決断
走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走った走って走って走って走って走った。
深い森を。粘っこい地面の上を。太い木の根にぶつけた足はきっと青黒く膨れ、鋭い枝で叩かれた肌は赤く腫れ上がっている。痛んだ内臓が重く、何度吐き捨ててやろうかと思ったか。足が重い、腕が重い、腹は熱い、胸が熱い、頭が苦しい。酸素が足りない。どれだけ口を開けても空気の代わりに雨が割り込む。割に合わない。溺れそうになる。耳が痛い、喉が痛い、目が痛い。体の中で悪い雨が膨れ上がって、器官全てを外に押し流そうとしている様だった。
「っ!!!っ!!!」
背後から風が猛追してくる。森が喰らわんと随伴する。音がうねる。傾ぐ様に追随する。
飲み込もうと、蹂躙しようと、迫ろうと、その速さを誇示していく。
「はっ…はっ」
膨張する。拡大する。狂騒する。暴走する。狂暴する。疾走する。
奏と双樹を追い、風も森も、どんどんどんどん加速していく。
まるで獣の咆哮。まるで地鳴りの共振。まるで割れる海の響き。
形の無い牙で森を押しのけ、大地を蹴り、空を食べ、木の葉を舞い散らす。
「双樹!ガンバ…がんばれ!」
「はっ、はっ……は、はっ…はっ、はっ」
奏は必死に双樹を鼓舞する。握った手が段々重くなるのを感じた。
必死に走る双樹の息は加速度的に速くなっていき、握る手はドンドン熱くなっていく。
「うくっ……」
奏にすら、風の獣の息が掛かる。後ろを行く双樹は半分飲み込まれている様なもの。風の顎と牙は、双樹の体力を容赦なく奪っている筈だ。
「奏く…っは…私は…も…ぅ…」
「何言ってんだ!行ける!行ける!」
双樹の泣き出しそうな声が聞こえてくる。何を言いたいかは分かる。でも言葉にしては駄目だと、奏は双樹の言葉を切る。
風はどんどん速くなる。今ですら全力疾走している。これが今以上に速くなるのなら、双樹の足では到底逃げ切れない。それでも奏は必死に励ましてくれた。だから、双樹は決意する事が出来た。出来てしまった。
(もう……無理ね)
「…奏くん!先に行って!!」
「は!何言ってんだよ!!」
双樹は風に掻き消えそうな声で叫ぶ。奏は振り返りもせずに怒鳴った。
自分ですら――なのに止めて欲しい。
「ごめん…ごめんね」
「おかしな事言わないでくれ!…双樹!返事しろ!!」
奏は必死に双樹の手を握る。冷たさに染まっていく絶望に悪態を付いた。
「何か言えって!馬鹿すんなよ、双樹!」
奏は不安になって、躍起になって。兎に角叫ぶ。
しかし双樹は、呼び掛けに答えず首を振った。そして自分勝手に口を開く。
「このままじゃ、二人とも死んじゃう。私は奏くんを殺したくない。足手纏いじゃなかったって…自慢させて欲しい」
「双樹!馬鹿!お前馬鹿かよ!!!」
声は……震えていただろうか?
必死に奏は双樹に声を掛けた。意地でも取り合わないと振り向かず、強く強く手を握り、一心不乱に走った。その気の小ささが、駄目だったらしい。
「いってえ!!?……双樹っ!!」
腕に痛みを感じた瞬間、体が軽くなった。……泣きたくなった。
「双樹!」
「奏くん。また会えて良かった…」
噛み付かれた位で握る手を解いた自分が情けなくてしょうがない。
双樹はグチャグチャの顔で笑い、全ての思いを込めて足を止めた。
「双樹!!!!!!!!!」
最早急停止する力のない奏は、風に押され坂を下っていく。
「奏くん…ごめんね」
その姿を見ながら、双樹はこれ以上涙を見せたくないと、奏の声に背を向けた。
きっと奏くん一人ならこの風から逃げ切れる。無事に森を抜け、平穏に戻れるんだ。
今のままでは奏くんは私と共に死んじゃう。それは嫌だ。私は、自分のせいで『夏啼き』に巻き込まれてしまう人をなくす為にここまで来た。その巻き込まれる人が、一人も居なくなるのなら、それは成功ではないか?
酷い現実を前に、本気でそう思った。
「それでもやっぱり…泣きたくなるけどね」
悟った様な気持ちで前を見た。風の獣は噴煙を巻き上げて迫る。風と並行して森が閉じて行っているのが分かるが、あの森はただ閉じ込め迷わせる為の物で、風の速度を阻害出来ないし、防御もしてくれない。
だから、きっとこのまま、私は風に無残に食い千切られるのだろう。いや、それより酷い惨状が待っているか。風と一緒に森に閉じ込められ、迷っている事も知らず迷う事になる。そして、死んでいる事にも気付かず死んでいくのだ。
「くす…」
それも良いかなと思った。
迷いの森で嵐の中、一人想われて死んでいく。悲劇的ではないか。王子様はきっと、私の為に泣いてくれる事だろう。そんな風に思い、涙が流れた。
「…ぐす…ありがとう。楽しかった」
誰に言うとでもなく呟くと、目を瞑った。目を閉じたからと言って、楽しかった事が浮かんでくる人生でもなかった。
けれど……足りない物だらけの世界だけど、私にはちゃんと私で在るべき物が揃っていた。此処に至って無念だと思える。尊厳も、自負も、悲しみも、自省も……そして奏くんも。それはきっと素晴らしい事で、誇れる事だった。
本当、此処に帰って来て良かった。
「~♪」
自然と口にしたのは、耳に付いているCMソング。おはようからおやすみまでを一緒に過ごそうと歌っていた曲。小さい時、奏くんが泣くまいとする時に歌っていた曲だ。
「今は…私に……元気をちょう…だい…」
歌っていると瞼が涙でいっぱいになった。涙と鼻水でグチャグチャに成って、何も歌えなく為って行った。
(死にたくは…ないよ……)
弱虫。私は弱虫だ。私だって分かった。一人は嫌だった。こんな所で一人は嫌……
「でも……千沢町に引っ越して来た時とは違う。今の現実は私が決めた事だから!」
私は顔を袖で吹いて、風の化け物の姿を目に焼き付けた。その瞬間、
「―――――!!!」
風は迫り、私に到達する。超質量の空気。流体は動けば動く程硬くなる。だからそれは風の砲弾。私の小さな体では一溜まりもない。バラバラになる音が体の中から聞こえた。
(腕が…肩が痛い。耳がおかしくなっている。体が浮いた様だ)
そうして私は風の到達と共に――
――見るも無残な形で地面を引き摺られた。
誰に同情されるでもなく、誰に慰めて貰うでもない此処で。泥だらけで独り。ズタズタのビチャビチャの、見るも痛ましいボロ雑巾となったのだった。
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