そして僕は妹になった

中今透

一 そして僕は妹になった

第1話 死者の演技

 死者の演技は、ケガレだ。

 女子中学生の遠野和葉は、日本贔屓のフィンランド人の叔父――トゥイスク・レフトから聞いた話を思い出していた。曰く、日本には『死に不浄』や『黒不浄』という、死をケガレ、不浄なものとする考え方があると。


 例えば、死のケガレは魔につけ入られやすいとして、亡くなった人の遺体を清める湯灌の前には湯灌酒という冷酒を飲んだり、墓穴掘りの前には酒や豆腐などを飲食して身を清めるといった、ケガレを払う習俗があったという。

 例えば、葬式は神ごとと対立するとして、人が亡くなると神棚に白紙を貼ったり、祭りで重要な役割をする家は過去三年間服喪がない家を選んだりと、神ごとから死に係わることを遠ざけようとしたという。

 例えば、古事記では、あめのわか日子ひこもがりの際、喪を弔おうとした友人の阿遅あぢ高日子たかひこねのかみが、父母に天若日子と間違えられて、「なにゆえ私を穢き死人と比べるのだ」と激怒する場面がある。


 死がケガレなら、死者を演ずる人はどうなのだろう。

 死に直接触れていないのだから、問題ないのだろうか。確かに、大河ドラマなどの時代劇で、俳優は死者を演じているが、それに嫌悪感を覚える人はいないと思う。

 しかし、その死者の死の責任が、演じている本人にあるとしら?

 しかし、その死者が実の兄妹だったら?

 しかし、その死者を四六時中演じ続けているとしたら?

 つまり、自分のせいで死んだ兄妹を四六時中演じ続けている、としたら……?


(――――おぞましい)


 死ではなく、演ずる行為がケガレていると感じる。

 和葉は黒い靄のような感情に重みを感じながら、伏し目がちに兄――和希を見た。

 制服を着て朝食をテーブルに運んでいる和希。その姿は妹である和葉の目から見ても、かわいい部類に入る女子高生であった。


 フィンランド人である母親譲りの金髪は背中まで伸び、瞳は青みがかった灰色、肌は日本人のきめ細かさとフィンランド人の白皙が交じり合い、顔立ちははっきりとし、ほんのりと愛嬌が乗っている。

 服は高校の女子生徒用のブレザーを着込み、胸元はパッドでほどよく膨らみ、その上を赤いリボンが小綺麗に飾り、膝丈のスカートの下からは生足が見え隠れしている。


(本当に、一姫かずきお姉ちゃんによく似ている……)

 二卵性で性別も異なるが、和希は、和希の双子の妹である一姫によく似ていた。

(一姫お姉ちゃんが、生きていて成長していたら、こんな姿だったのかもしれない……)


 しかし、和希の女装がいくら似合っていても、一姫にいくら容姿を近づけても、和希は一姫にはなれない。容姿だけではなく、喋り方や立ち振る舞いをいくら近づけても、それは同じこと。

 そう、和希は、自分のせいで死んだ双子の妹――一姫を四六時中演じ続けていた。


(穢らわしい――)

 和希の死者の演技も、そして、そう思ってしまう自分自身も。

「いただきます」

 エプロンを外して椅子に座った和希は、一言そう言ってから、朝食に手をつけ始めた。

「うーん。味薄いかな? どう思う? 和葉」

 和希はカブの浅漬けを食べてから、小首を傾げてそう聞いてきた。


(人の気も知らないで、本当に暢気な人……)

 そう思いながらも、和葉は律儀にカブとキュウリとニンジンの浅漬けが入った陶器から、キュウリを箸で摘まんで口に入れた。しみて柔らかくなったキュウリを噛むと汁が溢れて、酢のすっぱさと香りづけ程度の唐辛子の辛さが舌に乗った。


「塩、入れてないでしょ」

「あ……」

「ほんと、和希って変なところで抜けてるよね」

「ご、ごめん……」と顔を落としたと思うと、直ぐに笑顔になった。「でも、トゥイクが、塩分の取りすぎを医者に注意されたって言ってたから、丁度いいかもしれないね」


 和葉はニコニコとよく笑う三十路半ばの叔父、トゥイク――本名はトゥイスクだけど、みんな愛称のトゥイクと呼んでいる――の顔を思い出した。

 和希は勝手に納得して機嫌を良くすると、目玉焼きの黄身をご飯に乗せて、箸でとろりと割ってから醤油をひと垂らしして食べ始めた。何でもおいしそうに食べる人だった。


 和希という人間の特徴を、妹である和葉が主観を気にせず上げると四つになる。

 一つ、表情の基本形が笑顔。

 一つ、とにかくポジティブシンキング。

 一つ、天然でたまにイラッとする。

 一つ、かまってちゃんのため超絶ウザい。

 果たしてこれらは、亡くなった九歳の一姫が、あの頃から成長すれば自然と獲得した性格なのか、それとも、和希の元々の性格なのか。


(和希としては前者のつもりなんだろうけど、少なくとも、一姫お姉ちゃんはかまってちゃんじゃなかった……と思う)


 和葉も一姫のこととなると、少しぼんやりする。何分、一姫のことが大好きだったという記憶はあるものの、亡くなった当時で和葉は六歳。一姫の性格を印象として語ることはできても、実際の出来事や細かい性格や言動まで語るのは難しい。


(今の和希は、一姫お姉ちゃんにどのくらい近いんだろう。せいぜい、容姿が似ているくらいのもので、なんというか、今の和希は、誰でもない別人って感じがする)


 一姫を演じているだけで、和希は一姫ではない。

 一姫を演じているから、和希は和希お兄ちゃんではない。


(和希は一姫お姉ちゃんになるのに夢中で、和希お兄ちゃんじゃなくなっちゃった。じゃあ、目の前にいるこの人は、一体誰なんだろう……?)


 和希お兄ちゃんでもなく、一姫お姉ちゃんでもない。

 誰でもない他人のように感じられて、恐くなる。


「……気持ち悪い」


 と和葉は思わず呟いてしまった。


「え……? 大丈夫? 和葉」

 体調が悪いと勘違いしたのか、和希が気遣って声をかけてきた。

「調子悪いなら、今日は学校休んだら……」

 和葉は気を遣われることに耐えきれず、まだ半分しか食べていない朝食の皿を対面式キッチンのシンクに下げ始めた。

「別に。大丈夫だから」


 和葉は短く答えるとリビングを出て、歯を磨こうと風呂場脇の洗面台へと向かった。

 鏡には、亡くなった日本人の父親の血を色濃く受け継いだ黒髪の和葉の姿が映っていた。

髪は後頭部の一カ所を短く結んでいる。小さい頃は、よく一姫に結んでもらった。今の和希も結びたがってよく櫛を片手に迫ってくるが、一度だって結ばせたことはない。


「一姫お姉ちゃん……」


 和希が自らを慰撫するために亡くなった一姫を演じ続けて、もう六年になる。

 亡くなった一姫を不純な理由で演じる不謹慎な行為を、ケガレていると感じてしまう。

 そして、死者を演じることで、和希自身も死に近づいているように感じられて、怖い。


「和希お兄ちゃんは、もう死んじゃったのかな……」


 今でも、和希に、和希お兄ちゃんだった頃の面影を見ることはあるが、和希はもう和希お兄ちゃんではない。死者を演じることを決めた時点で、和希お兄ちゃんは死んだのかもしれない。そしていずれは、和希も、一姫のように……。


 六年前、あの事故で消えてしまった二人のかずき。

 和希お兄ちゃんと一姫お姉ちゃん。

 二卵性双生児の双子の兄妹。

 一人は肉体的に死に、もう一人は――――。

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