運命

みふい

運命

大河たいが、元気に育ってね……」



「今のチーターやろ、きっしょ」

 赤く染った画面に浮かぶ『You Lose』の裏側で、敵はかつて俺の死体があった場所を撃っていた。腹が立つ。煮え滾るようなイライラを部屋の壁にぶつけた。

 ドンと響く大きな音と無抵抗な壁を殴る感触は苛立つ気持ちをすぐに解消してくれる。

 そして急いでチャット欄に書き込む。

『顔真っ赤で煽ってんの笑うwチーターキッズお疲れ様www』

 ウィンドウのバツ印を押して、表示されていたゲームの画面を閉ざした。タスクバーの時刻を見る。午前三時半。ゲームを辞めると急に腹が空いてきた。

 ドアを開けると、お盆に乗せられた牛丼が床に置かれていた。冷めきった牛丼を手に取るとその下にメモが貼ってあることに気づいた。

『冷める前に食べてください。』

 なぜかこれを見てさっき壁にぶつけたはずのイライラが体中を再び巡った。

「くそばばあ! おい!」

 叫びながら壁を殴る。

「おい、出てこい、ごら!」

 大声を出した後の静寂の中から小さな声が聞こえた。

「ごめんね、ごめんね」

 母親の怯えたような声。癇に障る声だ。ドアを勢いよく閉め、もう一度穴の空いた壁を殴った。少しだけイライラが治まる。

「……チッ」

 謝られるとこちらが惨めな気持ちになってくるから嫌いだ。

 母親が汗水垂らし働き手に入れた貴重な金を、家にひきこもっている何も将来性のない俺が使う。傍から見れば悪いのは俺で、母親は悪くないように見えるかもしれないが、俺は被害者側だと断言出来る。絶対。

 小学生の頃に俺はいじめられていた。今思い出しても吐き気がする。クラス全員からの無視に加え、持ち物を隠され、悪口を言われ、頬を殴られる。なぜ俺をいじめるのかを一回だけ聞いたことがある。そいつは俺を雑巾で叩きながらこう言った。

『頭の痣がゾンビみたいで気持ち悪い』

 それだけだった。俺が何かをしただとか、何か気に食わないことを言ったとかそんな理由ではなかった。生まれた時からある頭の痣が気持ち悪かった。本当にそれだけだった。単純明快な理由を聞いた後、俺は家で首を吊ろうと思った。

 家へ帰ると、いつもは仕事で居ないはずの母親が哀れんでいるような顔をして玄関に立っていた。

「大河、学校の先生から伺ったわよ……あなた、いじめられているの?」

 担任の先生が母親に連絡したらしい。いじめは止めないくせに保護者には電話をして、いじめられている俺ではなく、いじめているそいつらに先に話を聞いて、何の役にも立たないし、改善が見込めるわけでもない学級会を開く。どんどんと湧き出る憎悪の感情に加え、何も分かっていないのに分かっているような顔をしている母親を見て心の底から何かが這い上がって来た。

「……ふざけんなよ」

「大河……! あなたは悪くない。私はあなたの味方だからね」

 深刻そうな顔をしているくせにこちらの目は見ようともしてない。

「お前が悪いんだろ!? 腹立つ顔しやがって、このくそばばあがよ!」

 初めて母親に当たったが、このイライラは何を言っても何をしても治まりそうに無かった。これからもずっとこんな気持ちで生きていくんだろうと感じた。

「大河……ごめんね。私が悪いんだよね……ごめんね、ごめんね」

 その瞬間から母親は蔑む対象となった。悪いのは母親ではないはずなのだ。先天性の痣。学校でのいじめ。無能な担任。どれもこれも母親のせいになることなど一つも無い。それなのに、母親は自分が悪いと考え、懺悔した。家庭の問題だと考え、俺を学校に行かせず今日まで家で養った。周りに助けを求めるようなことはせず、静かに耐えるように。一人で我慢し溜め込んでいくという性格はどうやら遺伝らしい。

 昔のことを思い出していたらいつの間にか自分の中の怒気は無くなり、代わりに虚無感が襲ってきた。

 「今日は早く寝るか……」

 畳んでいた布団を広げて、充電するために机に置いてあるスマートフォンを手に取る。その時、小さな小さな母親の声が耳に届いた。

 「どこで間違えたんだろう」

 カッと目が充血する気がした。再び怒気が体の隅から隅までを巡る。抑えられない。本能で感じた。頭が真っ白になり、自分の部屋を飛び出し、母親の寝室に向かう。母親は椅子に座っていた。初めて母親の目を見た。母親と目が合う。母親に近づき、母親の首に手を伸ばす。

 「大河……」



 自分が理性を取り戻した時、すでに目の前の母親は無惨に変化していた。自分が取り返しのつかないことをしでかしたことに気づく。まだ生きているかもしれない。救急車を呼べばまだ助かるかもしれない。一瞬そう思ったが、惨状はその考えを真っ向から否定した。念の為にスマートフォンのライトを母親の眼に近づける。確か刑事ドラマではこうやって死んでいるかどうかを判定していた。瞳孔に変化が起きれば。

「くっそ……」

 頭は冷静に働いているはずなのに手が震え、背中を伝う汗は止まらない。母親は死んだ。いや、俺が殺したのだ。母親が職場に来ないことを不審に思った誰かが連絡をしてくる。俺は震える声で必死に誤魔化すが、異常を読み取った誰かは警察に通報する。警察が家に来て母親の死体を発見する。警察は俺に手錠をかけ、警察車両まで連れていく。ニュースのアナウンサーがその様子を報じている。俺の卒業アルバムの写真と共に。小学校の同級生『何か大人しい感じの人でしたね。まさかこうなるとは』。そして裁判。死刑になるかもしれない。最悪は免れたとしても、社会に再び出てくることは許されない。いずれにしろ、冷たい独房の中で俺は人生を終える……。

 なぜだ。真面目に働いて幸せな家庭を持って天寿を全うする。そんな人生を歩みたかった。それなのにこの様だ。おかしい、どこで狂った。誰のせいだ。なんでこうなってしまった。こうなるはずじゃなかった。もっと別の、平凡だけど安全な人生を、俺は送りたかったんだ!



 泣いている乳児の頭から電極パッドを外しながら医者は言った。

「これにて施術は終了です。先程述べた通り、乳児に人生を疑似体験させることによって、引きこもりや傷害行為などに対する強烈な忌避感を深層心理に植え付け、お子さんの将来の安全性を高めます。電極パッドの跡が痣となるかもしれませんが、大人になるまでには完全に消えるので安心してください」

 母親は頷きながら乳児の目を見る。

「大河、私はいつでもあなたの味方だからね……」

 




 

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運命 みふい @oxo__oxo

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