のOL捕まえてやらせたら? 

「子供にやらせるのにはちょうどいい仕事ってわけ?」

 私が訊くとおじさんは笑った。

「言っただろう。君を完全には信用しないと」

 どん、とまた銃口で小突かれて、私は前に出る。吹き抜けの向こう。やっぱり大きなモニター! その隣にはコンピューターが入っているのだろう、四角い箱。上に何か装置……これが妨害電波装置か? そしてその、箱の向こうに。

 眼鏡をかけた内気そうな、いかにもギークって感じの男が一人。癖毛すごいことになってない? スラブ系っぽいのでこいつがスタスラフか。

「スタスラフのアシストをしろ。おい、…………」

 英語。「スタスラフよかったな。若い女の子の助手だ」だとさ。虫唾が走る。

 でも、そう、私だってやられっぱなしじゃない。

 そろそろ大丈夫かな。もう少し時間を稼ぐか。私はおじさんに向かって叫ぶ。

「おじさんたちの目的のレラネゴブ? ってどんな薬なの?」

「君には関係ないと思うんだがね」

「聞かせてよ。これから仲間になるんでしょ?」

 ふん、とおじさんは笑った。それから細い目をきゅっとさせてから続けた。

「認知症治療薬だ。一度ボケた頭を六割再生させる。委縮した脳を再び大きくさせ、死んだ神経細胞を活性化させる薬だ。困るのだよ……我々より先にそんなものを開発されては。な? 若い君には関係なさそうな話だろう?」

「おじさん韓国の製薬企業?」

「そんなところかな」

「随分ブラックだね」

「困ったものだよ、まったく。社員に銃を使わせるとは」

 本当か? そんなことってあるか? 真っ当な企業なら武力より経済力で応じるはずだろ。こんな犯罪ど真ん中のこと……韓国って日本嫌いなのか? 同じ資本主義の国だろ? 日本も韓国も北朝鮮相手にケンカしてろよな……。まぁでも、WWⅡでいろいろやらかしたからな、日本は。

 ちらりとペの方に視線を投げる。あいつは私のスマホを持っている。うまくいけば、あいつ自身がセンサーになる……。

 変化はその時起きた。ペが反応した。

「…………」

 韓国語。何を言っているかは分からない。でも! 

 私は咄嗟にしゃがみ込む。そして続けざまに、銃声! 

 途端に弾け飛ぶ、目の前のコンピューター! 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る