第18話 助け舟
家出してから五日が経とうとしていた。未だに実家に帰る気にはなれず、調子も家出前と比べて優れてはいない。栗之のお父さんと話してから家族について様々な観点から考えるようになり悩みはより一層増していた。
「この前友達がサッカー観戦したらしくってかなり楽しかったみたい。松貴くんってサッカー好きって前言ってたけどサッカー観戦したことある?」
「サッカー観戦は……ありますよ」
いつもなら嬉しそうに反応するはずの「サッカー」という言葉に心は踊らず淡々と応じてしまう。灰色の雲が太陽を塞ぐほど空に広がり、あまり心地が良いとは言えない天気模様である。降水確率は低いため雨の心配はなく、今日も栗之先輩と一緒にいつもの中庭のベンチで昼食を食べていた。
「あるんだ! どんな感じだった?」
栗之先輩が必死そうに朗らかな雰囲気を作り話を続けてくる。だがかつて観戦したはずの記憶が今日に至っては鮮明に思い返すのが難しい。頭に浮かぶのは楽しかったという感情だけだった。
「うーん、楽しかったよな気がします」
またも適当に返事をしてしまう。今日は食欲があるようで昼食は食べ始めてから数分で食べきっていた。父親の件で意識が奪われて誰かと雑談する余裕がない。今もどうしたら関係を修復できるかを無意識に考えていた。これでは今日も昼食に誘ってくれて栗之先輩に面目ない。
「松貴くん、わたしと話すのつまらない?」
投げかけられた言葉に俺の気は一瞬にしてその持ち主に方へと引き寄せられる。発せられた中身は素っ気ない態度を取る俺への不満や怒りだと捉えられる。だがその声調はあまりにも切なさが込もっていて、栗之先輩の本心は言葉と正反対にあるとおぼろげに感じてしまう。一緒に昼食を共にしていて反応が薄いのは栗之先輩に迷惑であり、深い罪悪感を抱いてしまう。
「つまらなくはないですよ。ただその考え事をしていて話に集中できなくて」
納得してもらえるかは分からないが今日の態度に対して俺は釈明をする。それを知った栗之先輩は俺の状態に勘付いていたように険しい表情をしながら「やっぱりね」と呟いた。
「最近調子が悪いと思っていたからなにか悩んでいると思っていたけど、大丈夫なの?」
真剣な眼差しで俺と目線を重ねながら顔を僅かに前に出し栗之先輩は訪ねてくる。俺は頬を引きづりながら「大丈夫ですよ」としどろもどろに答えてしまう。その発言を流石に栗之先輩は信じる様子はなく眼力を強める。
「松貴くん、無理にとは言わないけど抱えてる悩みがあるなら相談して。わたしも松貴くんにはお世話になったから少しでも力になってあげたいから」
栗之先輩からの助け舟に塞がっていた心は一気に激しく揺れ動く。一人で解決しないといけないと勝手に思い込んでいた俺にとっては予期せぬ言葉であり有り難かった。心は一気に晴れ渡り表情まで自然と解れていく。
「そういってくれてありがとうございます。流石にもう隠しておくのは栗之先輩には申し訳ないですし、抱えてる悩み話してもいいですか?」
俺は事情を話したら嫌われるという不安を抑え込んで悩み相談を申し込む。
「全然いいよ。昼休み目一杯使ってくれてもいいし、時間が足りなかったら放課後でも続き聞くよ」
優しく微笑みかける栗之先輩に「そこまでは時間掛からないですよ」とゆとりのある声で返事をすると今回の経緯を説明した。
「お父さんとそんなことがあったんだね。それにしても家出は驚いたな。色々と苦労してるみたいで同情するよ」
事情を把握した栗之先輩は固くなっていた顔つきを和らげ口を開いた。家庭の事情を家族以外に話すのは初めてだったため事情を語っている最中緊張したが、栗之先輩は俺の顔をまっすぐと見続けてくれていた。それだけで栗之先輩がどれだけ俺のことを憂いていたか認識できた。
「けどこれからどうするつもりなの? いつまでも家出ばかりは厳しいと思うし」
栗之先輩は背筋を伸ばすと俺が懸念している点を訊いてくる。その質問を投げかけられた俺は頭の中から返答を探し出しそれを喉から出す。
「それは悩んでます。母さんからも頭が冷えたら戻ってくるよう連絡がありましたからそのうち戻ります。姉さんにもいつまでも迷惑かけられないですから」
他者に話せたことでこの問題に向き合う覚悟ができていた。
「そっか。けど無理はしないでね。わたしで良ければいくらでも力を貸すし、相談ならいつでも乗るから」
栗之先輩は言葉を発するとベンチの正面を見る。俺はその横顔を窺うがどこか嬉しげに口元が緩んでいた。
「無理はしないように気をつけますけど、相手が頑固な父親なのでちょっと約束はできないです。だけど栗之先輩に相談できてかなり気持ちは楽になりました」
俺はわざと顔を苦める。あの父親相手に無理するなは厳しい。だけど精神的にはかなり安定している。これなら前に向かって歩み続けられる気がする。
「力になれたみたいで良かった。そろそろ時間だし教室に戻ろうか」
栗之先輩はお弁当入れを片手にかけると丁寧に立ち上がる。その光景を見ていた俺はこの時間が終わることを心惜しく感じていた。せめてもう少しだけ栗之先輩と会話していたい。そんな気持ちが心の中に存在していた。
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