六英雄を狩るのは一人の反英雄

十五夜しらす

始まりの日

 地平の向こうに沈む太陽を初めて見たかもしれない。

 真上にある時と比べるとその大きさは圧倒的であり、何よりも美しかった。

 所狭しと散らばる瓦礫の上に佇む男の子はそう思う。

 都市を守っていた城壁は消え去り、権力の象徴である城は崩れ落ちている。住んでいた家や、週に一度家族で通っていた商店街も瓦礫と化した。

 ――そう、家族だ。

 男の子は瓦礫の下敷きになっている腕を見つけた。

 薬指にはめられた指輪は母の物だ。つまりこれは母の腕。

 助けたいという気持ちは当然芽生えたが、敏い男の子はその感情から目を背けた。ピクリとも動かない腕を残し、数時間前まで栄えていた街中を歩き始める。

 だが、どこへ行こうとも光景は然程変わらない。歩けるような道には死体のひとつも落ちておらず、男の子の足音だけがそこにはあった。

 当てもなく歩くのも疲れた。男の子は腰掛けるのに丁度いい大きさの瓦礫に座る。この下に誰かが埋まっているかもしれないが、そんなことすら気にならないほど精神が疲れ果てていた。

 何故自分はこのような場所にいるのか。何故生まれ育った都市が変わり果ててしまったのか。薄ぼているがその答えを男の子は持っていた。

 白い光。

 それが男の子にとっての世界であった都市を包み込んだ次の瞬間――、この有り様である。正確に言えば、男の子が意識を取り戻した時には、だが。

 茜色に染まった空を見上げる。気の早い星がいくつか輝いていた。

 このまま眠ってしまいそうだ。自分が何をすれば良いのかわからないこの状況から逃げるためにも。

 瓦礫に背中を預けて仰向けになる。そのまま目を閉じようとしたが――、


「おい、童。生きているのか?」


 不意に声がした。年老いた老人のものだとすぐにわかる。男の子は体を起こしてそちらに目を向けた。


「何ともまあ。〝英雄〟の一撃から生き延び、そのうえ掃討に来た兵士に見つからんかったとは。なかなかの運を持っているらしい」


 真っ先に目を引く白い髭を蓄えた老人は感心したように唸る。

 見覚えのない老人に男の子は首を傾げた。この惨状に警戒心もどこかへ消えてしまっている。


「おじいさんは、誰?」

「すまんが名は捨てた。だが、お主からは〝師匠〟と呼んでもらおうか」


 老人の言葉に男の子は頭を悩ませる。師匠といえば、何かを教えてもらう先生のことだ。そう理解しているが、この老人から何かを教わった覚えはない。


「行く当てもないだろう。それに城へ入って行った兵士どもが戻って来る頃だ。儂について来い」

「でも、知らない人について行ったらいけないってお母さんが」

「その母はもう死んだのだろう? バレやせんよ」


 確かに怒るはずの母は瓦礫の下だ。もう怒られることはないのだから、老人の言うことも間違いではない。


「どこへ行くの?」

「そうさな……、お主、年はいくつだ?」

「五歳」

「そうか。なら五年ほど共に旅をしてやろう。お主が強くなるための旅だ」


 どうして自分が強くならないといけないのか。それに旅というのはとても大変だと聞いたことがある。


「この都市を墓場に変えた奴に復讐したいとは思わんか?」


 復讐……。幼い男の子には理解できず首を縦にも横にも振れなかった。


「ふむ、まあ良い。儂の確かな目利きに寄ればお主には才能がある。平凡な見た目に似合わぬ可能性を秘めた瞳を持っておるからの。儂も年だからな。よい後継者を探していたところだ」

「こうけいしゃ……?」

「なんだ、まずは学をつけてやらんといけんのか。面倒だがそれも良いだろう。何せ儂が見込んだ男なのだからな」


 老人はゆったりとした足取りで男の子の隣に腰掛けた。そして、最初の授業だと言わんばかりに語る。


「〝テオスヘキサ〟の名を聞いたことはあるか? 六英雄とも呼ばれているか」


 ここまで訳のわからない言葉ばかりであったが、ようやく男の子が知っている名前が出てきた。

 テオスヘキサ――、神の力を得た六人の英雄。

 世界で最も特別な存在であり、時には恐れなければいけない存在であると。男の子は畏怖の対象である英雄よりも、悪の王国を倒す英雄の話を大人たちから聞くのが好きだった。

 首を縦に振った男の子に老人は言葉を続ける。


「ここに広がる惨状はそのテオスヘキサの一人が作り出したものだ。一撃でお主の日常を奪い去った」

「……すごいね」


 素直な感想を男の子は漏らした。老人はくつくつと笑う。


「ここまで話して出てきた言葉がそれか。まあ、現実として捉えるのはまだ難しいだろう。しかしな、犯人が誰であれ憎い……、嫌いという感情は生まれんか? お主の日常を奪われたのだぞ」

「嫌い……、憎いかもしれない……」

「そうだ、その感情を忘れるな。その感情がやがて復讐心となり己を強くする。お主は復讐のために強くなるのだ」

「うん……、強くなって、復讐したい……」


 幼い子供心の感情を引き出した老人は男の子の頭に手を置いた。


「この世界にテオスヘキサは必要ない。このまま放っておけば滅びしか迎えん。仕組まれた運命を逆手に取ってお主は戦うのだ。その時は間違いなくやってくる」


 未来を見透かしたかのような物言いに男の子はまたも首を傾げる。老人はそれに対し朗らかに笑う。


「今はわからなくても良いさ。儂が限られた期間だが育ててやるのだからな。さあ、そうと決まれば行くぞ。こんな所とはおさらばだ」


 生まれ育った街を〝こんな所〟と言われ、男の子は寂しい思いをしたが老人の言う通りである。もう〝こんな所〟には何もないのだ。


「そういえば名を聞いていなかったな。自分に名がないと無頓着になってしまう」

「ミデン・フリソス」

「そうか。では行くぞ、ミデン」

「うん――、師匠」


 そうして、老人である師匠と男の子ミデンの旅が始まる。

 ミデンは師匠から広い世界で生きる術を教わった。

 一対一の戦いから多人数との戦い方も学び、その剣術はわずか三年でそこらの大人を打ち負かすほどになる。その後の二年で一流の剣士の資格を得るほどに成長した。

 同時にテオスヘキサへの復讐心も育ち、生きる目標となる。師匠はその英雄たちについて詳しかった。しかし、どこの誰がミデンに取っての仇であるかは教えてもらえなかった。

 ――この世界にテオスヘキサは必要ない。

 定めた五年が過ぎ、姿をくらませた師匠の口癖がミデンの心に刻み込まれていた。

 そこからさらに五年。

 十五歳になったミデンは王国騎士団などの正規の軍に属さず、あらゆる仕事を引き受ける傭兵として名を馳せていた。もちろん、来るべくテオスヘキサとの戦いに刃を研ぎながら。

 そして、運命の日――、と呼ぶには不適当ではあるが、その日世界は大きく動き始める。

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