とある姫君の発声訓練

八十科ホズミ

第1話:マリーとエリイ

 とある国で、革命が起こった。

 それは無慈悲に、冷酷に、民衆は憎悪を王族に向けて、貴族達の虐殺も厭わなかった。

 国王一家は古びた塔へ幽閉され、国王と王妃は処刑、長男である王太子は再教育という名の下で虐待を受け、一人寂しく死んでいった。


 革命から二年が経ち、共和制に移行したその国は、革命を起こした独裁者を処刑し、王政復古が叫ばれている。

 時の首相は、塔の中にただ一人生き残った姫が未だ幽閉されていることに目を付けた。

 王政復古のシンボルとして崇められているその姫がどうなったのか、もはや誰も知らなかった。

 王と王妃が処刑されても、十六の姫にはなんの罪はない。

 このまま幽閉しておくのをよしとしない国の委員会は、姫のお世話係兼家庭教師として、ある女性を塔へ送った。


「こんにちは! はじめまして! 私はエリザベスと言います! エリイ、て呼んでください」


 明朗快活なエリザベートは、薄暗くかび臭い塔の中で、国王一家のただ一人の生き残りである姫にスカートをつまんで完璧なお辞儀をして見せた。

 しばらくして姫が答える。


「……ぁたし、ま、リー……この、国、王女……」


 姫……マリーの声は、二年間の孤独な時間により、ひどく癖の強い声となってしまっていた。

 いわゆる、発声障害である。


 ※

 ※

 ※


「さあ! マリー様! 今日は良い天気ですよ~! さ、あそこの窓を開けましょうね」


 エリイとマリーが出会った翌日。エリイは明るくそう言って、部屋の中の唯一の窓を開ける。

 強い日差しが暗い部屋に入ってきて、ベッドで横になっていたマリーは目を細めて起きる。


「……ぁ、ぜ」

「ん? なんです? マリー様?」


「な、ぜ、ぁなた、いう?」


 なぜ貴女がここにいるの? そうマリーは言いたかった。

 しかし、二年間もたった一人でこの塔に取り残されたマリーの喉は、窓を閉める鎧戸のように硬く、またさび付いていた。

 声を出そうにも衰えてしまった喉は萎縮し、声量は虫の声のように小さい。

 美しかった貴族言葉も立て付けの悪い扉のようにガタガタになってしまい、まるで墓場の幽霊のつぶやきにしか聞こえなかった。


「どうして私がいるのか、ですか? 嫌ですわマリー様、昨日から私はここに住むって言ったじゃありませんか~」


 笑いながらそう答えるエリイに、マリーの顔が嫌悪に歪む。


「ぁたし、おう、じょ! あな、た、侍女! へゃ、いっしょ、ゅうさない! えてって!」

「私は王女だから、侍女のあなたと一緒の部屋は許さない、出て行って、ですか? マリー様、この塔には他に部屋はありませんよ。下に食堂があるくらいですが――」

「しょ、しょうどう! ちゃ、チャルル! いる! ぉとうと! ぁいたい!!」

「王女様……」


 エリイは興奮するマリーの手をゆっくりと握る。かさついたとても十代とは思えない指は、侍女のような下賎なものに触られたくない、というように、ば、とエリイの手をはねのける。


「シャルル王太子殿下は、去年お亡くなりになりました。亡骸はすでに寺院へと送られたようです」

「ぅちょ! チャルル! ぉとうちゃま! おかあちゃま! ま、リー、ぁいたい!」

「マリー様!」


 錯乱するマリーへ、エリイはぴしゃり、と言い放つ。

 それはまるで処刑された彼女の母・王妃のように。


「お辛いでしょうが、真実を告げるのも私のお役目……。国王陛下が処刑されたあと、裁判で王妃様の死刑が決まり、執行され、その後は叔母上が断頭台へと上がり、王太子殿下も下の食堂でお亡くなりに――」

「ぃや! いゃ! ぁなた嫌い! うちょばかり! でてって! ぅえってってよ!!」


 マリーは枕、水差し、手鏡と次々にエリイに向けて投げていく。真実を認めたくないマリーは、エリイを、世界中を拒否し、ベットの上掛けシーツを頭まで被る。


(みんな、みんな、お父様とお母様の悪口ばかり! 信じない! 誰も信じない!)


 シーツを固く握りしめ、マリーは世界中へ呪詛の言葉を心の中で吐く。


 まだこの国が平和だったころから、マリーは王女として貴族達の陰口を感じ取っていた。

 宮殿の貴族達は見えるところでは笑顔で手にキスをしてくるのに、裏では父と母(母の方が圧倒的に多かったが)の悪口を言ってくる。ひそひそ、扇で隠された口元は醜く歪み、中には反乱を企てるものまでいた。

 マリーはそういった陰口を感じ取れる鋭敏な少女だった。その陰口は彼女が生まれる前から起こっており、国家が滅んだのは歴史の必然であった。


 しかしその渦中にある国王一家の被る苦痛は、ほとんど拷問である。


 国王と王妃、その一族に産まれたというだけで、決起した民衆に城を追われ、幾度も襲撃され、こんな塔に幽閉され、皆殺された。幼かった弟まで。


(許さない! お父様とお母様、シャルルまで殺したみんなをあたしは許さない! このエリイとか言う無礼な女も! あたしは誰も信じない! 信じてなるものか!)


 カチャカチャと食器が触れあう音が響き、次の瞬間、マリーの鼻孔に美味しそうな匂いが届く。焼きたてのパンのバターの香り。スープの匂い。


「朝食をご用意いたしました! パンとコーンポタージュです! マリー様、起きてくださいな。今日の朝食は僭越ながら私が作りましたの」


 そっと、マリーはシーツから少しだけ顔を覗かせる。この塔に一つしか無いテーブルにはクロスが掛けられ、花瓶には一輪のバラ。くすみのない銀食器には、湯気を立てている柔らかそうな白パンと、鮮やかな黄色のコーンポタージュスープ。


 マリーは、ここに幽閉されてから、焼きたてのパンなど食べたことがなかった。カチカチの黒パンをひとかけら、塩味のスープにひたして食べるだけ。フォークもナイフも出されることはほとんどない、まさに囚人の食事。


 しかし今、目の前の食卓には綺麗に整えられた食事が並んでいた。

 ほこりを被っていた花瓶はよく磨かれ、一輪の赤いバラが飾られている。お母様の好きだった深紅のバラ。バラは母の象徴であった。優しかった母。だけど民衆に嫌われて、断頭台の露と消えた母。もう二度とあのバラを見ることはないと思っていたのに――


 マリーはシーツを被りながら、ゆっくりと食卓へ近づく。おずおずとシーツの隙間から手を伸ばすと、指先にバラの花弁が当たった。


「ぁ……ぁ、かい」

「そうですね、とても美しい紅いバラですわ」


 その言葉に、マリーはエリイの方をつい見てしまう。エリイは優しそうに微笑んでいる。


(この女が、このバラと食事を用意した……)


 マリーは古びた椅子へと座り、パンをちぎる。柔らかい白パン。何年ぶりだろう。

 パンを口に運ぶと、バターの甘い味がした。焼きたてでなければこんな美味しくないだろう。


 スプーンを使ってポタージュを一口。もぎたてのコーンを潰して牛乳と生クリームで味を整えられた、宮殿でシェフが作ったものより、素朴で、温かい味だ。

 喉を通って胃にたどり着くと、その暖かさが身体全体に染み渡り、スプーンを持つ手が二口、三口とポタージュを掬って口に運ぶ。気がつけば皿は空になっていた。


「おかわり、いりますか?」


 エリイが優しくマリーへ話しかけ、そこでマリーは思わず口を塞ぐ。こんなに急いで食事をしてしまうなど王女にあるまじき行為だ。


「ぃらない」


 そっぽを向いてそう答えるマリーに、エリイは微笑を崩さないまま鍋からスープを掬って皿に注ぐ。


 こうして、うまく発声できない姫君とその家庭教師の女との、歪な生活がスタートしたのだ。

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