夜光虫

カスミカ

見てくれ通りにふざけた人だこと


 待ち合わせ場所に指定されたホテルラウンジのカフェで待ち構えていたのは、見慣れた濡羽色の制服に身を包んだ、伯楽はくらく志乃しのの姿だった。うわついた雰囲気とは無縁な、言ってしまえば、貞淑すぎるがゆえの厳めしさを孕んだ、きわめて上品な風情を醸し出している。


 彼女を一目見た途端、たちまち祷子とうこはスカートのプリーツをひるがえして退散したくなった。


「さ、おかけになって」


 通りに面した大窓には、男好きする余所行きの営業スマイルが、おかしな引きつり方をしているのが映っていた。とにかく彼女とは、視線すら合わせたくなかった。


「なんでここにいるわけ。用があんならLINEかDMで連絡入れてくんない、あたし今仕事中……」


「お客を相手に、いつもそういう態度で接しているの?」


「余計なお世話。それ以上にあたし需要あるから。そこらの子ほどブスじゃないことくらいわかってるし」


 志乃は、煙たがられていることを歯牙にもかけていない。その峻厳な山岳の威容を思わせるほどの余裕はどこからくるのか、祷子はかねてより疑問に思っていた。


「このあたり制服でウロつかれると、こっちも色々やりづらいんだよ。補導されたいの?」


 片やハーフツインにチェックのリボン、パステルピンクと黒レースのトップスにプリーツスカートを合わせた、どこを切り取ってもな地雷系。ストゼロ片手に咳止め薬をパキり、SNSで自己憐憫に浸りながらリスカの画像をアップする、危なげなハイティーンを形容するようなファッション傾向……といった印象は払拭されつつある。祷子たちの世代では、専らコーデの持つ外見的な愛おしさを評価し、こうしたチョイスで路上に繰り出すことは少なくない。


 片や神奈川有数のお堅い進学校の代名詞、御影女子学園の喪服めいた制服姿。いわんや頭髪からスカート丈までびっちりと校則で指定され、そこには中高生の拙い承認欲求からなる着崩しが介在する余地などない。ともすれば旧来的な全体主義の残滓とも揶揄されかねない、しかし上背と美貌に恵まれた志乃がひとたび袖を通せば、彼女のすらりと長い四肢と相まって、華美と清貧とのグラデーションが、実に背徳的かつ煽情的にみえたものだった。


「ほら、いいからさっさと消えなよ。言っちゃ悪いけど、正直目障りなわけ」


「マアひどい。そんなに邪険に扱わなくてもいいのに」


 無加糖のコーヒーを一口ふくんでから、彼女は傍らのバスケットにおさめられた学校指定の革鞄を手に取った。中から取り出されたのは、飾り気のない封筒である。


「これ、お手当というのでしょう。ご確認をお願いできるかしら」


「は?」


「素寒貧でやってきたわけではなくてよ」


 視線を交わさず、彼女はカップの水面に目を落としたまま祷子にそういった。


「ちょっと待って。意味わかんないんだけどまじで。美人局ってやつ?」


「人聞きが悪いわ。どう受け取るかは自由だけど」


「さっき電話でマチアプのオッサンとも話して言質とったんだけど。あれ誰なわけ」


「先ほど、外の喫煙スペースでお声がけした男性です。お名前は存じ上げないけど、貴女にここまで来てもらいたくて、一芝居うってもらったの。それなりのお心付けをお渡しして」


「頭おかしいんじゃないのあんた」


 仁義道徳を貴び清廉恪勤たれ、常に相憐れみ奉仕せよと、日ごろからマリア様の膝元で薫陶を授かる御影の女子生徒らしからぬ行いに、素行不良甚だしい祷子も頭を抱えた。


「停学くらったバカ女からかうのって面白いわけ? 流行ッてんの? そういうの」


 長らくキャンパスに顔を出していない祷子には、志乃の属するコミュニティがどんなものかを推し量るすべなどない。学園寮の部屋こそ引き払ってはいないものの、寮そのものにも数か月は近づいていない。同学年の少女たちとの交流はほぼほぼ皆無である。そこまで考えて、祷子は進級の季節が近いのだと思いあたった。学友たちは、自分をさしおいて最高学年に上りつめるはずだ。祷子の停学は、横浜に五月の薫風が吹くころには解けるだろうが、きっとろくに顔も知らぬ後輩たちが、同級生として生暖かく自分を迎えるのであろう。


「あんたみたいな奨学生が、あたしとつるんでどういう得があんの? お行儀よくして内申点稼いでればいいじゃん、そうしてりゃ担任もパパもホメてくれるでしょ」


「養育費を出してるのは男親じゃないわ。母親の方」


「どっちでもいいよ。知るか」


 とは言ったものの、なぜ志乃が突っかかってくるかは、祷子にはわかっていた。


 御影女子の奨学制度は、卒業生やその縁者、あるいは係累たちが、体よく非嫡出子を学園寮へ放り込んでおくためのものでもある。彼女たちは制度の後援である育英会を経由して口座に振り込まれた生活費を通して、初めて親の存在を知ることがほとんどである。志乃は親の顔すら知らぬ他の生徒に比べて、肉親への執着めいたものを持ち合わせているようだった。彼女の場合、母親が育英会の運営に名を連ねている都合上、顔を合わせる機会が少なくないのだろう。認知されえない私生児たちの中で、志乃は確かに可愛がられていたように、少なくとも祷子にはみえていた。


「得をするのは貴方の方だと思うの。いるんでしょう? お金」


「だから何だっての? チヤホヤされたいなら、そこのフロントの募金箱にでも突っ込んでくりゃいいじゃん。学校名義で領収書でも切ってもらいなよ」


「お金が、いるんでしょう?」


 不機嫌さなどどこへやら、変わらぬ声色で志乃はふたたびいった。


 実際、祷子は金に困っていた。


 食うに困っているわけではない、むしろ銀行口座の中には、同年代の少年少女の侘しい小遣いとは比較にならぬほどの金額が収められている。祷子も奨学生の例外に漏れず、親の顔を知らぬ私生児である。しかしながら、先秋の非行を原因とする停学処分を理由に、奨学金の支給が滞る可能性が浮上してきた。教員会や教育委員会がどのような判断をくだすかは神のみぞ知るところだが、今の蓄えをもってすれば、最悪放校されたとて、少なくとも路頭に迷うようなことにはなるまい。


 それではどうしてそこまで金策に苦心する必要があるかといえば、単純にこれ以上親に借りを作りたくはなかったから。それだけである。御影の縁者ともなれば、生徒一人の養育費など微々たるものだろうが、それでも祷子は一刻も早く親との縁を切って自立したかったし、だからこそこうした方便たずきで私財を蓄えているのである。


「つまんない冷やかしだったら、匿名で職員室にタレコむことだってできんだからね」


「お互い様じゃない。停学中の生徒の振舞には見えないわ」


 おそるおそる、祷子はテーブルの上に差し出された封筒を手に取る。重たい。中をのぞくと、フィクションで目にする札束とまではいかないまでも、普段の取り分とは比較にならないほどの額が収められていた。紙幣を手に取り、枚数を検める。


 皴ひとつないピン札が、総額三十万円ぶん。


 比較的割のいい援デリ業者の斡旋で男の相手をしたとしても、マージンで持っていかれる額を考えると。ここまで稼げることはまずない。


「あくまで前金と考えてもらって結構よ」


 金に目が眩むとはこのことか、あるいは志乃の正気の沙汰とは思えぬやり方に戸惑いを覚えているのか、祷子は視界が頼りなくぐらつくような気分になった。


「買われてくれるかしら。私に」

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