灰被りな君に、ありふれた優しさを

雨後 なないろ

序章


「初めまして、僕は黒戸部くろとべ 路惟ろい。よろしく」


 目の前の少女に向けた初めての挨拶に返事は無かった。


 しん、と周囲の空気が一瞬で静まったのを感じて、僕は思わずこぼれそうになった溜め息を無理やり喉の奥へと押し込む。

 無視をされたのだということはすぐに理解できた。


「よろしく」


 もう一度言う。声量もほんの少しだけ大きくした。

 すると少女が少しばかり表情を曇らせて、ようやくこちらを見る。


 ほんの少しだけつり目な、硝子細工のように繊細で美しい濃紺の瞳。けれどそれはどこか虚ろで、そして昏い。


 向けられた視線は警戒するようにこちらの頭から足先へと流れ、そして再び逸れる。

 返事はないままだが、どうやらこちらの声は聞こえているらしい。


「……君、名前は?」


 続けて聞く。けれどすぐに迂闊だったと後悔した。

 案の定、少女は問いかけに答えてくれることはなくて、訪れた沈黙が二人の間の空気をさらに重くする。


――こんなはずじゃなかったんだけどな。


 微かに口から溜め息が漏れる。

 それがよくないことだとは分かっていたが、この状況では仕方あるまい。


 今すぐこの場から逃げ出したい気持ちを必死に抑え、明後日の方向に目を逸らす。

 もはや、かける言葉も思いつかなかった。


 そしてそれが相手に伝わったのか、あるいは単なる気まぐれか。しばらくした後で沈黙を破ったのは少女の方だった。


「……理亜りあ


 それはとても小さな、けれど同年代の女子らしいよく澄んだ美しい声だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る