第四話 家族じゃない
昼食はファストフード店のハンバーガーにした。
理由は単純に僕のような高校生の財布にも優しい価格帯であることと、あまり高価なものを買って行っても遠慮の塊のような彼女はきっと受け取らないだろうと思ったからだ。
理亜はそれでもなお昼食を受け取るのを渋っていたが、今まで同様適当な理由を付けて押し付けた。
食べられないと言っておきながら、きちんと完食はするのだから、いかに理亜が本心とは違うことを言っているのかが良く分かる。
さて、昼食を食べ終わり、再びショッピングへと繰り出した僕は理亜を連れてよく通う服屋へと入店する。
男性用、女性用共に取り扱っており、カジュアルな衣服を中心に取り揃えているその店は完全に僕の服の趣味ともマッチしており、他の衣料品店よりも訪れる回数は多い。
いつもは訪れてすぐ男性用コーナーへと向かうのだが、今回の目的は僕の服ではないので別の場所で足を止めた。
その場所に並んでいるのは夏らしい薄手のワンピースや、淡い色合いのフレアスカートなどの女性物。
そう、今回の目的は理亜の服の調達だ。
ここ数日で思ったのだが、理亜は初めて出会ったときに着ていたシャツとズボン以外は衣類と呼べる物を持っていないようで、そしてそれらも見るに堪えない状態のものばかりである。
流石にいつまでもそんな格好させているのはこちらの心が痛いし、どの道あの状態では長くは着られまい。
どうせなら着回せるように何着か見繕っておこうと、こうして買いに来た訳である。
――とは言っても、女性のファッションは全く分からないな……。
ふとした瞬間に口を継いで出そうになった溜め息を嚙み殺す。
本当は理亜に希望を聞いてその上で購入を検討したいところだが……。
ちらりと理亜の方に視線を向ければ、怪訝そうな彼女の視線と目が合う。
「何か、着てみたい服とかは?」
「……別に。どうして?」
「いや、君くらいの歳の女子なら服とか好きなんじゃないかと思っただけさ」
やはりというか、予想はしていたが、理亜らしい返答に頭を抱える。
どうやら服に興味は無いらしいという確証を得つつ、どうしたものかと思案していると別の方向から声が掛かった。
「何かお探しですか?」
女性特有の良く通る声。けれど理亜のものではない。
思わず振り返ると衣料品店の店員らしき女性が柔和な微笑みを携えて立っていた。
「ああ、いえ……」
言いかけてふと思う。店員で、尚且つ女性であればきっとファッションや流行りの服装には詳しいはずだ。
このまま悩んでいても解決策も見つかりそうにないし、ここは声を掛けてくれたこと店員さんのご厚意に甘えるとしよう。
「実はこの子の服を探しているのですが、あいにくと女性のファッションには詳しくなくて……」
「あら、兄妹でお買い物ですか? 素敵ですね」
「……まぁ、そんなところです。何かおすすめはありますか?」
「そう言うことでしたら明るめのトップスは合わせやすくてお勧めですよ。こちらなどいかがでしょう?」
店員の女性は快く願いを聞き入れ、スリーブにショートフリルを採用した白いブラウスなんかを勧めてくれる。
僕は一度理亜の方を見やって、「君はどう思う?」と聞いてみる。彼女が着る服なので感想を聞いておきたかったのだが、返答は無くただ小首を傾げるだけに終わった。
思わず出そうになった溜め息をなんとか堪え、僕は店員の女性の方へと向き直る。
「いいですね。下は何が似合います?」
「色々なものと組み合わせられますよ。ワイドパンツやスカートなんかも合います。丁度そこのマネキンが着ているものなどはいかがです?」
指差された先、マネキンが身に着けているダークブルーの薄手のロングスカートが目に入る。
確かに勧められたブラウスと合わせれば、落ち着いた雰囲気のコーディネートになりそうだ。
「じゃあ、このブラウスとあのスカートを頂きます。あと、あのマネキンが来ているシャツと同じものを買うことは出来ますか?」
「ええ、出来ますよ。すぐにご用意します。サイズはどうなさいますか?」
「あ――」
そう言われて固まってしまったのは、もちろん理亜の服のサイズを知らなかったからである。
外見から推測すれば大体の身長くらいは分かるかもしれないが、身長だけでは服のサイズは決められないだろうし、今理亜が来ている服のタグを確認する訳にもいかない。
どうしたものかと悩んでいると、またしても店員の女性が気を遣ってくれた。
「よろしければご試着されてみては?」
「そうですね。試着させてもらいます。」
「ではご用意しますね。せっかくなので合わせて着れそうな品物をいくつか見繕ってお持ちしますよ」
「……ありがとうございます」
楽しそうに色々と勧めてくれる女性店員。僕は少々困惑しながらも、そのご厚意に頭を下げるのだった。
ところで、理亜は試着にあまり乗り気では無いようだった。
彼女は店員に連れられてフィッティングルームに入るその直前まで渋い表情をしていて、首を縦に振ろうとはしなかった。
どうして理亜が頑なに試着をしようとしなかったのかは分からないが、きっと彼女にも考えがあってのことなのだろうということは理解できるので、少しは理由を聞いてやるべきだっただろうかと思ったりもする。
だがしかし、過ぎ去ってしまったことを悔やんでも仕方がない。それよりも問題視すべきは理亜が試着をしている間、先ほどの女性店員がずっとアシストをしてくれているということだろう。
恐らくあの女性店員は理亜が着替え終わるまで離れることはしないだろうし、そうなれば僕が感想を求められるのも必然である。
――感想なんて、想像しただけで気が滅入る。
店のメンズコーナーを闊歩しながらそんなことを考えて、頭を抱える。
ファッションにそこまで詳しいわけではない僕は、もちろん女子の服装を評した経験など一度もない。
素直な感想を言えばよいのだろうか。しかし、「可愛いね」などと小恥ずかしいことを言える勇気はないし、もし仮に言えたとしても気味悪がられて終わるだけに違いない。
――どうすればいいんだ……。
重い溜め息をこぼしたのとほぼ同じタイミングで、試着室の方か声が掛かる。
思わず身体が硬直する感覚、浅く息を吐いて、それから振り返る。
「お客様、お連れ様のご試着終わりましたよ。どうぞご覧になってください」
「分かりました……」
軽く息を吐いて覚悟を決め、試着室の一角へと向かう。既に試着室のカーテンは開いていて、すぐに理亜の姿を捉える事が出来た。
女性店員にお勧めされた白いブラウスとダークブルーのロングスカート。試着しただけあってサイズは丁度よく、どちらも理亜によく似合っている。
「トップスに合うカラーで、サイズを合わせてみました。いかがですか?」
「とてもいいですね。ありがとうございます」
ああ、と心の中で溜め息を吐く。結局、理亜にはろくな感想も言ってやれず、女性店員に賞賛と礼を言っただけ。もしこの場に文乃が居たら僕は間違いなく叩かれていたことだろう。
僕は自分の意気地の無さを呪う。
丁度理亜の濃紺の瞳と目が合って、何か言わねばという衝動に駆られるものの、一度タイミングを逃してしまったが最後、何一つ言葉が出てこなかった。
「ええと。その服装、暑くはない?」
「……平気」
「そうかい。それならいいんだ」
沈黙を埋める誤魔化しのような会話。店員の女性がくすりと笑って、それが少しだけ恥ずかしかった。
軽く後頭部を掻いて、それから女性店員の方へと向き直る。
「では、これをいただきます」
「ありがとうございます。準備いたしますね」
商品を抱えてレジの方へと移動する店員を見送って、僕は鞄から財布を取り出す。
背後から理亜の小さな呟きが聞こえたのはその直後だ。
「…………どうして?」
「どうして、とは?」
「……何でもない」
そのまま目を逸らしてしまう理亜。僕は訳が分からずにただ首を傾げた。
「まだ、どこか行くの……?」
衣料品店を出て、他の様々な店でも買い物を済ませた後、ショッピングモールの二階を歩いていると唐突に後ろを歩いていた理亜がそんなことを言ってきた。
いつも通りの無表情でこちらを見つめている彼女だが、少しばかり疲労が滲んでいるのが見て取れる。
今まで時間を貰っているからと好き勝手に連れまわしてきたが、無理をさせるのはこちらの望むところでもないし、そろそろ潮時かもしれない。
そろそろ帰ろうか、と言いかけて、けれど目に入ったある店に興味を惹かれて言葉を切る。
その店には本があった。
店頭に並べられている新刊の数々、そしてその周囲には“オススメの一冊”と称して店長や店員のお勧めの文庫本が並んでいる。
「最後にここだけ見ても構わないか?」
「……うん」
理亜の頷きを確認し、書店へと一歩を踏み入れれば途端に特有の香りと独特な空気が身を包む。
自然と落ち着く空気に若干目を細めつつ新刊が並んでいる平積みの棚なんかに目を通していく。
最近はネット通販や電子書籍の利用が増えてきている僕だが、実は書店で意味もなく本を眺めるこの時間が好きだったりするのだ。
店によって違う本の配置と種類は見ごたえがあるし、たまたま目に入ったものが想像以上のものであることだって珍しくない。
少しでも気になったものを手に取って重量とか、表紙の質感とか、そういう書店でしか分からないことを確かめるのだ。
――久々に来たけど、いいな。
そんなことを思いつつ、陳列された本を眺めていた僕だったが、ふと理亜が本棚の一角をじっと見つめていることに気づく。
その視線の先には一冊の本。彼女は本棚を眺めていると言うよりも、その本を見つめているようだった。
「その本が気になる?」
「……別に」
慌てた様子で目を逸らす理亜。
構わず先程まで彼女が見つめていた本を手に取れば、それは偶然僕が読んだことのあるものだった。
「“人形”か。いい作品だ」
「知ってるの?」
「前に一度借りて読んだことがある。君こそどうしてこの本を?」
「……別に。少し、表紙が気になっただけ」
「なるほど」
軽く頷きを返して、理亜が気になったという表紙を見やる。
直感とでも言うのだろうか。どうやら題名や内容を知っていたということではないらしい。
ただ、たとえ既知でなかったとしても、今まで何にも興味を示さなかった理亜が興味を示すとは珍しい。
ましてやここは書店であり、多種多様な文庫本が揃っている。その中で理亜の気を引くほどの一冊となればこちらも興味が沸いてくるというものだ。
「いいね。僕もこの本に興味が沸いた。一冊買おうか」
「私は、見てただけで……」
「君が目を惹かれたってことは、この本にそうさせるだけの何かがあったってことだろ? 本の選び方なんて人それぞれだ。表紙、題名、文脈、作家名、いろんな方法がある。あとがきを読んで決めるという人もいるし、今回みたいに直感で決めるのだって悪くない」
「……」
「まぁ、利害の一致ってやつさ。お互いに得がある。僕が読みたくなったら、その時は借りるから代金のこととかは考えなくていい」
速足で会計へと向かう。理亜に反論する隙を与えなかったのはもちろんわざとだ。
僕自身がその本に興味を持ったということも購入の理由ではあるが、それよりも理亜が初めて表面的に示した興味というものを無駄にはしたくないという思いの方が強かった。
これは理亜という少女を知る絶好の機会であり、そしてこのような機会が次にいつ訪れるかは分からない。間違いなく本の代金よりもよほど価値のあるものだ。
しかし、理亜からしてみれば納得できることではなかったのだろう。
レジへと向かう途中、彼女は何か言いたげにこちらをじっと見つめていたが、僕はあえて見えていないふりをした。
本屋での買い物を済ませ、ようやく帰路についた頃には時刻は十七時を過ぎていて、日照時間の長い夏の太陽も傾きつつあった。
僕たちはショッピングモールに幾つもある出入り口のうち最も駅に近い一つから外へ出て、広大な駐車場の傍らに設けられた歩道を通って駅へと向かう。
結局のところ、今回僕自身の買い物は何もしなかった。
もともと自分の買い物をする予定はなかったし、当初の目的であった理亜のための買い物は十分に成果を得られたので、個人的には満足と言っていいだろう。
しかし、理亜の方はどうやらそうではないらしく、先ほどからあまりいいとは言えない空気を醸し出している。
密かに半歩後ろを歩く理亜の方へと目を向ければ、書店の袋を抱えた彼女がいまひとつ浮かない表情をしているのが見て取れた。
「子供の頃……」
そんな風に話を切り出したのはちょっとした気まぐれだ。別に気を使ったとかそういうのでは無い。
「ここへは父親や文姉によく連れてこられたんだ」
「……」
「そのころの僕は今日の君のように買い物に付き合わされる側で、それはとても退屈だった」
近所の公園で遊んでいる方がずっと好きだったよ、と自嘲交じりに付け足す。
「君はどうだろうね? やっぱり今日は退屈だったか?」
「……分からない」
「正直に言ってくれた方が助かるが?」
「……」
「感想が何もないっていうのも悲しいな。 何か感じたことくらいはあるだろ?」
沈黙が落ちる。
理亜は少しだけ目を逸らしたが、その表情は変わらない。無視を決め込んでいるのか、それとも返答を考えているのか、見当もつかない無表情に思わず苦笑する。
やはり表情から理亜の内心を読み取るのはとても難しい。
何時だって彼女が浮かべている表情は“無”そのもので、笑っているところも、泣いているところも見たことが無い。
一体何が彼女にそうさせているのかは分からないし、無理に愛想を良くしろと言うつもりもないのだが、こちらに伝わるものが何も無いというのは寂しいものだ。
「……どうして?」
耳に届いた小さな呟きは、先ほど服を選んだ時に投げかけられたものと同じもの。
消え入りそうなほどに小さなその声は微かに震えていて、嘆きのようにも聞こえる。
「どうして、こんなことするの?」
「……大した理由なんてないさ。暇を持て余していたからね。気まぐれってやつかな」
「私、何も頼んでない。服も、本だって要らなかった。ただ、放っておいてくれさえすれば、それでよかったのに……」
「君が時間をくれると言ったんだ。それに服も本も無いよりはあった方がいいだろう」
でも――、と言いかけて口を噤む理亜。反論しようとしたが、上手く言葉をまとめられなかったといったところだろうか。
困ったように視線を彷徨わせた彼女は、最後には視線を下方へと逸らしてしまう。
「……こんなの、おかしいよ」
「なぜ?」
「だって……」
一瞬の沈黙。理亜が携えている無表情に少しだけ躊躇いが滲んだような気がした。
「私たちは、家族じゃない」
影のある刺々しい言い方だった。
落ち着いていながらもこちらを近づけさせない力強さを持っており、僕は思わず固まってしまう。
もしかするとこちらを突き放すために、わざとそういう言い方を選んだのかもしれない。
「こんなことをしても、貴方には何の得もない。こんなことをする義理は、無いはず」
くしゃり、と理亜が持つ文庫本の入ったビニール袋が握り潰されて独特な音を立てるのが分かる。
「分からない。分からないよ……。どうして貴方は、損をしていても怒らないの? どうして、何も言わないの? 今までの人達はみんなそうじゃなかった……。私は、何もしない貴方が怖い……」
ああそうか、と理亜の僅かに揺れる濃紺の瞳を見て思う。
きっと彼女だって最初からこうではなかっただろうし、自分でなりたくてこうなったわけでもないのだろう。
ただ周りに、そして環境に踏み躙られて、なるべくしてなってしまったのだ。
施しを受けたがらない性格なのも、警戒心が強いのも、自身の身を守りながら生きていくためにはそうせざるを得なかったからに違いない。
「別に、見返りが欲しくて、こういうことをしたわけじゃない」
僅かに続いた沈黙を破って、ゆっくりと言葉を繋ぐ。
「僕はただ、同じ家に住む人として君と色々話しができたらと思ったんだ。もとから君に何かを要求するつもりは無かったし、そもそも損をしたなんて思ってないよ」
「……」
「だからさ。見返りとか、代償とかじゃなくて、今は普通に”ありがとう”でいいんじゃないか?」
ほんの一瞬、理亜が澄んだ濃紺の双眸を僅かに揺らす。
それから何かを言い出すべく口を開いて、けれど、何も言うことなくそれを閉じてしまった。
申し訳なさそうに瞳を伏せる彼女。途端に心の奥に針が刺さったような痛みを覚える。
別に、無理矢理礼を言わせようとは思わないし、言えなかった事を咎めるつもりもない。
けれど……。
――たった一つの感謝の言葉でさえ、理亜の生きてきた環境では言わせてもらえなかったのか。
ふと、そんなことを思って、微かな苛立ちを感じていることに気づく。
今まで理亜の面倒を見てきた者たちは一体何をしていたのだろう。
父に引き取られるまで理亜は他の家で預かられていたようだし、これまで彼女の面倒を見てきた者の中には僕なんかより人生経験豊富な人がたくさんいたはずだ。
彼らの経験を以てすれば理亜に感謝の伝え方を教えることも、その言葉を引き出すことも容易に出来たことだろう。
それなのに理亜が“見返り”や“代償”といった形でしか感謝を表せないのは、彼らがそうするように彼女に強いたことで、それを“当たり前”にしてしまったからではないのだろうか。
――こんなの、あんまりだ。
思わず出そうになった舌打ちを、なんとか堪える。
別に、理亜が悪い訳では無い。やり場のない怒りを彼女にぶつけたところで、怖がらせてしまうだけだろうし、そうしてしまっては僕も今まで彼女を預かってきた者たちと変わらない。
「……帰ろうか」
結局、黙ってしまった理亜にかける言葉は見つからず、僕はそのまま会話を終わらせる他なかった。
【あとがきっぽい何か】
ご覧いただきありがとうございます。
作中に登場した本、“人形”はフィクションですが、参考となった作品があります。
表紙には男性とみすぼらしい姿をした少女のイラストが描かれており、理亜はその少女のイラストが気になって、本を見つめていたようです。
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