ほつれ家族

陸沢宝史

第1話 アルバイトの高校生と買い物客の高校生

 九歳の少年は足に取り付けたスキー板で真っ白い斜面を滑っていた。ゴーグルを付けている少年の目の前の景色には一面白いゲレンデと雪に突き刺された数十のポールが上から下に向かって短間隔でコース上に設置されてある。


 少年は両手にある細い棒状のストックで雪を何度も突きながらポールに近づいていく。ポールが間近に迫るとストックでバランスを取りながらポールの傍を曲がりながら通過する。次のポールが迫ると先と同じようにまた曲がっていく。その動作を少年は何度も繰り返しながらゲレンデを滑り降りていく。


 やがて最後のポールを曲がり終えると少年は滑るのを止めゴーグルを上げ瞳を外に出す。瞳の先には六十代の男性が少年へと近づいてく。その男性の姿を見た少年は笑顔を作りながら元気ある声でこう言った。


「今の滑りどうだった?」




「案内してくれてありがね」

「それでは失礼します」


 お客様を目的の陳列棚まで案内を終え一礼するその場から離れる。品出し中であった調味料コーナーの場所に戻ってくると箱から多種多様な調味料を商品棚に陳列していく。あさやけスーパーで勤務して十ヶ月以上の自分の役割は商品の品出しだ。レジは専門のスタッフが勤務しているため、俺がレジを触れる機会はまずない。調味料の仕出しは容器が小さて楽だが、ペットボトルの飲料水となると重量があって日によっては軽い運動になる。


 迅速になおかつ落とさないように商品を陳列していくが、少し離れた場所でかごを片手に青果コーナーを見回る一人の少女が視界に映り込む。少女は俺が通う高校の制服を着用しているが、シワや垂みといった無駄は一切なく制服を着こなしている。


 少女は日常的にあさやけスーパーに足を運んでいたが、高校生が頻繁にスーパーへ来店することに疑問を抱いていた。親の代わりに晩御飯の買い出しの可能性もあるが、少女はいつも一人で買い物をしていた。同じ高校の学生で一人暮らしする学生の事例を俺自身耳に入れたことがない。そのため少女が来店するたび少女の来店理由を一瞬考えてしまう。もっとも店員がお客様の生活状況について勘ぐるのは良くない行為なのは理解している。


 俺は少女から品出しの方に気持ちを切り替えて仕事に励んでいると俺の元に足音が迫ってくる。やがて足音は俺の後ろで止まる。俺はお客様が何らかの要件があって尋ねてきたのだと推測し振り向いた。背後を振り向いた瞬間俺は思い掛けず目を疑った。正面に制服の少女が難しい顔でこちらを見つめているのだ。


 肌には艶があり、荒れている部分はなく肌の保護に注力しているのが伺える。髪も肌と同じで状態が良く真っ直ぐで滑らかさがある。その長さは肩を少しだけ超えており、額は前髪で殆ど隠れていない。前髪は真ん中で二つに分けており、右半分は右耳にかけ左半分は前髪をかきあげており左耳は髪の下にある。


 何度も少女を勤務中に少女を見掛けていたが、話しかけられるのは初めてだった。予想外の展開に驚いてしまい、笑みを急いで形成しながら立ち上がった。


「店員さん、今日の夕御飯のおかずで何作ろうか迷っているんですけど、何かおすすめの野菜ありますか?」

「おすすめの野菜ですか。そうですね……」


 食材の居場所ではなくおすすめの食材という珍しすぎる要件に俺は冷静に振る舞いながら頭の中は混乱していた。料理経験など皆無に等しい俺にレシピの助言など難題だった。ただお客様に求められているため、何らかの答えを出す必要性がある。俺は母さんがこれまで食膳に出してくれた食事を思い返しながら今日入荷している野菜も考慮し少女にあったレシピを捻り出す。


「春白菜が入荷しているので他の野菜と合わせて煮物にするのはどうでしょうか?」

「煮物ですか……煮込んだ白菜もいい味がしそうだし、今日はそれにしようかな。店員さんありがとうございます」


 少女は温かみのある笑みを見せながら感謝を述べ、目の前から立ち去っていった。その後ろ姿を目にしながら俺は役に立てるか不安だったが少女に力添えできて安堵していた。


 少女との会話があった日の翌日、スマホの目覚ましアプリから流れるメロディがせっかちなインストで目を覚ます。どうやら脳の覚醒が悪い日のためまぶたが重たくすぐには開かなかった。


 まぶたを八割程度開けるとぼんやりと部屋を眺める。部屋にはノートパソコンが置かれた小学校のときから愛用している木目の勉強机に、衣装を収納している素朴なプラスチックのタンス、他には小さめの液晶テレビに小物などを収納しているタンス、そしていま俺が布団を足にかけながらだらしなく座っている白いベッドがあった。


 俺はベッドの上に適当に置かれていたスマホを手に取ると他の人とチャットで連絡が行える会話アプリを開き姉さんからの新着のメッセージを読む。姉さんからのメッセージは特に重要なことはなく簡潔な返信をすると部屋から出た。リビングに行くと先に起きていた両親に軽く挨拶してから洗面台で洗顔と寝癖を直す。部屋に戻り制服に着替え、リビングで朝食を食べてから高校へ登校するためマンションの自宅を出た。


 自転車に乗りながら高校にたどり着くと友達と軽く雑談した後一限目の授業を受ける。在籍している躍巡高校は普通科のある公立校で俺は通学時間が短い高校を探していたところ躍巡高校が条件に合致したので進学した。


 前日のアルバイトと朝一番目の授業ということもあり眠気に脳が惑わされながらも、机の上で寝ることなく授業を耐え抜いた。授業が終わり休憩時間に入ると、二限目の美術が移動教室のため、俺は机の引き出しから美術の教科書を引っ張り出し教室を後にする。


 廊下を歩んで美術の授業が行われる教室を目指すが、廊下には俺と同じ移動教室へ移動するためと思われる学生が多く見受けられる。その中には一年時のクラスメイトなど顔馴染みが何人かおり、すれ違うと軽く挨拶しながら教室へと歩いていた。だが俺はとある人物と目が合い互いに歩みを止めてしまう。


「あれもしかして昨日の店員さん?」

「はい、そうですが」


 俺は目の前には昨日会話したスーパーで会話した少女が立っていた。同じ高校であることは把握していたが、学年が違うのか今まで遭遇することが皆無だった。思わぬ事態に俺の目は泳いでしまう。


「若いとは思っていたけどまさか同じ高校の学生とは驚いた。昨日はアドバイスありがとうね。勧められた食材美味しかったです」

「こちらこそ、喜んでもらって幸いです」 


 アルバイトのように相変わらず畏まった口調で返事をするが、内心では選んだ食材で喜んでもらえて安心していた。


「そういえば自己紹介がまだだったね。わたしは三年の永松栗之あかじょうくりのです」

「僕は二年の椎橋松貴しいはしまつたかです。永松先輩のことは以前からスーパーで見かけていましたがまさか学校で会話をすると正直予想にしていませんでした」


 久々に学校の先輩に対して「僕」という一人称を使う。

「松貴くん後輩だったんだ。後輩の知り合い殆どいないから知り合えて嬉しいかな。あとわたしのことは栗之でいいよ。友達はみんな名前で呼んでいるから」


 初対面の女性に対して名前で呼ぶか一瞬悩むが、先輩の提案に受け入れ多少照れながらも「ならそうします」と名前で呼ぶことを伝える。


「けど松貴くんが同じ高校ってことは以前に何度か会っているのかな? 私は松貴くんのこと認識したの昨日が初めてだから覚えてはいないけど」

「いや今日が初めてだと思いますよ。栗之先輩のこと以前から知っていましたけど見掛けたことなかったですから」


「私のこと以前から知っているんだ」

「まあ、この学校の制服を着用して来店する生徒って意外と少ないので」


「確かにあのスーパー制服の子あまり目にしないよね。それなら目立つよね」

「そうですね。他のお客さんより栗之先輩は目立っている方だと思います」


「店員さんが言うなら間違いないね。それとね初対面の人ににいきなりお願いするのは無礼かもしれないけど良かったらお昼一緒に食べない? わたし親しい後輩が殆どいなくて、後輩と話す機会が限られているから、たまには後輩と話してみたくて」


 栗之先輩からの唐突な発言に思わず目を見開く。昼ご飯に誘われるのは予想だにしていなかった。会話して二回目の相手とほぼ共通点もなくお昼を一緒にするのは戸惑いはあった。だが俺も栗之先輩と同じで高校入学以降は他学年の知り合いが殆どいない。提案としては率直に嬉しかった。


「……全然いいですよ。栗之先輩の教室はどこですか? 僕が先輩の教室に迎えに行くので」

「わたしのクラスは三の一だけど、わたしが誘ったんだしわたしが松貴くんのクラスまで行くけど」


 先輩に迎えに行かせるのは学校の後輩として心苦しいので俺は若干説得するかのように栗之先輩に「僕が後輩なんで俺が迎いに行きます」と申し出る。


「なら教室で待っているね」 

「できる限り待たせないようにします。そろそろ移動時間終わりそうなのでまたお昼休み会いましょう」


 俺は栗之先輩に会釈をすると早足で次の教室へと向かった。その心にはお昼休みに増えた楽しみと食事中に栗之先輩に無礼なことをしないように不安を抱いていた。

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