中庭のともだち
ASA
第1話
しょわしょわしょわしょわしょわ。
暑い。とにかく暑い。死にそうに暑い。さっきの休み時間にベランダに出てホースで水を撒いて、制服のスカートがびしょびしょになったはずなのに、授業が始まってしばらくしたらもうすっかり乾いていた。それくらい、暑い。
しょわしょわしょわしょわしょわ。
蝉の声は大きすぎて、むしろ何の音もしないのと同じだ。頭の奥がしん、となってさすが松尾芭蕉、普遍的なことは昔から変わらないんだなと感心してしまう。
先生が教科書を読む声が遠くから聞こえてくる。
私が蝶の夢を見たのか、それとも蝶が私の夢を見ていたのか。どちらなのか判然としない。そういうことだな、わかりますか。
にんげんって千年とか経っても考えることはたいして変わってないんだな、蝉の声と言い。
蝶になってひらひらと舞っている自分を想像しながら、窓の外に広がる中庭を眺める。中庭というより、これはもはや裏山だ。アニメとかに出てくる、子どもたちが遊びに行くやつ。もしくはちょっと手入れされた雑木林。年に何度かは害獣駆除の日だから中に入らないようにと注意される。害獣と間違えて撃たれるなんて、ものすごく嫌だ。
木の下の影になっているところに、茶色くて丸々とした物体が見える。わたしが心の中でぶーにゃんと呼んでいる猫だ。ぶーにゃんは首を傾げてある一点をじっと見ている。
ああ、わかる。わかるよ。そこには何かが居るもんね。ぶーにゃんが見つめている辺りを、わたしも目を細めてじっと見る。
一見何も無く見えるのに、そのあたりだけ妙に歪んで見える。磨り硝子が空中に嵌っているような感じだ。いつもそう。雨が降っている日は雨粒が何かに当たって撥ねているのが見えるのだ。
ずっと見ていると何かの形が浮かび上がってきそうな気がしてくるけれども、やっぱり何も見えない。少し景色がゆがんで見えるだけ。
誰ともこのことについて話したことはないけど、中等部の霊感があるとかいう子が、あそこにはお地蔵さんみたいなものがいるねって友達に言ってるのを聞いたことがある。それまではその子のことを正直胡散臭いと思っていたので、それを聞いたときにはなんか今までごめん、と思い、そうか、お地蔵さんなのか、と感心した。
でもやっぱりわたしにはお地蔵さん見えないなあ。ぶーにゃんにはどう見えてるんだろう。
しょわしょわしょわしょわしょわしょわしょわ。
ねえ、まじで蝉うるさいよね。
ほんとほんと、いなくなればいいのに。
後ろの席のふたりがこそこそ声で話しているのが聞こえてくる。そうかなあ、うるさいかな。わたしはうるさくないし蝉がみんないなくなったら悲しいしさびしいけどな、と思う。
んん、なんだかぶーにゃんが見つめているあたりの磨り硝子の色が濃くなってきたような気がする。何かの形が浮かび上がってくるような。
ねえ。ねえねえ、なんかあそこ変じゃない?
後ろの席から不安そうな声がする。わたしは浮かんでくる形をちゃんと見ようと必死で目を凝らす。
変だよ、やだ、あそこに何かいるよ。
抑えきれないように段々大きくなる声に、先生も気付いた。
「え、どうした?」
「やだ!」
後ろの席の子が、がたりと大きな音を立てて立ち上がった。立った勢いで椅子が倒れて、更に大きな音がした。
「なになに?何言ってるの?」
その子と話していた隣の子もつられて立ち上がる。
「なんだ、大丈夫か?どうした」
何が起きているかわからない先生が困ったように聞いても彼女たちには答える余裕はなかった。あそこ、あそこにと言いながら教室の出口に向かって走り出した。
きゃー、と別の席のあたりからも声がして、最初の二人の後を追って走り出す音がする。
わたしは夢中で目を凝らす。
「ちょっ……待ちなさい、みんなどうしたんだ」
先生がおろおろしている。教室の中は阿鼻叫喚の様相を呈していて、皆奇声を発しながら教室から出ていく。
うるさいな。蝉なんかよりあんたたちの方がよっぽどうるさいよ。
そのうち、教室はしいんとなった。たぶん、教室に残っているのは先生とわたしだけ。わたしはまだ目を凝らしている。
あ。見えた。いるのが見える。
あ、目が。
目が、合った。
了
中庭のともだち ASA @asa_pont
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