tattoos:things of the past
鹿角印可
一、白州にて
真夏、セミの声。
城の白州に武装した兵士が20名。10名は6メートルはある長い槍を携えている。
残りの10名は弓矢を携えている。
それに取り囲まれるように裸身に下帯のみの若者が5人と、粗末な着物に杖を持つ老人が1人。
いずれも額から爪先まで丸と直線を基調にした幾何学的な模様の刺青を施されている。さながら全身に波濤をまとっているように見えた。
彼らは均整の取れた無駄のない肢体をしていた。肌のすぐ下に太い筋肉があるのが見て取れる。
顔に刺青を施されていてもどの若者も美男であることがわかる。が、同時にふてぶてしい面構えでもある。
若者の一人は噛みタバコをくちゃくちゃと口中でもてあそび、縁側に座っている明らかに身分の高そうな武士の面々を睨みつけている。軒の陰で顔は良く見えない。若者はそれが気に入らないようだった。
今にも因縁をつけそうな彼らを押さえつけているのは、彼らの前に立つ小柄な老人だ。
「おい、オトン! 死にぞこないのオトン!」
噛みタバコを吐き捨て若者が言う。
「なんじゃい、ションベンたれのタケ」
互いに喧嘩を売っているとしか思えない会話だが、二人の間ではごくごく日常の会話らしい。
ほかの刺青の者も仲裁に入るわけでもなく、平然としている。
「ヒマじゃ」
「もうちょい我慢せえ」
「できるかいや」
タケと呼ばれた若者はその場でジャンプを始めた。はじめは軽くつま先が地面を離れる程度だったものが、回数を重ねるごとにその高さを増していく。
10回を過ぎるころには自分の身の丈を超えるほどの跳躍を見せていた。
兵士の中から「おお」というどよめきが上がる。
「タケ、ええ加減にしとけよ」
「へへ」
一通り、自己顕示欲が満たされたのか、跳躍をやめ、ことさらにわざとらしく直立してみせる。
縁側にいる武士の中でもひときわ身分が高いであろう武士が側近に耳打ちする。
「そ、ろ、そ、ろ、は、じ、め、よ、か。やっと始まるみたいやで、オトン」
タケがにやにやしながらいう。
タケたちと武士たちの距離は七メートルは離れている。
軒先の暗がりでなおさら見づらい武士たちの唇の動きを読み取って見せたらしい。
「お前は! すんな! 言うとるやろが! ボケ! 殺すぞ!」
何度制止しても聞かないタケに我慢しきれなくなって怒声がとぶ。
「殺してみいや、おいぼれ」
老人が手に持つ杖を振り上げる。
老人が挑発に乗ったのがよほどうれしかったのか、白州にもかかわらず子供がいたずらをして逃げるようなしぐさをしてみせる。
「久々津の者に告ぐ」
側近の声に老人は平伏する。それに倣ってタケをはじめとした若者も不承不承、平伏してみせる。
「これより始める。居並べ」
老人が若者を促し、立たせる。老人はその若者たちの後ろに下がる。
同時に兵士たちが進み出る。
若者たちと兵士が相対する形になった。兵士たちが掲げる長い6メートルの槍が振り下ろされれば、その穂先で脳天を粉砕される距離に若者たちはいる。
兵士頭が縁側を見る。側近の一人がうなずいた。
兵士頭は右手をゆっくりと上げる。一呼吸したのち、右手をおろす。
そのタイミングに合わせて、槍が振り下ろされる。十分、訓練されているのだろう、振り下ろされる槍に一糸の乱れもない。
槍の穂先が若者たちの脳天や肩に襲い掛かる。が、動揺はない。
かぁん、とか、きぃんという乾いた音が白州に響いた。
縁側の隅に何かが突き刺さった。側近が近寄り引き抜いてみると、槍の穂先だった。
何事かで折れて飛来したものらしい。
そして、折れた槍の穂先を持っている者はもう一人いた。老人だった。指先でつまんだ槍の穂先をつまらなそうに弄んでいる。
確かに槍は穂先が根元から折れているものがある。しかも一本だけではない。数えてみれば、3本の槍の穂先がなかった。
兵士たちの中には槍を取り落としている者もいる。予想外に硬いものを力任せにたたいた時の衝撃を受けてしまい、手がしびれてしまったものらしい。中には衝撃をまともに受け、腕の骨が折れた者もいるようだった。
兵士頭は再び、右手を上げる。その表情は明らかに先ほどより強張っている。
兵士頭の合図に即座に反応できたのは10人のうち6人ほど。残りの4人もなんとか槍を上げようとはしているのだが、なかなかうまくいかない。
そうした者には構わず、右手を下ろす。
ふたたび、槍が若者たちの頭上に襲来するが、やはり、先ほどと同じように金属音が白州に反響するだけだった。
槍の何本かは中ほどから折れた。
白州の方では何やら相談するひそひそ声。
「次!」
側近の声。
槍兵達が後ろに引きさがり、弓兵が若者たちに相対した。
兵士頭が右手を上げる。弓兵隊は弓を引き絞る。
右手が下ろされ、矢が放たれる。
矢は若者たちを貫いたか。と言えば貫くことはなかった。
矢は命中すれどことごとく、彼らの皮膚に跳ね返される。
目だったことと言えば、タケの目に矢が当たりそうになった時、その矢を造作もなく掴んだことくらいか。そもそも、自分に向かって飛んでくる矢をつかむこと自体が非常識だ。
「目ぇは反則や。痛いねん」
そう言って、地面に矢を放り投げる
そのあと二度、射かけられたが、結果は同じだった。
白州に嫌な沈黙が流れる。
いたたまれない雰囲気でいるのは兵士頭をはじめとする兵士たちだ。
対して若者たちと老人は平然と立っている。
そもそも若者たちは自分たちに理不尽な攻撃を受けている間、ただの一度も怖気づくことなく、また数センチも動くことはなかった。
改めて側近が口を開く。
「下帯一つの下賤の者に傷ひとつつけられぬ者はいらぬと御屋形様は仰せである」
側近の言葉に兵士たちがざわめいた。
「なにが下賤じゃ。オノレらどんだけえらいんじゃ」
タケがつぶやく。これにはほかの若者も賛同のうなずきを返した。
「血の一筋でもよい。この者たちに傷をつけてみよ。久々津の者どもよ。抗してみよ」
兵士たちは色めき立つ。槍もきかぬ、矢もきかぬとあっては、あとは白兵戦しかない。それぞれ刀を抜き、手槍をしごいて若者たちに殺到した。
色めき立ったのは若者たちもだった。
「やった」
「ムカついとったんや」
「やってええんやな。英造さん」
若者の一人にえいぞうさんと問いかけられた老人は実に嫌な笑みを浮かべた。
「一人残らずやったれ」
うおお!、と若者たちの雄たけび。
我先にと兵士たちの中に走りこんでいく。
英造の言葉にひときわ反応したのはタケだった。
「よぉ見とけよ、お前ら! 一人残らず黙らせたらぁ!」
縁側のお歴々を指さして叫ぶ。英造は頭を抱えた。
叫んだ分だけ出遅れたタケが急いで喧噪の中へと文字通り跳びこんでいった。
対する兵士たちは明らかに戸惑っていた。あまりにも戦場の常識と、この戦闘がかけ離れていたからだ。
刀を振り下ろしても、手槍を突き出しても若者たちは避けないのだ。
力のこもった一撃は、若者たちの体に当たって、ことごとく、はじき返されるか、皮膚の表面を滑っていく。
先ほどのパフォーマンスで分かっていたはずなのに、いざ、至近距離でそれに遭遇すると、物の怪を見ているような気分になっている。
離れた距離だから、何かからくりがあって槍、矢を寄せ付けなかったと思う向きもあったが、本当にその体は鋼ででもできているようだった。
さすがに刀や槍が当たったところは何かしらの痛痒はあるのか、ぼりぼりと爪を立ててるが、それは虫にでも食われたようなもので致命的なものではない。
そろそろ、反撃するかと若者達の目配せ。
その機先を制するかのように兵士たちの頭上に影がさす。何事かと見上げた兵士の顔に文字通り、つま先まで刺青が彫り込まれた爪先がめり込む。十分な重量と加速、そして鋼のような硬さの相まった一撃は頭部を貫通するほどの威力があった。
顔にタケのかかとが埋まる。兵士の後頭部から、タケの爪先が見える。
どうと兵士は倒れる。当然、死亡した兵士の顔はもう、見れたものではない。ずくずくに崩れた西瓜か、石榴といった様相。タケはと言えば、爪先を頭部にめり込ませたまま、バランスをも崩さずに着地してみせる。
兵士たちの間でさっきまでの喧騒が嘘のように静寂が広がる。
そんな兵士たちの様子を意を介することなく、めり込んだ足を抜く。今、タケの足元で死んでいる兵士の重量は武装込みで70キロはある。その重量をボールでも蹴り飛ばすような気軽さで兵士たちの方に蹴り飛ばす。何人かの兵士に当たるがその勢いを受け止めきれずに倒れる。
「まずは1個や」
タケが若者たちににやりと笑ってみせる。子供のような笑顔。
「タケ! 抜け駆けすんな!」
「タケやん、やりおったぞ!」
若者たちのタケへの反応は非難したり、快哉を叫んだりとさまざまだったが、それをきっかけに兵士たちに反撃を開始したのは共通していた。
反撃は一方的な殺戮と言ってよかった。
兵士たちの武器は一切意味をなさない。
若者たちはできの悪い野菜でも選別するように兵士たちを狩る。
鎧や体のどこかをつかめば確実に引き倒す。倒れたところを踏みつぶす。踏んだところが鎧であろうが関係ない。紙でも踏みつぶすように鎧ごと踏みつぶす。少しでも動けば、動かなくなるまで踏むといった調子。
一切の容赦がない。
見る見るうちに兵士たちは数を減らす。
やがて、兵士が残り1人になった時。
「わしは3個や」
「わしも3個」
「わしは6個や」
「タケ、お前の最初の1個は抜け駆けやさかい、勘定なしや」
「タツ、お前が決めんな」
「タワケのタツが調子に乗んなよ」
無言で二人はにらみ合う。殺戮のときには一瞬たりとも漂わなかった殺気が二人から発せられる。
タケとタツは一触即発の状態。
「まあ、そんなん、どうでもええがな」
若者の中でも年長者らしい者が口を開く。殺戮のさ中なのに、農作業の合間の口喧嘩を仲裁するような調子は、かえって異常さを際立たせた。
足元の手槍を2本拾い上げ、タケとタツにそれぞれ一本ずつ渡す。
「当てっこや。あのおっちゃんに先に当てた方が勝ち。それでええやろ」
タケとタツは兵士を見る。事の成り行きを見ていた兵士は自分が標的になっていることをやっと自覚した。確実に殺されることがわかっているのに、その場にとどまるもの者はいない。
恥も外聞もなく逃げ出した。
それに二人は同時に反応した。
反応したが、投げることができたのはタツだけだった。
タケの手槍は年長者の男が、タケの手首をつかんで投げさせなかったからだ。
「悪い。手ぇ当たってもた」
とぼけたことを言う。
タツの手槍はあやまたず兵士の腹を貫く。が、勢い余って突き抜け、白州の塀に当たって砕け散る。
腹に風穴の空いた兵士はその場で絶命した。
「タキ兄ちゃん!」
タケの子供のような抗議の声。タツがしてやったりとばかりに、にやりと笑う。
「これでタケ6個、タツ6個でおんなじやな」
「ああっ、クソ。気分悪い!」
気分悪い、気分悪いと唾でも吐き散らすように言って回る。
「気ぃ悪いのお!」
そう言うと投げることのなかった手槍の石突を地面に突き立てる。
軽い動きで、あっさりと石突が地面にめり込む。
ぎりぎりと歯ぎしりでもしかねない表情のまま、ふわりと飛び上がる。
そのまま槍の穂先の上に降り立つ。右足の親指が槍の先端に乗せられている。
地面の上に二本の足で立っているかのようだった。ことさらバランスをとるのに四苦八苦することもない。
見事なバランス感覚で槍の上に立ちまだ、気分悪い、気分悪いと呟いている。
タツもタキも他の若者も、また始まったとあきれるやら苦笑するやら反応は様々だ。
英造老人だけが狼狽している様子だが、それが演技なのは若者たちも知っている。
「降りろ、タケ!」
「うっさいの、黙っとけ、ジジイ」
怒った(ふりをした)英造老人が杖で手槍を力任せにひっぱたく。衝撃で手槍がぐらりと倒れる。手槍が地面に倒れきるまで、タケは槍の先端に乗っていた。
血に染まった下帯がはらりと落ちる。衝撃でではない。わざと衝撃で落ちたように見せた。
男根が露わになる。それを縁側のお歴々に見せつけるように傲然と立つ。
男根はその先まで刺青に覆われていた。
「わしのチンポは先までカチカチやぞ。矢で槍でも持ってこいや。片っ端から折ったるぞ」
「嘘つけ、フニャチンが」
「ミツが物足りん言うとったぞ」
「お前、ミツに手ぇだしたんか!」
「お前、分かりやすいんじゃ」
目をむいて問い詰めるタケにタツがツッコミを入れる。
どっと若者たちの間で笑いが起こる。
その笑いの隙に紛れるように、縁側の奥の座敷から矢が飛来する。
矢はタケの眼球に吸い込まれるように命中する。かと思われたが、眼球と矢の先端が1ミリも離れていない命中寸前の距離でタケは矢をつかんでいた。
「目ぇは反則や言うたやろが!」
今度は矢を放り捨てなかった。矢を持ち替えて、座敷の奥に投げ返した。
全力で投げ返したわけではないが、その速度は座敷から放たれた時よりも速い。
ぎゃっ、という悲鳴と、何かが連続して砕ける大きな音が座敷から聞こえた。
おそらく、タケが投げ返した矢は、矢を放った者の体を貫き、その奥にある襖や調度などをなぎ倒したものらしい。
縁側のお歴々も動揺を隠せない。
側近が思わず立ち上げり、批難する。
「久々津の者よ。無礼が過ぎるであろう」
「お戯れが過ぎましたかと」
さすがに英造老人も言われ放題ではいられない。
「我らの価値は十分伝わりましたでしょうか?」
縁側の側近に言っているのではない。
縁側の連中の中で、ただ一人、動揺していなかったこの城の城主らしき男に言っている。
「良いのではないか」
側近を介さず、直接、城主らしき男が言う。その声は低いがまだ若いようだった。側近は慌てるが城主がそれを気にする様子はない。
「雇おう」
「話せるやんけ」
タケが言う。そのあとに何か言いかけるのを英造老人が杖で制した。
「すでに綱橋様には申し上げましたが、我らは戦場での槍働きはしませぬ」
「そうか? 十分な働きをできそうだが……」
「しょせん,数千の集団の中の異形の五人程度が戦場で少し働いたところで高が知れております。戦場に必要なのは勇ましく鼓舞する者でございます」
城主が黙考する様子が見て取れた。
「我らには我らの働きがあることをご理解いただきたく」
「うむ、相分かった。ならば首を持ってまいれ」
「どの首を持ってまいりましょう。選り取り見取りは請け合いますぞ」
「天ケ瀬播磨守」
「承りました」
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