母という人 006

瀬戸はや

第6話

母は本当に何でもできる人だったのだろうか?本当にひろこおばさんが憧れるぐらい 何でもできてしまう人だったんだろうか。僕は母がとても好きだったけれども 母の女学校時代のこととなると ほとんど知らなかった。あんなにいつも一緒にいて 一緒にいろんなことをした母だったのにこんなに何も知らないとは自分でも驚く。

母の娘時代のことで覚えていること といえば、母は生まれた時から体が弱くて 祖父母は母を死なせないで 何とか元気に育てるためにとても苦労したという話ぐらいだ。生まれながら体が弱かった母のためにスッポンの血を飲ませたり生きた鯉の心臓を飲ませたりしたことは聞いたことがある。

初めて生まれた娘のために 祖父母は娘のために可能な限りのことをしてくれたらしい。

それは娘時代に母が作ってもらった洋服や着物にもはっきりと現れている。母の洋服も 和服も全てあつらえものだった。今で言う オーダーメイド だったのである。

瀬戸あたりじゃ そんな洋服屋さんはなかったので名古屋のデパートから洋服ができる人を呼んで作らせたそうである。だから 娘時代に作った母の洋服は全てがなかなか 贅沢なものであった。生地一つを取ってもそうだったし、デザインに至っては 今でも着られるぐらい 洒落ていた。洋服だけでなく 和服についてもそうでやはり 名古屋のデパートから専門の仕立て屋さんを呼んで 作ってもらったそうだ。祖父が経営していた和菓子店みますやはいい 顧客を持ち、何人も人を雇ったりしてなかなか 勢いがあったらしい。祖父は名古屋で和菓子の修行し瀬戸でみます屋を開いてからをからどんどん大きくしていった。おじいちゃんは和菓子の修行だけではなく、店の営業の仕方もどこかで習ったのかもしれない。みます屋が大きくなるために必要な販路はその頃 おじいちゃんが開拓したものだった。

新しい場所で店を経営していくということはなかなか大変なことでどう考えてもおじいちゃんは和菓子作りの修行の他にどこかで経営の仕方を習ったという風にしか考えられない。何人も人を雇って店を拡大していくということはおじいちゃんそういった才能があったのか それとも誰かにそういったことについて 別に習っていたのかとにかく おじいちゃんはなかなかすごい人だったとしか思えない。おじいちゃんは一体どんな志を持って 和菓子の修行をして店を構えたのかその点についておじいちゃんに聞いたことは一度もなかった。修行時代の苦労や色々大変だったことも何にも聞かされていない 話したくなかったんだろうか。とにかくおじいちゃんを見ていると自分がしてきたことに満足していた感じがよくわかった。きっとおじいちゃんはしたかったことを全てやって手に入れたかったものを全て手に入れることができたんだろう。最晩年のおじいちゃんはとにかく何も言わなかったし、時々 好きな日本酒を 飲む ぐらいであとは何にもしていなかった。穏やかできっと満足できていたんだと思う。水野の百姓家に生まれた男が、好きな和菓子の修行を積んで菊田家のお姫様と結婚し、水野では一軒しかなかった 和菓子屋を大きくして、人を雇い子も孫まで手に入れた。おそらくおじいちゃんにはこれだけで十分だったんだろう。満足して静かになくなっていった。僕はおじいちゃんの不満やしたいことなんかを聞いたことがなかった。孫である僕が知ってる おじいちゃんはとにかく笑っていて一人で楽しそうに静かにお酒を飲んでいる。そういった姿しか記憶に残ってない。ただ 怒るととてつもなく恐ろしかった。そういった一面も持っていた。おじいちゃんはみんなの話を聞くと、頑固者だったらしい。まあでも それは若い頃の話で、晩年のおじいちゃんは時々 静かにお酒を飲むぐらいが楽しみで、後は 取り立てて したいこともない背を丸めて静かに笑っているばかりのおじいちゃんの記憶しかなかった。

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