第131話 トラウマの克服②

 すぐ目の前が湖。あとは最初の一歩を踏み出すだけ。しかし、どんな物事においても最初の一歩を踏み出すのに物凄い勇気が要る。またいつ戦いが始まるか分からない。倉本たちは近いうちに雅人と浩紀が潜伏しているアジトを強襲するだろう。


 となればくよくよしている暇なんて無い。残された僅かな時間で早急にトラウマを克服しなければ。洸太は目を閉じ、緊張を解して心を整えるように息を深く吸って吐ききってから意を決して一歩を踏み出した。


「水とは、無色透明且つ無味無臭の液体で化学式H2Oで表される、水素と酸素の化合物である。海水、湖沼水、河川水、地下水、大気中の水蒸気などとして自然界に存在し、周りの温度によって形状が流動的に変化する性質を持つ」


 と、知っている限りの水の知識を少々早口で独り言というよりかは、自分に言い聞かせるかのようにブツブツ呟きながら、踏み出した足が湖面に着く前にキリスがやって見せたように、念力で不安定な湖面の水を一か所に集めて固定し、足場を形成してそこを強く踏み込んだ。恐る恐る下を向くと、自分の足がしっかりと湖面を踏み込んでいることが分かった。


 自分にとってそれはとても大きな一歩だった。キリスの反応が気になって畔の方へ振り向くと、固唾を飲んで見守っていた彼は「その調子」と言わんばかりの表情でゆっくりと頷いた。

 

 再び自分の足の方へ視線を戻す。今度は足場をもう一個作り、もう片方の足を前に出して踏む。集中力を高めて作っていくが、中々上手く作れない。やはり最初の足場の形を維持しながら別の足場を作るのは初めての経験となる洸太に取っては難関な作業だった。その上それをトラウマが原因である水の上で行うとなれば尚更困難を極める。

 

 唾を飲みこみ、頭を空にして更に集中力を高め、あともう少しで形が出来上がると思ったその時、二匹の鯉が洸太の近くまで泳いできたことに気付いた。すると、そのうちの一匹が何かの拍子に暴れて勢いよく水面を飛び跳ね、それにより洸太は避ける間も無く顔に水がかかってしまう。


「あぁっ!」突然のことに目を白黒させた洸太はうっかり念力を解いてそのまま湖へ豪快にダイブしてしまった。


 全身に水が覆い被さる。ネオテックの訓練施設で陽助に強引にプールに入らされた時と同じように、またもや大嫌いな水の中に入ってしまい、ダイブした衝撃で湖の底の泥が舞い上がって洸太の視界を遮る。


 とにかく水面に向かわなければと考え、泥と水を押し退けようと手足をがむしゃらにバタバタさせる度に洸太の思いとは裏腹に身体が沈んでいき、息も切れてうっかり泥水を飲んでしまう。そしてこの出来事と感覚がトリガーとなって奇しくも川に落ちて溺れかけた時の状況と重なり、当時の記憶を鮮明に蘇らせることとなった。


「うわあああああああああああああ!」


 身が硬直して動けなくなった洸太はその場で留まって両手で頭を抑えてどうしようもなくなって大声で叫ぶ。水で濁った絶叫と共に念力が爆発した。放射線状に広がっていく衝撃波によって鯉といった小魚や水草などが大量の水とともに湖の外へ押し出されていく。


 衝撃波は留まるところを知らず、周囲の木々にまで波及していく。湖の水がまるで巨大な水棲生物が暴れ回っているかのような大きくて激しいうねりを起こしており、その中心で我を失い取り乱して叫ぶ洸太の姿があった。


「これは……」突然の事態にキリスは目が点になって動揺を隠せない。修行は中断にし、ひとまず洸太を湖から引きずり出そうと試みる。


 湖の外へ放り出された小魚や水草たちを念力で浮かせた状態にし、その間に釣り糸を垂らして特定の獲物を釣り上げるように念力で洸太の身体を掴んで勢いよく引っ張り上げる。


 キリスの念力によって助け出された洸太はそのまま湖畔へ導かれ、地面にそっと置かれた。それから空中で留まらせていた水草や蛙や小魚たちを含んだ水の塊を慎重に湖の中へ戻していき、湖は何事も無かったかのような静けさを取り戻す。


 溺れかけたショックでポーカーフェイスのまま呼吸を荒くしている。間一髪のところで救出されたことで辛うじてサイコブレイクを起こすことはなかった。そんな洸太の元へキリスが近づいてきた。


「たまげたぞ。まさか君の水嫌いがあれ程だったとはな。君のトラウマと言うのはそんなに酷いものなのか?」


「はい……自分でもびっくりするぐらいに」


「良かったら、差支えない程度で話してくれないか?」

 

 そう求められた洸太は徐に上体を起こしてトラウマの原因となった出来事を話し始めた。語っている間もキリスは終始静かに耳を傾けていた。

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