沢隠し
「マジで行くのか……何回考えても滑稽だな、俺」
千沢町から外に出るバスの中、奏は何度目かの弱音を吐いた。後悔と言うか、恐れと言うか、何か冷たい物が脚の下から這い上がって来る気がした。
「今更泣き言?情けないわよ」
隣に座る双樹が嗜める。そんなやり取りが何回続いたか。毎回怒ってあげる双樹は意外に面倒見が良いのかも知れない。
現在夏休み真っ盛り。心地の良い朝の木陰が、輝く季節を涼しげに彩る。バスは湿気の多い盆地を脱し、太陽の支配から逃れた山道を直走る。
「分かってるけどさ…俺素人で、馴染まないというか、笑われないかとかさ…」
「何の心配よ。勉強の玄人って何よ?」
「知らないけどさ…何かこう…分からない?俺、塾とか行ったことないんだよ」
「分からない。変な事言ってるとアホくさいわよ」
千沢町から、バスで山を二、三越えた先に少し都会的な『樹茨町』がある。そこにある大手の塾『光芽塾』が、今回奏達が申し込んだ夏期講習を行う所。短期強化型の夏期講習で、夏休み期間に近隣から沢山の人が参加するらしい。
かなりレベルの高い講習で、申し込む時に二人はテストを受けさせられた。一応二人とも合格はしたけれど、残念ながら双樹は高いレベルのクラスで、奏はギリギリ合格のクラスに振り分けられてしまった。
どうにもそれが奏の気力を削いでしまっているし、それ以上にテストの時に感じた『勉強する為に集まっている』という雰囲気にやられてしまったのだ。
「どうにも皆真剣でさ…急に行きたいと思う自分が、場違いな気がしてきてさ」
コンクリートで出来た七階建てのテスト会場には、嗅いだ事のない匂いが充満していた。
あの張り詰めた様な、しかし連帯感の様なものも併せ持つ独特の雰囲気は、ある種、部活の大会に似ているかも知れない。一生懸命研鑽してきた物達が、力を見せ合い高め合う。そんな真剣神聖な場に見えたのだ。
「はぁ…」
「……はぁ、全く。恰好良く成ったと思ったらこれよ」
奏の憂鬱色を目の前に、双樹はこめかみを押さえた。
「……それよりさ、奏くん。夏祭り…あるんだよね?八月に入ってから」
「おう?」
双樹が出した話題は、昨日京成に誘われた夏祭りの事だった。終業式の最中、京成は奏に任せていた筈の『双樹を夏祭りに誘う』という事を自ら行ったのだ。
どういう心境の変化からなのかは分からないが、奏の胸がざわついたのは確かだ。
「あるよ。千鶴沢でやってた夏祭りを、とても小さくした感じの」
奏はその話題は少し嫌だった。けれども無下にするのもおかしい。京成は双樹を『一緒に夏祭りに行かないか?』と誘ったものの、その答えを聞く前に逃げてしまったのだ。なので奏が夏祭りに関する説明をしなければ成らないのだが、
「『沢隠し』の事ね?」
「サワカクシ?何だそれ?」
「奏くん、知らないの?」
双樹は眉根を寄せ、嘘でしょ…と頭を押さえた。
「あのね『沢隠し』って言うのはね、千鶴では大事だったお祭りなの。この前のお茶らけた神様の話と被っているっぽいから説明するけど、ちゃんと覚えておいてね?」
「お、おう。分かった」
双樹の気迫に圧され、奏は頷く。双樹が何を怒っているのかは分からなかったが、お茶らけた神様の話とは、以前奏が京成に聞いたドジな神様の話の事だろう。
「絶対に知らないって事はない筈何だけどね…奏くんは」
双樹は奏の鞭が気に入らない様で、まだぶつぶつ呟いてから説明を始めた。
それが、『守神』双樹が語り聞いていた話。千鶴沢と千鶴沢に住まう狐の話であった。
奏達が昔住んでいた千鶴沢では『沢隠し』という祭りがあった。千鶴沢の西の山に『鶴賀神社』という神社が有り、そこで行われる祭り。
簡潔に言ってしまえば、千鶴沢にある鶴賀神社の鈴を、千沢町にある鶴賀神社に持っていく祭りである。行程は決まっており、千鶴沢を出て、樹茨を通り、そして千沢に行く。今でいえば千鶴沢から北西方向にバスで二時間行くと樹茨町、そして樹茨町から南西の方向にバスでまた二時間行くと千沢町に着く。バスで四時間の行程なのだから、道の整っていない昔に行うのがどれだけ大変かは分かるだろう。
火を焚いて、一晩かけて『移送』を行ったそうな。では、なぜそんな祭が有るのか?離れた地に同じ名前の神社が存在するのか?それは千鶴沢に伝わる伝承による。
曰く、昔千鶴沢の辺りでは悪い鶴が暴れていたらしい。鶴は雨の神様を誑かし、人を襲い、食料を奪い、田畑を荒らし、家を倒し、それはそれは悪逆非道を尽くしていたそうだ。村人達は大変困り、毒には毒をと、同じ頃山で悪さをしていた狐に相談する事にした。
村人の相談を受けた狐だったが、驚いた事に二つ返事で任せろと請合い、村人に知恵を与えた。それが『沢隠し』の根本原理。まず狐が言うには、千鶴沢と良く似た地を探し、そこに鶴賀神社と良く似た物を作れとの事。
そして、その偽物の神社で鈴だけは本物を奉り、鶴に千鶴沢の場所を分からなくさせよ、という事だった。
そんな事で大丈夫なのかと村人は首を捻ったが、他に手立てもない。村人達は、騙された心地で鶴が暴れても被害が及ばない、離れた盆地を探した。そこが千沢の地だったのだ。村人は千沢の地に鶴賀神社と同じ物を建て、鶴に見付からない様にこっそりと鈴を運び込んだ。やがて、鶴が暴れる時期が来、村にコオコオと甲高い鶴の鳴き声が近付いてきた。
人々は家で身を寄せ合って怯えた。狐に騙されたのではないかと疑った物だ。しかし、待てども、待てども鶴は来ない。村人達はオカシイなと思い始めた。
やがて勇敢な者、好奇心の強い若者などが気になって外に出始めた。外に出て見ると、確かに鶴の暴れる声が聞こえた。けれどもそれは遠い声で、千鶴沢で暴れる音ではなかった。企て通り、鶴は千鶴沢ではなく千沢の地へ赴いたのである。村人は驚き、喜び、そして感謝した。
無事に過ごせた人々は、お礼をすべく狐を探した。だけれども、不思議な事に狐は何処を探しても見当たらない。代わりに偽者の鶴賀神社の鈴がなくなっていた事だけを見付けたのだった。
狐は神社の鈴が欲しくてしたこんな事をしたのかと人々は笑い、これぐらいの悪戯ならと、感謝を捧げ、十年に一度、沢隠しを行う様になったのだ。以降千鶴沢で鶴が暴れる事もなく、偽の鶴賀神社に運ばれた鈴は、毎回ちゃんと失敬されてるのであった。
「てのが『沢隠し』よ」
双樹は説明を終える。説明を聞いた奏は、記憶の一端に引っ掛かっている何かを思い出した。昔話は全く知らないが、沢隠しと言う行為は記憶にある気がしたのだ。
「あ~、何となく覚えてる…てか、妙に覚えてるな…昔話は知らないけど」
「もう!一応千鶴沢に残る昔話なんだからね?覚えている私達が大切にしないと」
双樹は怒るというより、どこか寂しそうで、奏は何だか申し訳ない気がした。
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