二、天ケ瀬播磨守

「それで、どうするつもりやねんな、オトン」

 城の待機所で提供された玄米飯を頬張りながらタケが言う。

 馬屋の隣だから、決して歓待されているわけではないといえるが、タケたちは気にすることもなくひたすらに食べ続けている。若者たちは四人、一人いない。

 四人も英造老人も、給仕する飯炊き女があきれるほどの健啖ぶりだ。

 玄米飯が大盛に盛られた椀を、わざわざ持ち込んだ雉や魚を焼いたり刺身にしたものをおかずに次々と平らげる。

 飯炊き女達は鳥獣の類を食用にする習慣がないから、薄気味悪そうにこの異様な集団の食事を給仕している。

 玄米飯だけは城からの提供なので食わねば損とばかりに、すさまじい勢いで椀を空にする。

 どこに食べたものが入るのか。

 そんな目で若者たちを見ていると、

「あんたらも食うか」

 タケが雉のモモ肉を頭上に掲げて飯炊き女に言う。

 とんでもない、という風に飯炊き女が手を振る。

「うまいのにのぉ」

 タケは雉の固い肉を歯を立てて噛みちぎる。

 固い固い肉もタケをはじめ若者たち、英造老人でさえも柔い肉のようにたやすく咀嚼する。

 それにしても、若者たちはただただ似ている。

 頭の先からつま先まで、全身を刺青に覆われているから、余計に個性が感じにくいが目鼻立ちもよく似ている。シワだらけの英造老人にも彼らとの面影がある。

「お方様。このようなところに。まあ姫様まで」

 飯炊き女ではない女の声が聞こえた。

 衣擦れの音とともに明らかに彼らとは段違いの上等な衣服を身に着けた女性が現れる。

 単純な美しさだけではなく気品というか内面の気高さが伝わってくる面立ちをしていた。

 その後ろに隠れるように、おそらくは姫様なのだろう7歳くらいの女の子がいた。厩の匂いが気になるのか、顔をしかめ鼻をつまんでいる。

 その後ろになぎなたを携えた侍女が控え、無礼な動きがないか目を光らせている。

「久々津の者たちですね」

 お方様と呼ばれた女性が口を開く。人を惹きつける声音だった。

 さすがに英造老人は威儀を正してお方様に平伏するが、若者たちはちらりと見ただけですぐに食事に戻る。

「控えよ!」

 侍女が叱責する。

 こういう居丈高な態度が一番嫌うのはタケだ。無言で雉のモモの骨を投げつける。

 雑に投げただけで、骨は一直線に侍女の頭部に。そのままでは当たる。が、その前に平伏した英造老人が平伏の姿勢のまま、投げつけられた骨の軌道に杖を掲げて、骨に当たるやタケに向かって打ち返した。

 タケは打ち返された骨をこともなく受け止めて土間に投げ捨てる。

 侍女は自分に唐突に向けられた暴力に声もなく固まっている。

 平伏した英造老人が顔だけを上げ、背後の若者たちを睨みつける。

 その視線に若者たちもしぶしぶ平伏する。

「元気のよいこと」

 口元を袖を隠してお方様が笑む。

「へんきのほいこと」

 姫様もお方様の真似をして言うが、鼻をつまんでいるからくぐもってきこえる。

「馬糞、口に突っ込むぞガキ」

 タケのつぶやきがしっかりと聞こえたのだろう。姫様は完全にお方様の後ろに隠れた。お方様の着物をぎゅっとつかむ指だけが見える。

「無礼でしたね。後でよく言い聞かせておきます」

「いえ、お方様の気にされることではございませぬ。こちらの無礼こそ平にご容赦を」

 英造老人がひたすらにかしこまって言う。

「天ケ瀬播磨守を殺すと請け合ったと聞きました」

 お方様の声に硬いものが混じる。後ろの姫がお方様の着物をつかむ手がより一層強く握られる。

「確かに」

「必ずや息の根を止め、首を持参しなさい」

 タケが茶化すかと思ったが、お方様の声音は茶化すことを決して許さない峻厳なものがあった。烈しい怒りだった。

 内なる怒りは決して肉体の強度に依らない。そして、夜叉のごとき相貌。

 その迫力にとうとう姫は着物をつかんでいた手を離し、侍女の方に駆け寄っていた。

 怒りは隙を生む。

 英造老人はお方様の隙を見逃さなかった。

「お方様にお尋ねしたき儀がございます」

 何か進言があるとは思わなかったのだろう。少したじろいだが、落ち着きを取り戻して言う。

「許します」

「天ケ瀬播磨守の首、今日中に持参いたしましたなら、いかがいたしましょうか?」

 平伏しているが、お方様が呆気に取られているのがわかった。

「な……」

 何をばかなことをと言いかけたときに待機所に一人の男が入ってきた。

 編笠を目深にかぶり、直垂、袴に手甲脚絆で頭の先からつま先まで覆った男。

 編笠を取る。刺青の男がそこにいた。

「失礼いたします」

 英造老人がそう言うと、戻ってきた男をそばに呼び寄せる。男は英造老人に耳打ちする。

「よくやった。今は取りこんでおるが、あとで腹いっぱい食え」

 そういうと男は嬉しそうに腹をさする。

「そなたはタツというのではないのですか?」

 お方様がふいに言う。タツをはじめ若者たちのぎょっとした顔。

「よくお分かりですな」

「わかります。そちらの者はタケ。そちらはタキ」

 誰も違えることなくお方様は言い当てた。

「その方らは何というのですか?」

「タカ、タクと申します」

 英造老人が言う。タカとタクがかしこまる。心なしか笑みを浮かべているように見えた。

「覚えておきます」

「ホンマか?」

 平伏したままタケが言う。

「ホンマに覚えてくれるんか?」

 たしなめかけた英造老人の機先を制するように、

「間違いなく覚えます。間違えようがありません」

 お方様が微笑む。

「英造」

「は!」

「先ほどの言葉、戯言と捨て置きませぬぞ」

「決して我々久々津衆は戯言を申しませぬ」

「もし、今日中に天ケ瀬播磨守の首を持参したのなら、褒美は思いのままです。御屋形様に間違いなく言い添えましょう」

「ならば、この地に我らの領地をお与えください」

 お方様は存外、俗なことを言う、という顔をした。

「我ら一族わずかに百人、とはいえこの姿形故、根無しに放浪しておりました。この地に領地をいただき、根付き、御屋形様、お方様にご奉公できれば、この上ない喜びにございます。」

 この言葉にほだされるほど、この女はウブではない。この氏素性も知れぬ、腕っぷしだけは確かな者たちを、自分たちの領地に引き入れることの危険さは十分承知していた。

 だが、天ケ瀬播磨守に対する憎悪がそれを勝った。

「良いでしょう。久々津一族の終の棲家を我らの領地に迎えましょう」

 歓声でも上がるかと思ったが、待機所は、しん、と静まり返る。

 見れば、タケとタキは戻ったばかりのタツと顔を突き合わせて何やら相談事をしている。

 とみるや、二人は熱でも測るようにタツの額に左手を当て、右手を自分の額に当てている。 三人ともども、ふざけているのではなく、真剣な表情だ。

「大方、分かった」

 と、タケ。

「大方やったら、アカンやろが、ダボ」

「こういうのは大方でええんや!」

 にらみ合う。

「タケ、タキ!」

 英造老人の鋭い声。叱責したのではない。

「行け!」

 命ずるや、待機所に一陣の風を残して、タケとタツ、二人の姿は消えた。

 轟音が聞こえた。侍女が引き戸を開け、外を見る。塀を軽々と飛び越えて城を出ていく二人の姿が見えた。姫が唖然と二人を見送った。

「あの者たちに任せておけばもはや、天ケ瀬某の命は夕日まででございます」

 悠々と英造老人が言う。

「どういうことです。天ケ瀬の領地までは二十里はあります。その間の道は嶮山と崖を行かねばならず、平坦ではありません。馬で駆けて戻ってくるだけでも二日はかかるでしょう」

 二十里はおよそ、79キロ。攻めあぐねているのも、道中の狭隘な地形で大軍勢を動員できないのが理由でもある。

「道なき山を駆け抜ければ十里にございます」

 タケとタツは道なき山を行く。彼らは百メートルを八秒で走る。その速度を保ったまま山を走る。

 その卓越した動体視力と、身体能力で立ち木や隆起した木の根こそ避けるが、枝は避けない。彼らの当たったところは枝の方が折れるか砕けるかする。木の葉が目に当たってもまばたきもしない。

 二人は息を切らさず、山中を行く。

 天ケ瀬播磨守の居所まで正確に直線距離で走る。

 二人は昼過ぎに待機所を出たが、日がまだ高いうちに天ケ瀬播磨守の居城を見下ろす崖にまで到着していた。夕暮れにもまだ間がある。

 馬でも行きに一日はかかるといわれた距離を、二人は数時間で踏破したことになる。

 崖からは天ケ瀬播磨守がいるであろう居城が見える。五百メートルは先にある。

 その城に目を凝らす。眼球の白目から黒目まで何か黒いものが動いているのが見えた。

 その黒いもののためか瞳孔がぐっと見開かれた。人間の瞳孔の拡大できる大きさではない。 鳥類、その中でも猛禽類は幅広い瞳孔の動きに加え、眼球自体も変形させ、遠方の物体にフォーカスを合わせる。

 その眼球の動きを二人もしていた。

「あれか」

「タキ兄に教えてもらった通りの顔をしとるな」

 二人は城内のおそらくは天ケ瀬播磨守の顔を見ているのだろう。猛禽類は一キロ先の獲物を視認できるというが、今の二人はその視力を得ていることになる。

「えげつないのお」

「そおやな」

 珍しく二人の意見が合った。

「ダボ」

「それはお前じゃ、ボケ。自己紹介か」

「いつかケリつけたるからな」

「いつでも来いや」

 そう言い捨てて二人は崖から飛び降りる。五・六十メートルはあるがためらいはない。

 崖の下の森の中に落ちる。そもそも受け身をとって何とかなる距離ではない。轟音と土煙と地面に爆発痕ができるほどの衝撃を伴って二人は着地する。

 それでも、二人はいかほどのダメージを受けている様子もない。こともなげに立ち上がって、また、全速力で駆けていく。

 まさしく、射程距離と言ってよかった。

 黒い颶風としか認識できないものが城下を走る。

 颶風は目標に向かって一切の迂回をせず、一直線に走るから、城下を行き来する者たちがこの二つの颶風に運悪く当たれば、馬に蹴り上げられたよりもひどい状態で跳ね飛ばされる。

 深く広く城の周囲に張り巡らされた堀さえ、一直線に飛び越えて、高い塀を跳躍して飛び越え、この襲撃に対して一切の防備を許さない。

 そしていまだ、襲撃を感知した者はいない。

 崖で天ケ瀬播磨守の姿を確認して二分も経っていない。その二分で二人は城内の馬場に降り立った。

 供の者を控えさせ、馬場で馬の調練をしている者がいる。乗りこなすことを拒否するように悍馬が後肢を天に跳ね上げる。

 二人は意外に静かに馬場に着地する。

 悍馬の鞍になんなく腰を据え、決して振り落とされずにいる、この男が天ケ瀬播磨守だった。二人の出現に当然気づいてはいるが悍馬は構わず暴れるから、なかなか下馬して対応できない。

 代わりというわけではないが、供の者はさすがに曲者に即座に対応した。二人に向かって駆けながら抜刀して近づいてくる。

 そういう者には取り合わない。二人はまっすぐ、天ケ瀬播磨守と悍馬に駆け寄る。

 そのままタキが悍馬の尻を蹴りつけた。馬の筋肉に跳ね返されることなく、爪先が尻ににめり込む。

 あまりの苦痛に悍馬がひっくり返り、天ケ瀬播磨守は地面にたたきつけられた。 

 素早く近寄ったタケが蹴り上げて起き上がる隙を与えない。蹴り上げられながらも転倒する間に抜きつけた脇差でタケに斬りつけたのは、冷静で胆力のほどをうかがわせる。

 だが、そこまでだった。

 天ケ瀬播磨守の髻をタケがつかむ。つかむや、手刀を首に叩き込む。

 それだけで、首を千切った。

 一瞬の苦痛の表情を浮かべたまま、天ケ瀬播磨守は息絶えた。

 もう、用はない。

 二人は踵を返してここに降り立った時と同じように塀を塀を飛び越え、一散に遁走した。

 首だけはあらかじめ持参していた頭陀袋に入れ、タケの体に括り付けている。

 帰り道はもはや、勝手知ったる道だ。

 行きよりも早く、夕陽が落ちる前に御屋形様の居城に着いた。

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