言の葉、透きとおる
あさって
第1話
学校指定のタブレットに「インストール完了」とメッセージが表示される。文部科学省公認サイトのダウンロードボタンを押してから十分後のことだった。私は早速、チャットAIアプリに「江戸幕府成立 要約 3000字以内」とプロンプトを打ち込む。
私の指示が書かれた吹き出しの下、AIの回答欄で入力カーソルを表す□が明滅する。それがまるでAIの呼吸に感じられて、殺風景な画面に若干の可愛げを見いだしてしまう。
そんな感傷も束の間、□のカーソルが勢いよく右に移動し、瞬く間に改行した。文部科学省公認データ『高校日本史セット』に基づいた歴史の顛末がみるみる書き出されていく。
中身の正誤なんて私には判断つかないけど、歴史の授業ってわけでもないしね。そう居直って、コピペした文章を教職員用タブレットに送信した。
「まぁ……、石川さん早いのね」
褒めるよりは訝しむ様子で、先生は画面を覗き込んだ。その顔が、みるみる真っ赤に染まっていく。
「石川さんッ!! あなた、どういうつもりですか!!!」
***
「ふふッ、あっはっはははは――ッ、あー、可笑しい!」
「いつまで笑ってんのさ」
葉子は今日一日中、私の醜態を笑い続けていた。放課後になった今も、両手で口を押さえたまま、机に突っ伏して肩を震わせている。
「だいたい、ウィルスって私のせい?」
「偽サイトにアクセスしちゃったんでしょ? 文分科学省公認の。完全にあなたの過失よ」
涙を拭きながら葉子は言った。私は口を噤むしかない。
そうなのだった。悪質なデータを学習したAIは小・中学生みたいに下品な返答しかできないお下劣マシーンになってしまった。三千字に渡るうんち・ちんちん大合戦を提出したことを考えると、多少の説教と居残りだけで済んだのは運がよかったのかもしれない。
「しかも、生成された文章の確認すらしなかったなんて。『AIツールは正しく使えばとても便利なものですが、必ずしも完璧ではありません。適切に取り扱うために、人間の補助が必要です』」
それこそインストールした教科書を読み上げるように葉子が言う。私はわざとらしく真剣な顔をして「ねぇ聞いて、葉子」と彼女を見つめた。
「一生の内に読める本の数には限りがあるんだ。限りある文字数をつまらない確認なんかに――」
「一生の内に口にできる言葉にも限りがあるのよ。もうちょっと有意義に使えると良いわね」
悪戯っぽく笑う葉子につられて、私も笑った。
高垣 葉子と初めて言葉を交わしたのは去年の四月。高校二年生に成った時だったら。新しい教室の新しい机、窓際の席に腰掛けた瞬間、前の席から声をかけられた。
「あなたがあの石川 透?」
あまりに無遠慮な第一声に苛立ちを覚えなかったのは、内心で「うわぁ、あの高垣 葉子だ」と無思慮に感心していたからだった。
「綺麗な顔してるのね」
しかし、第二声に私は顔をしかめる。私も同じ事を思っていたけど、それは棚に上げた。鞄から文庫本を取り出して、賞状を読み上げるように顔の目の前で開いた。
「その本――! 私も今、それ読んでるの」
三つ目の言葉はページの向こう側から聞こえてきた。興奮を纏った、やたら弾んだ声だった。
それから、もう半年。本を貸し合ったり、映画を見に行ったりしてる内に、一緒にいることがすっかり当たり前になった。
今日もそう。
「相変わらず、綺麗な顔してるのね」
放課後の教室で、葉子が初めて会った時と同じ台詞を言った。私はタブレットの画面をつつきながら「やめてよ」とため息を吐いた。
「事実でしょう。学内非公式イケメンコンテスト二連覇、石川透さん」
「それ、女子に対しては褒め言葉にならないと思うんだ」
「かもね。私としては、ハンサムって言葉の方がしっくりくるわ」
同じでしょ、と反論する気力も湧かない。
私のフルネームの先頭にあのが付加される理由――顔の造形が男性的なのだ。中性的と表されるラインから男性側に二~三歩寄っている。pH(ペーハー)で喩えたら8~9くらい、カレーで言ったら6~7辛くらいの男顔だ。
髪を伸ばしても似合わなくて、中学からずっとショートヘア。母は「お父さん瓜二つ」と複雑な顔をし、友達は似ている芸能人として大正時代の詩人を挙げた。
不本意にもてはやされ、噂されて、いつの間にあの石川透になっていた。
「だいたい、あの高橋葉子に綺麗とか言われてもねぇ」
葉子の事情はもっと明快だ。単純に、簡潔に、一目瞭然。誰もが認めざるを得ないほど、高垣葉子は美しかった。長い足、細い腰、小さな顔。お尻辺りまで伸びた黒髪は真っ直ぐ艶やかで、たまに三つ編みを作って遊ばせてもらうが、解けば一切の痕跡を残さずサラッと元通り。NASAの新技術かよって思う。
「よし、こんなもんかな」
完了ボタンに触れて、入力作業が一段落する。タブレットから目線を上げた。葉子の少し釣り上がった瞼と豊かな睫、その奥で、輝く瞳がこちらを向いた。
あぁ、瞳だ。この蒼い瞳。
初めて見た時から、ずっとこの瞳に惹かれてる。出会ってから半年、美人具合には大分なれたが、これだけは特別だった。気づけば見蕩れて、見つめられればドギマギしてしまう。
「終わったの?」
「………あ、ああ。たった今ね」
首をかしげる葉子にタブレットを渡す。『明日までに元通りにしてきなさい!』という先生のお達しで、ウィルス感染したお下劣AIを初期化し、これまでの授業内容を再学習させたのだった。葉子が自分のチャットAIと私の新生AIに同じプロンプトを入力して、同じ回答が表示されるか確認してくれる。葉子のOKがでる度、私は教科書の目次にチェックをつけていった。
「なんだ、ほとんど自力で出来たじゃない」
「一人じゃやる気が起きないんだよ。この授業あんまり好きじゃない」
「珍しいのね。板書するだけの授業よりよっぽど楽しいと思うけど」
どう説明したものか、少し悩む。はっきりとした理由があるわけじゃない。ただ、なんとなく、やるせない気持ちになるのだ。
「なんか、こうやって教科書の内容一個ずつ勉強してるのがさ、私達と一緒だな~って思ったりしてさ、」
そこで言葉が途切れる。文の終わりと頭の中の気持ちが上手く繋がらない。文章未満の思考が飛躍して、結果だけが口をつく。
「学習が
葉子はきょとんとしてから少し考え込んだ。顎に手を当てる芝居がかった所作も、彼女がすると様になる。
「つまり、自分とAIを同一視して『自分の意思だと思って口にしている言葉は、その実、これまで学習したことを復唱しているに過ぎないんじゃないか』とか考えちゃうってこと?」
取り留め無い言葉の断片から、葉子は私の気持ちを概ね言語化した。
「さてはチャットAIの中の人です?」
「知られてしまったからにはタダで帰すわけにはいかないわね。フリスクを二粒寄越しなさい」
笑いながら、私は白い容器を彼女の手の上で振った。三粒落ちたそれをコリコリと噛みながら「でもまぁ、」と葉子は言った。
「遺伝子が発見された時にも誰かが似たようなことで思い悩んだのでしょうね。きっと、運命って言葉が発明された時にも」
「……なるほどね。チャットYUKさんとしては、その悩みに、どんな解決策を示してくれる?」
「そうねぇ――、」
葉子はまた顎に手を当て思案した。 心なしか瞼が下がり、瞳が長い睫に少し隠れる。私は、そんな彼女の姿をじっと見つめる。
葉子には悪いけど、答えなんてどうでも良かった。別に、この授業が嫌いなままでも困らない。ただ私は、彼女が思考する姿が好きだった。
正に今、だれにも覗けない場所で、高垣葉子という存在が蠢き渦巻いている。その事実こそが美しいと感じていた
しばらくして、葉子が顔を上げる。私は慌てて目を逸らした。
「自分の歴史を愛してあげたら良いんじゃない? 遺伝子、文化、知識と環境、言語もそうね。影響なんて受けて当然じゃない。私達と、私達の生きる世界は、過去で構成されてるんだもの」
蒼い瞳が私を見ている。私は窓の外、夕日を眺めるふりをした。
「私は、その繋がりを素敵だと思う。だって、そうじゃなかったら、自分を愛することも出来ないし、言葉すら話せなくなってしまうわ」
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