魔女の見た未来

白夏緑自

魔女の見た未来

 今、私たちはそれなりに幸せな生活を送っている。

 朝は同居している恋人が淹れてくれた珈琲で目を覚ます。二人合わせた収入もそれなりにあるから砂糖とミルクはたっぷりと混ぜられる。

 甘くなった珈琲を飲みながら、朝食は私が作る。バケットを切る。卵を割る。ベーコンを切る。コンロにスキレットを置いて油を敷く。


「サリ、火をちょうだい」

 テーブルについて新聞を読んでいる恋人に声をかける。彼女は視線を新聞から離さないまま、手元の杖を手に取って軽く振った。すると、コンロに予め組んでいた薪に火が灯る。何もせずとも火力は強まり、すぐにスキレットから煙が立ちはじめる。


 魔女の恋人がいると楽で助かる。薪が燃え切らないうちに調理を済ませてしまう。

「できたよ」

「ん」


 ここで今日初めてサリが新聞から顔をあげる。テーブルに並んだ朝食を挟んで私たち2人は手を合わせる。


「いただきます」

 サリが仕事場で教えてもらった東洋のお祈りだ。2人で食事するときはこのお祈りをするようにしている。


 2人で住み始めた時、食事へのお祈りはバラバラだった。

この国の国教──F教では両手の指を頭の前で組んで、目を瞑り女神への感謝を述べるのだが、F教と逆位置に立つ魔女のサリにはそれが出来ない。


 かと言って、異端審問会で働く私が魔女の祈りを行うわけにもいかない。

 一緒に食事をするのにバラバラのお祈りをしなくてはならないことに寂しさを感じていたら、サリが聞きつけてくれたのだ。


 F教に戒律は多いが、しかし異教や解釈に寛容でもある。女神への感謝を忘れなければ、おおよそ異端とはみなされない。また、異教徒や魔女についても黙認している。


「ノイエ、今日は?」

「うん、仕事だよ? 今日も大昔の判例整理」

 私は異端審問会の判例研究部で働いている。1日ずっと、過去の審問会の記録を調査と現代の価値観や倫理観との相違についてレポートを纏めている。


「そう……」

 最近、サリは私の仕事を気にするようになった。確かに、異端審問会は魔女の教義を容認できないが、だからと言って片っ端から捕まえて審問に掛けたりもしないし、いざ審問されてもお咎めが無かったり軽い罰金程度で済んだりする。


 例えばこんな話がある。

「F暦573年の秋。とある魔女が各地の農村に現れ、麦やトウモロコシに成長促進の魔法をかけたことで異端審問が開かれた」

 今から100年前の記録。まだ魔女に対する風当たりも強かった時代だ。


「罪状は市場価格の不当操作。この争点は【女神を冒涜するべからず】、【生命へ過剰に干渉するべからず】と。【富を独占するべからず】の3つの戒律に抵触するかどうか」


「生命への過剰干渉は、昔はけっこう厳しかったって……」

「そうそう。医師の診療にも今よりもっと制限があった時代だからね。生きるのも死ぬのも時と世界に身を任せるべきって考え方が強かった」


「じゃあ、肥料をあげるのもダメなんじゃ……」

「そこは私たちがご飯を食べるように生きるための栄養を与えるっていう解釈が効いていたみたい。ただ、魔法については、」


「植物への成長促進の魔術はいくつかあるけど、土中や空気中のエレメントからの供給が基本的。だから、栄養を与える解釈で問題ない」

 ただ、今も成長促進魔法の使用を全面的には認められていない。あくまで補助的な役割に納めるよう不文律のなかで定められている。


「そうなんだけど、当時はその理解も私たちにはなかった。だから、【生命へ過剰に干渉するべからず】の破戒は覆せなかったみたい」


「その言い方だと他の2つは認められたの?」

「【富を独占するべからず】はあっさり認められたようだよ。まあ、各地で同じようなことをしたうえ、報酬もほとんど受け取っていなかったのが良かったみたい」


「それなら、その魔女はどうしてそんなことを」

「573年は冷夏の影響で作物が十分に育たなかった。国全体が飢饉に近い状況になっていたのをどうにかしたかったんだろうね」

 だから、魔女の行いは純粋な人助け。少なくとも、当時の審問官たちはそう判断することにした。


「【女神を冒涜するべからず】がどうして争点になったかというと──」

「女神が起こした奇跡に酷似している、からでしょ?」

「おお、そう。過去の判例だけど、サリはよくわかったね」

「まあ、敵のことは把握しておくべきだし……。F教は特に女神の特性を神話から引用しているから。争点にするならそんなところかなって」


 サリは珈琲に口をつけて、カップで顔を隠す。照れているときのしぐさだ。おおかた、興味本位で調べたことがあったのだろう。ただ、魔女の立場からそうも言えず誤魔化した。深く追求しても可愛そうなので流しておく。

 あるいは、魔女内でも過去の判例は研究されているのかもしれない。魔法の使用はあくまで黙認状態。異端審問会がその気になれば、いつでも異端審問を開くことが出来る。そのときのために、弁護の対策を考えているのかも。


「そう。女神は飢えで困っている農村にて三日三晩、村人に聖火を絶やさぬよう言いつけその間、女神は踊り続けた。すると、4日目の朝には穀物が育ち、村人は感謝を述べ、女神は天上へと姿を消した」

「全然違う。神話は三日三晩。けど、その魔女は──当時の魔法技術だと──不作年だと決した時期の稲を十分に収穫できるように育つまで一週間は必要なはず。1人だとなおさら」


 そうだね、と私は頷く。サリの言う通り、この魔女は各地で収穫を見届けるまで一週間ほど滞在していた。

「いやあ、この場合は違い過ぎるのがマズかったみたい。魔女が女神の真似事をするなんて何事だって」

「なにそれ。普段は女神を見倣うべきだとか言ってるくせに」


「時代だよ。573年は魔女が表社会にようやく出てきた頃だし。良く思わない人たちはとにかく魔女を排斥したかったんだと思う」

 こんなこと、サリもわかっているはずだ。ただ、感情は納得できないのだろう。彼女たちの民族と私たちの民族が複雑な関わり方をしてきたせいだ。100年前の大戦時に私たちは魔女の魔法を大いに頼ったことをきっかけに、彼女たちの地位は向上した(あるいは、私たちはせざるを得なかった)。その以前には魔女による死傷者を伴う抗議活動を受け、より分断を深くした。さらに、そもそもの始まりを紐解くと魔女の国であったこの地に、私たちの先祖が侵略し彼女たちへ略奪と暴力を行った記録と証言が──魔女側に──残されている。その他、大小様々な出来事が、個人ではなく民族同士でいがみ合う社会構造を作り上げてしまった。

 だから、例え自分と縁もゆかりもない過去の人だとしても、同胞が行った善行を悪事のように扱われたとしたら、憤りを覚えてしまうのも無理はない。


 ただ、私はこの判例を話題に出したのはサリの機嫌を損ねるためではない。むしろ、逆だ。


「でも、最後は異端的行為に該当しないと判決が出ている」

「どうして? 3つの争点のうち、2つがダメだった。魔女の異端は決定的だと思うけど」

「覆ったんだよ。【女神を冒涜するべからず】が」


 記録ではこうだ。

「火刑が決定し、刑執行までの拘置中、減刑を求める嘆願書が提出されたの」

「誰から?」

「村人たちから」


 しかも、驚くのは各地離れた村からそれぞれ独立して提出されたことだ。それだけ、魔女は信頼を得ていた。


「このことが審問会内部でも再審問の議論を起こして結果、【女神を冒涜するべからず】の破戒は無かったことになった。魔女の行動は確かに女神の軌跡を模倣するものだが、同時に村人へは確かに援助も行っている。つまり、魔女の行動は悪意ある模倣ではなく、女神の教えの体現である、と解釈がひっくり返った」


 ここまで説明すると、サリは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。……狙い通りにはいかなかったみたいだ。本当は、この一例のように魔女のこともいつかは社会的に認めてもらえるようになると伝えたかったのだけど……。


「それこそ、F教側の傲慢。女神の教えの体現? 私たちの善意は女神に教えられたものじゃない。【探求の成果は惜しみなく分け与えよ】。魔女に生まれて、たぶん三番目に教えられること。その魔女も、魔女として成すべきを成しただけ」

 一息に捲し立てて、途端に今度はバツが悪そうにしおらしくなる。


「でも、女神の考え方も悪くないと思ってる……。その、表現が違うだけで人助けはするべきなのは同じだから……」

 そう言って、サリは自分のお皿を台所へ持って行って、簡単に洗うとすぐに家を出て行ってしまった。


 ちょっと重たい雰囲気が私一人だけになった部屋に残る。……喧嘩、ではないんだけど。主義が違うんだよな……、決定的に。


 私たちのひいおじいちゃんたちの世代が築いた関係性を、私たちの世代は引きずっている。これでもまだマシになったほうだ。

 F教信者と魔女が一緒に暮らしていても表立って石を投げられない。


「帰ってきたら普通にしよ」

 私もサリも怒っていない。少しだけ、食い違っただけ。そんなもの一緒になる前からわかっていた。理屈ではないところで私たちは一緒にいることを選んできたのだ。

 占い師のサリには今夜の私たちはどんな風に顔を合わせているのか、もしかしたらもう見えているのかもしれない。


 季節が3つ巡った。

「もうすぐ、魔法が必要のない時代が来る」

 少し汗ばんだ身体2つで1つの毛布に包まっているとき。ふと蝋燭の火が消えた。


「どうして……?」

 私たちF教はそもそも魔法を必要としていない。努力と工夫を積み重ね、過程のある日々を送るべきだとしている。杖を振るって即効の結果を得る魔法は教義に反している。


 だから、主義主張や行動と活動が教義に反し、また異端であるかを判断する異端審問会に所属している私としては「そもそも必要としていないよ」と返すべきだ。

 ただ、ここはベッドの上。傷つけ合うのではなく、慰め合う場所。サリの言葉には縋るような色が混ざっていた。


「明日の天気がわかるのも、遠くに物を運ぶのに馬以外に馬車を動かせるのも、夜、暗くなったらたくさんの街燈を灯せるのも、魔女のおかげだよ?」

 これは事実だ。異端審問会も黙認している魔女による営利活動。私たちは今挙げた以上の社会に役立っている魔法を知っていながら、知らないフリをしている。


 理由はなんだかんだと言って便利だから。明日の天気がわかれば洗濯物を干すのに躊躇しないし、疲れない馬のおかげで速く遠くへより多くの荷物が届けられる。立ち並ぶ街燈をいちいち開けて、蝋燭に火を点けなくて済む。


 魔女を頼って増やしすぎた今の街燈の数では、普通にやろうとすれば終わるころには朝になっている。

「灯、点けないの?」

 いつもなら眠るまでは灯し続けるのに。夜風に吹かれても消えない灯に照らされるサリの顔が好きなのに。今夜はずっと暗闇のままだった。


 向かい合っていた彼女が背中を向ける。暗闇に浮き上がる綺麗な銀髪の下に形の良い肩。


 少しだけ彼女が震えていた。


 首に手を回して、私の胸を彼女の背中にくっ付ける。密着した肌と肌の間に熱が籠る。秋口とはいえ、汗冷えするには十分な夜風。それにサリは身体が冷えやすい。こうやって暖めてあげる夜が増えていく季節だ。


 いまさら大仰な言い訳を必要とする仲ではないが、自然に求め求められるきっかけは大事にしている。


 だから、今日も続きが始まると思っていた。しかし、私の予想に反して、サリはずっと壁を向いている。


 寝ちゃったのだろうか。最近、お疲れ気味だったし、どこか悩み事を抱えていそうな雰囲気でもあった。尋ねても、なにも教えてくれない。浮気という最大の異端を疑ったけど、どうやらそれも違うらしい。


 仕方がない、と毛布を手繰って、彼女の肩の高さまで合わせる。

 身長のせいで私は胸元までしかかからないが、身を丸めてサリのうなじに額をくっ付ける。これで、多少はマシになるはず。本当はリビングの暖炉に火を付けて、暖かい空気を寝室へ循環させたかったけど、私も眠気には勝てず、ただただ微睡へ瞼が落ちるのに任せるしかなかった。


 あぁ、と寝ぼけた脳は突拍子もないことを思いつく。

「ボ……をお……だけで……火が……つい……いい、な……」

 腕の中のサリがビクッと動いた。そんな気がした。



 サリがいなくなって、初めての春がやってきた

 置手紙もなにもなく。目が覚めたら冷めた珈琲だけを残して、彼女は出ていった。

 もちろん、探した。街中あちこち、魔女集会にも突撃した。

 魔女たちは何か知っている様子で、何度か顔を出してサリについて訊き出そうとした矢先、私の仕事が忙しくなり始めた。


 スチーム、という技術が急速に発展し、私たちの生活に機械が侵食し始めた。

 鉄の塊が何十何百の人間と何トンもの荷物を載せて馬よりも早く線路を駆ける。

元栓1つを操作すれば、街中の街燈が灯る。機械が物凄い速さで土を耕し、温度を調節し作物の成長をコントロールし始めた。


 誰かが「魔法のようなことだ」と言った。スチームに頼ることは異端か否か、異端審問会は一律に定めなかった。訴え1つ1つに対し、検証と審問を重ねて結論を出す方針を貫き、私たちは判例を調べ、審問官たちは聖書と条文集を引き合いに出しながらそして、持ち込まれた全てに【異端ではない】と認めた。


 見て見ぬふりをされてきた魔法は廃され、スチーム機械が街を埋め尽くすのにそう時間はかからなかった。


 私の家にも装置──ボタン──を押すだけで火が付くスチーム機械はやってきた。国が配備を奨励し、半ば強引に補助金を掴まされての導入だ。


 私の仕事が落ち着き、再びサリを探そうとしたころには蒸気に塗れた街から魔女は姿を消していた。彼女を追える手掛かりは私の手が届かぬ所へ行ってしまった。


 どんどん、私を取り巻く世界はおかしな方向へ転がっていく。


 スチーム機械を手に入れた我が国は豊かになったが、それだけで飽き足らず、土地と労働力を求めた。機械は多大な成果をもたらすが、今度は操作する人間が足りなくなったのだ。


 人件費は高騰。稼いだ金で労働者はスチーム機械を買い、独立して自分の下で操作してくれる人手を求める。労働者に雇われたその人も金を稼ぎ、スチーム機械を購入し独立する。このスパイラルはあっという間に国から純粋な労働者を消してしまった。売る物があって、買い手もいるが、作り手がいなければ富の円環は断ち切れてしまう。


 足りない労働力をどうするか。そんな話題が職場や酒場のあちこちで賑わうようになった。


 ほぼ同時期に【F教信者に在らずば人に在らず】。こんな標語が王朝とF教会の共同で、F教信者以外の人間は市民階級をはく奪され、その2つ下の奴隷階級へ認定される法律と一緒に掲げられた。


 この土地に住む私たちにとっては、当初あまり関係のないことだった。皆、生後3か月でF教の洗礼は受けているし、そうではない少数の側であった魔女たちはもういない。サリとはもう会わない方が良いのだろう。


 ただ、標語の範囲は国外にまで及んだ。異教に騙され、自らの不幸にすら気づけぬ人々を解放する。そんな大義名分を掲げ、私たちの国は隣国へ解放戦を仕掛けた。


 そして、我が国へ“救出”された異教徒は異端審問にかけられ、改宗を薦められる。

 私の仕事は異教徒へ改宗を薦める宣教師へ変わっていった。私だけではない。異端審問会の職員やF教で働く者の多くは人手不足を理由に宣教師へ転任するよう、辞令が下った。


 F教教徒として誇るべき仕事。私は私に言い聞かせた。毎日毎日、見知らぬ土地で不安そうな老若男女、なかには赤子を抱えた母親に改宗を薦めた。言葉も満足に伝わらないから身振り手振りを交えたりもした。このまま、改宗を受け入れてくれないと奴隷のような扱いを受けてしまうことも伝えた。


 でも、ほとんどの人は信仰を曲げることは無かった。彼らの信仰心は私たちのF教に対する“それ”より、はるかに確固たるものだったのだ。


 来る日も来る日も何十人、多い時では60人近くの人間を相手にしたが、彼らのほとんどはその場で奴隷として生きる道を選ぶ。宣教師としての私の成果は惨憺たるもの。しかし、上からのお咎めも注意もなにもない。強いて言えば効率化を求められた。不思議ではあるが、気にしてもいられなかった。


 私が改宗させられず、奴隷となって部屋を出ていく人々の不安と悲しみと、そしてどこか満足そうな表情に私の心はすり減り、疲弊していたから。どうして、見放した神様を信じ続けられる。なぜ、手を伸ばす私たちの女神の手を取らない。


 これでは、私たちが悪ではないか。

 

 いや、“悪”そのものだ。上層部は最初から異教徒たちを改宗──あるいは救出──する気などなく、ハナから最低限の衣食住のみで働かせられる奴隷が欲しかったのだ。

 気が付けば、仕事は流れ作業になっていた。部屋に入ってきた異教徒へ一言二言話しかけ、首を縦に振らなければ【改宗の意思なし】と判を押す。その繰り返し。月間最高人数の異端を報告したとして表彰もされた。

 私たちの国はいくつもの国家と民族を“解放”し、いつしか列強国と呼ばれるようになった。


 サリがいなくなって5年。私は宣教師から審問官になっていた。審問会のなかでは上位の役職。私もいつの間にか年を取ったらしい。


「審問官。準備が整ったそうです」

「すぐ向かうわ」

 部下である審問会判例調査部の娘が控室で休む私に声をかける。

 ここは占領地だ。我が国は躍進を続け、しかし、国内の奴隷も飽和状態。結果、異端審問と刑罰の執行は現地にて行うことになった。


 私は本国からの派遣審問官としてここにいる。


 カーテンで区切られた仮設の審問会場に入る。審問官席があるだけで、他は何もない。死の据えた匂いが鼻孔を刺激する。


 ここにいるのも審問官の私と部下、それと異教徒──捕虜。あとは監視と警備を兼ねた兵士たちだけ。異教徒たちに弁護人は付いていない。ただ、私の部下が作成した罪状を読み上げるだけの超略式審問。

 拘留期間もない。審問官である私が宣告した瞬間に刑が執行される。


「これを」

 部下から一枚の紙を受け取る。

 ここに罪状と量刑が書かれている。


 詳細など必要ない。昨日は軍の士官連中を纏めて裁いたが、そのときも【国民を邪教によって洗脳し、戦わせ、多くの人的損害をもたらした】なんて大義名分の欠片もないようなものだった。


 まあ、私がどうこう考えたって仕方がない。どうせ、私が裁くのは戦闘の指揮を執った士官連中か、我が国軍に苦戦を強いた敵の有力兵士たち。死刑は免れない。

 今から裁かれる異端者たちは22名全員、十字架に磔にされたまま私の宣告を待っている。


 これから燃やされ、死ぬ異教徒たちだ。なるべく視界に入れぬようさっさと紙を開いて、眼前に掲げる。


「主文。異端者22名を火刑に処する」

 火刑か。通常ならF教の慈悲深さを示すため、苦しみが少ないギロチンによる斬首だ。しかし、今日の異端者たちは敵の主力部隊。多くの兵を殺されたとあれば、より苦しみを与える刑罰にもなってしまうのか……。


「理由。異端者はF教の敬虔な信徒を──」

 この信徒は我が国軍の兵士だ。


「大量に虐殺せしめたうえ──」

 自分たちだって同じことをやっている。なんなら、戦争に勝利しているこちら側の方が殺した人数は多いはず……。


 いつもなら、続けて大量虐殺が如何に罪深き事か面の皮が厚くなければ読めないような一文だが、今回はその手段について添えられていた。

 奥底に眠っていた慕情が高鳴り、喉は止まりかけるが、舌の上に形成された言葉は厳かに発せられた。


「その方法は魔術を用いた魑魅魍魎、鬱肉漏脯の如き所業。女神を酷く冒涜している。よって──」

 魔術。魔術だって? 胸の中を蟲が蔓延るように騒ぎだす。そんなはずはない。きっと、違うはずだ。ここは私たちに国から遠く離れていて、船で2週間もかかる。それに、この国には魔術文化はない。神へ祈り、未来を読もうとする占術が主流だ。

 だから──。

 

 否、それならどうして“魔術”なんて言葉が登場する。占術をそう記したか? 部下がより罪を重くするために事実を曲げたか? それともただのミスか? そのどちらも違う。ねじ曲がった歪みだらけのF教のなかで、彼女はまだ一本の信念を貫いている。

 だとすれば──。


 紙を下し、22本の十字架を視界に映す。

 全員が女だった。


「あ……」

 魔女だ。

 一見して、ただの女だ。手足の数も肌の色も、なにも私たちと変わらない。

 それでも、私にはわかる。たった数年。されど、深く濃い数年をサリと一緒に過ごした私にはわかる。


 彼女たちは魔女だ。私たちの国にいた魔女だ。数は少ないけれど、一部はここに流れ着いたのか。


 そして、見つけてしまう。

 月光のように透き通った銀髪は短く荒れて、瑞々しかった肌は泥に汚れていて。湖畔のような蒼色の瞳は布で隠され、言葉少ない小さな口は轡を噛まされている。私の知る彼女とはかけ離れた姿になってしまったが、十字架の群の中央にサリがいる。


「審問官?」

 口を閉じた私に部下が声をかける。

 酷い顔をしていたのだろう。今にも私の背中に手を回したそうに、一歩寄ってくる。

 大丈夫、と絞り出す。立っていられる。だけど、それが精いっぱいだ。

 文書の続きを読み上げることなんてできない。今すぐにでも審問会を閉鎖して、彼女たちを解放したい。サリを抱きしめたい。いなくなってからの6年と9か月、話したいことなら山ほどある。


 やればいい。彼女たちを無罪にできずとも、私の立場なら審問会の一時中断ぐらいは可能だ。どこか牢屋にでも運ばせて、隙を見てサリと逃げ出せばいい。苦労も不幸も、サリとならば乗り越えられると信じ続けていたではないか。


 理性が私を縛り付ける。

 逃げたところでどうする。我が国は戦火を広げ続けている。この世界からF教以外の信仰を消し去るつもりだ。いつか見つかって、2人とも殺される。そもそも、私に権力はあっても腕っぷしがない。兵士の目を搔い潜り牢屋からサリを連れて突破できない。


 嫌だ。嫌だ嫌だ。どうしてこう弱気になる。何が何でも行動すればいいじゃないか。なりふり構わず、今の生活を捨てて、また昔みたいに穏やかに過ごせなくても、砂粒ほどの幸せをサリと望めばいい。

 サリ……。


「……っ」

「審問官、お気を確かに」


 部下がまた一歩近づき、身体の陰で誰からも見えぬ位置で私の手を握った。

 震えていた拳に陽光のような温もりが染み渡る。


「どんな異端であれ、あなたが裁きを下せば女神の祝福は平等に与えられます。最後は皆、それを望むはずです」

 そんなわけがない。大声をあげて否定してやりたくなった。だったらどうして、戦火は広がった。どうして、捕虜は満足そうに奴隷に堕ちた。どうして、魔女は私たちの街から去った。


 女神が祝福を与えてくれるというならば、この苦しみはどうやって癒してくれる。

「サリ……」 


 聞こえただろうか。あなたを呼ぶ声が。

 部下が握る手が、私に馬鹿な気を起こさせないよう強くなる。


「いちじ……」

 声を絞り出す。とにかく、中断させよう。そう口を開いたとき──。

 轡で辱められているサリの口元がわずかに綻んだ。


「…………」

 彼女の指がピクリと動いた──ように見えて私の口は意志を介さず動きだす。


「虐殺の方法は女神を酷く冒涜している。よって異端者22名を火刑に処す」

 瞬間。兵士が十字架に火をつけた。


 火は瞬く間に広がり、炎へと変わる。囂々と空気が燃える音に紛れて、炎に苦しむ怨嗟が審問会場に渦巻く。スチームの白い蒸気が私たちの生活を一変させた。黒い煙が私たちの全てに終止符を打った。


「審問官、あまり長く居ては……」

「いいの。居させて。最後まで見届けさせて」


 サリは未来が見える魔女だった。いつか、スチーム技術が魔法に取って代わることも、それを皮切りに異教徒が迫害されることもきっと見えていたはずだ。だから、私から去ったのだろう。


 だったら、どうして、こんな未来を回避しなかったのか。あなたはどうして、私に殺される未来を選んだのか。

 

 赤黒い炎は網膜に焼き付き、あなたを灰にしてできた煤は鼻から体内に入り、この熱はどんな人肌よりも熱く、私を焦がした。

 

 首元にはあの日からずっと、消えない火傷がのこっている

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