【05】

 官能小説家はよく泣いている。よくもまあ、そこまで泣けるもんだなと僕が呆れるぐらい泣き続けている。泣いている自分が嫌で泣いているのだから、どうしようもない。僕に出来るのはせいぜい、叔父に薬を渡したり同じ部屋にいることだけだ。

 なんにも知らない新妻に目隠しさせて和室で和服でSM、のあたりでフラッシュバックを起こした叔父は一通り書き続けながら泣いて、書き終わってから本格的に泣き始めて、今に至る。つらい記憶を思い出すようなこと、避ければいいのにと僕は思うけれど、犯人が犯行現場に戻るように、夜詩くんは嫌な記憶をわざと辿りにいくときがある。そこに置き去りにしてきた感情を自分を取り戻すには、あと何回、この人は泣いたり苦しんだりすればいいのだろう。

「ハツ」

 ようやく落ち着いてきた叔父は僕に手を伸ばす。僕は抱きしめられる。だから抱きしめ返す。叔父の手は大きくてあたたかい。

「うん」

 夜詩くんは鼻をかんで顔を洗ってきてまた僕に触れる。今度は後ろから抱きしめられる。

 これは、ちょっと、なかなかないことだ。

 ゾクッとする。

 気持ち悪さを気持ち良さに変換しようと試みて、僕は叔父に背中を預ける。信頼しています、の証。高校の帰りからそのまま叔父のマンションに直行した僕は学生服のままで、半袖の白いワイシャツと薄手の下着と、それだけが、僕のか弱い鎧だ。

 叔父の手が僕のうなじに触れ、そして離れた。無言でまた、書斎へと戻っていく。書き続けるのだろう、椅子に座り、またパソコンに向かう夜詩くんを眺めたあと、僕もリビングのソファに座りスマホをいじる。

 僕は彼が受けた仕打ちを思う。詳しくは知らない。詳細なんて、知らないほうがいいし、知りたくもない。言葉にはできないこと。到底、この世にはあってはならなかったこと。避けられなかったセカンドレイプ。犯人を法的に裁くために、カウンセリングのために、夜詩くんはいろんな大人に自身の体験を話さねばならなかった。貴重な少年時代を奪われ、蹂躙され、死体遺棄に荷担したこと。そうせざるを得なかったこと。むしろ穏やかな気持ちで、山奥に穴を掘ったこと。

 人の一生の禍福を計算すると、同量であるという説を思い出す。もしそれが真実ならば、夜詩くんは今既に、もっと幸福であるべきだ。じゃないと、辻褄が合わない。まさか夜詩くんが、百歳を超えるまで生きて最高年齢のギネスを塗り替えるような人物になるわけではなし、もうとっくに不幸の見返りはあってしかるべきだ。かといって、じゃあ夜詩くんの身に起こった不幸に見合う幸福とはなんだろう。前代未聞、世界一の億万長者。全世界の人に尊敬され、愛されること。いや、そんな大規模な地位や名誉では、到底釣り合わない。いっそ、僕がたまに送る、おはようやおやすみのメッセージだけで、少しずつ彼が救われていったらいいと願う。だって夜詩くんにとって僕の存在は、ときどき世界よりも大きいのだから。


 叔父の唯一の友人は僕だ。

 

 僕はそのことを誇りに思っていた。


 夜詩くんが二度と泣かなくて済んだのと引き換えに、二度と笑えなくもなった日から数年。僕は副業で作家になった。まさか自分がそんなことになるとは思っていなくて、けれど、人生なんて予期しないことがたびたび起こるものだから、こうなったのも自然なことと言えよう。僕は夜詩くんとは違い、女性の滅多に出てこない小説ばかりを書いている。濡れ場をもっと増やしてくださいと指摘されたり、以前使った描写に似通っているので大幅に修正してくださいと言われたりもする。書くって大変だ。それなのに書かずにはいられない。どうしてだろう。

 僕にとって、書くことと生きることが同義だからかもしれない。息をするように、ものを食べるように、排泄をするように、画面に向かい文章をこさえるのは、やって当たり前の行為となっている。税理士の仕事で頭が忙しい平日の日中はともかく、その通勤中だったり休日に僕はひたすらものを書きためる。出版されないものまで書いている。編集者に提出するプロットも、だいたいボツになる。変なものばかり書いているせいだ。変なものばかり書きたいせいだ。だからこうして、アマチュア作家みたくインターネットに無料公開している。ろくに構成も考えず、好き勝手に吐き出すのは気楽だ。接続しない物語。ちぐはぐの展開。僕の思考はあちこち飛んで、同じところをぐるぐる回る。夜詩くんはよく泣いていた。僕の大好きな人だった。もう二度と会えない。悲しくはあるが、それだけでもない。この前も書いたけど、やはりあの人はどうあがいても生きづらかったのだ。それでも生きていてほしかったのは僕の勝手な都合で、夜詩くんがとうに死んでしまった以上、これからも生き続ける僕は彼が死んでよかったのだと思う他ない。もう夜詩くんは泣かなくて済むのだ。過去に縛られず、苦しまなくて済むのだ。そう考えるしかない。

 僕はBLを書くがBLを読むことは滅多にない。夜詩くんが他の官能小説を読まなかったように。覚えなきゃいけない用語や濡れ場の書き方や、広く読者に好まれる展開を学ぶために数冊、目を通すだけで、あとは普通の本を読んでいる。推理小説や純文学を読んでいる。

 先日、古城某とかいう作家の本を読んで、とある一文に深く傷ついたことがある。悪い意味ではない。心の手術をするみたく、僕のもともとあった傷口をとことんえぐり、膿を出した。傷口を塞ぐのは今後の僕自身だが、最後にそれを引用して、今回は終わりにしよう。





 終わってしまったからといって、一度得た幸せに有効期限はなく、いつまでもあたたかな光を灯し続けている。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る