ショート・ホープに火をつけて

惣山沙樹

01 初めての宅飲み

 前から綺麗な女の子だと思っていた。

 ショートの黒髪に、くりっとした二重の目、細い顎。身長は百五十センチそこそこ。いつも黒っぽい服装で、スカートを履いているところは見たことが無い。ピアスがいくつもあいていて、ハイライトというタバコを吸っている。それが彼女だった。

 俺は大学二年生の冬、学内の喫煙所で、思い切って彼女に話しかけてみた。


「ねえ、ここでよく会うよね。学部は?」


 彼女はタバコの煙を吐き終えた後、ぼそっと言った。


「文」

「そっか。文学部か。俺は商学部」

「ふーん」


 まるで興味なさげな返答に、俺はしまったなぁと思っていたのだが、それからは意外と話に乗ってくれた。彼女は言った。


「そのタバコ、カッコいいよね」

「うん。これに似合うオッサンになりたくて吸ってる」

「きっとなれるよ。君さ、名前は?」


 彼女の方から聞いてくれるとは。俺はにやけながら言った。


荒牧純あらまきじゅん。ジュンは純粋の純」

「ふぅん、純粋そうには見えないけど」

「よく言われる」

「あたしは荻野楓おぎのかえで


 カエデ、という名前の響きは、クールな彼女によく似合うと思った。この機を逃してはなるまい、と俺は思い切って切り出した。


「連絡先、交換しない?」

「いいけど」


 彼女のラインのアイコンは、初期設定のままだった。俺は飼っていた黒猫だ。


「この猫、可愛いね」

「名前はクロ。そのまんま」

「へえ。あたし、猫好きなんだ。実家も今の家もマンションだから飼えないけどね」


 いい調子だぞ。俺は続けた。


「それでさ、荻野さん」

「楓でいいよ」

「じゃあ、楓。今度飲みに行かない?」


 どうだ? 俺はなるべく楓の顔を見ないようにしながら返答を待った。


「いいけど。何なら今夜でも」

「マジで? じゃあ、どっか行こうか」


 そして、俺たちはタバコの吸える居酒屋に行った。俺も楓も、注文はビールだった。乾杯した後、俺は言った。


「誘った手前、今回は奢るよ」

「マジで? あたしけっこう飲むよ?」

「うん、俺も」


 喫煙者同士、気兼ねがなくていい。俺たちは酒とタバコを堪能した。つまみは枝豆と、牛タンくらいで事足りた。楓はかなり早いペースでビールジョッキを傾けた。俺も負けじと応戦した。

 話すのは、俺がほとんどだった。一人っ子であること。親と住んでいて、この大学には電車で通っているということ。猫のクロはもう居ないということを話した。


「そっかぁ。あたし、猫飼えないから、触りたかったのにな」

「ははっ、残念」


 お互いビールばかり三杯飲みきり、しばし無言でタバコを吸った。楓は顔色一つ変わっていなかった。いいぞ。こういう女の子は。思った通り、タイプの子だった。

 お代を支払い、居酒屋を出た。冬の風が激しく吹いていた。楓は俺の手を握ってきた。


「今度はあたしが奢る。あたし一人暮らししてんの。うち来てよ」


 願ってもない言葉だった。俺たちはコンビニでさらに酒を買い、楓のワンルームで一缶開け、セックスをした。

――こんなにも上手くいくとは思わなかったな。

 ベッドの上で、短い楓の髪を弄びながら、俺は美しい横顔を眺めていた。俺は特段、モテる方では無い。染めても似合わないだろうから、黒髪のまま。一重で目付きは悪く、身長も百七十センチあるかないかだし、振られることの方が多かった。

 そんな俺が、こんなに綺麗な女の子と一晩過ごせるなんて。一生の運を使い果たしてしまったかもしれない。時刻はまだ夜の二十三時だ。今ならまだ電車はあるが、楓もうとうとしかけているし、このまま泊めてもらうことは可能だろう。俺も眠ろうか。そう思ったときだった。

 チャイムが鳴った。

 びくりと楓は身体を震わせ、のっそりと身体を起こした。俺は言った。


「こんな時間に?」

「とりあえず、出てみるよ」


 楓はインターホンに出た。音量が大きかったので、会話の内容は俺にも聞こえてきた。


「僕です。スマホを忘れました」

「マジで? どこに置いたの?」

「わからないんです。とりあえず入れてくれますか?」


 男の声だ。さすがに楓も断ってくれるだろうと思いきや、なんと彼女はこう言った。


「いいよ。ちょっと待ってて」

「お、おい楓!?」

「純、あんたも服着て」


 俺は慌てて床に散らばっていた服をかき集め始めた。楓はジャージにパーカー姿になったところで、扉を開けた。


「入っていいよ。他の男居るけど」

「構いませんよ」


 現れた男は、とても長身だった。少し長めの茶髪にメガネをかけていた。顔立ちは整っていて、男の俺から見ても美しい。俺はベッドの上で、多分間抜けな表情をしていたんだと思う。


「どうもこんばんは」


 その男は俺を見て言った。


「ど、どうも」


 俺はガシガシと頭をかいた。何だこの状況。スマホがどこにあるかわからないので、楓が男の番号に電話をかけた。ベッドの下にあった。


「済みませんね、楓。こんな時間に。何回か来たんですけど、留守だったもので」

「ああ、こいつと外で飲んでたからね」


 はい、こいつです。俺はペコリと頭を下げた。楓は言った。


「それより千晴ちはる。終電あるの?」

「ありますけど、面倒なんで泊めてもらおうかと思ってきました」

「じゃあ、まあ、三人で飲むか。酒ならあるし」


 そっか、彼はチハルというのか。知的でぴったりな名前だ。ってそうじゃない。こいつは楓の何なんだ? いや、俺だって楓の何なのかと聞かれたら、困る間柄だが。千晴はコートを脱ぎ、慣れた様子でハンガーにかけた後、床に座って言った。


「じゃあ、そうしますか。僕は安堂千晴あんどうちはるです。初めまして」

「えっと、荒牧純です」


 謎の宅飲みが始まってしまった。千晴は遠慮なくローテーブルの上の缶ビールに手を伸ばし、楓も缶チューハイを開けた。正直、酒など飲む気は起こらなかったのだが、この流れだ。俺も缶ビールを手に取った。楓が呑気な声で言った。


「かんぱーい」


 何が何だかよくわからないまま、俺たち三人は缶をぶつけた。

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